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ひもろぎ逍遥

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変な『日本書紀』斉明天智





変だなあ

中大兄皇子の年表、簡単に作製できると思ったのに、手こずってる。

自分で『日本書紀』から書き起こすと、
ウィキペディアとも違うし、岩波文庫の頭注とも違っている。

誰かが消されている。

あるいは岩波が意図的に読み替えているのか。

中大兄は斉明天皇の崩御の翌年に太歳をしてる。
なんで、もう一度即位する。

消されている人がいるよ。

斉明天皇も不思議。
皇后になったのは37歳の時。
それから二男一女をもうけている。
現代人にも厳しい高齢出産。

平安時代なんか、四十歳になると長寿のお祝いをするというのに。

また、古い時代は倭国と書かれているのが、
途中から日本国が出て来てびっくりしたけど、
この時代に再び倭国が出てくる。

いったいどうなってるんだろ。

この時代にも迷宮がある(´・ω・`)




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# by lunabura | 2016-08-29 22:26 | Trackback | Comments(0)

神馬のヒヅメの跡(馬蹄石)



神馬のヒヅメの跡(馬蹄石)


今日は歴史カフェ。
難解な『高良玉垂宮神秘書』の解説でした。
誰も知らない話ばかりなので、驚かれたかもしれません。

九州年号と言われる元号が高良山ではいくつも使われているので、
その紹介も少ししました。

今回、一つ、理解できない内容がありました。

それは高木の神と高良大明神との会話の意味です。

高良大明神が高良山に初めて来たとき、
高良山に住んでいた高木の神は「神籠石」の所まで降りてきます。

そして、「印」を求めると高良大明神は神馬のヒヅメの跡を付けます。

それを見て高木の神は納得して、一夜の宿を貸すのですが、
その夜の内に高良大明神は「八葉の石畳」をぐるりと築いて結界を張ったため、
高木の神は戻れなくなって、麓に住むようになってしまいます。
(ガイドブックなら26高良玉垂宮の所に書いてます)

「神籠石」とは巨大な岩盤で、「八葉の石畳」を築く間、神々が居た所です。
「八葉の石畳」は考古学者が「神籠石」と名前をすり替えて発表しています。

このように「神籠石」(こうごいし)の名称は高良山が発祥ですが、
今では山城として捉えられてしまい、残念な経過を辿っています。

単なる石畳ですから、防衛機能は全くありません。

で、今回、皆さんに情報をお願いしたのは、
高木の神は「神馬のヒヅメの跡」(馬蹄石)を見て何故、納得したか、
それが分からなかいので、他に類例がないか、ということでした。

一つの例として、安心院の足一騰宮にも馬蹄石があって、
それは玉依姫が神馬に乗って駆け上がる時についた跡となっています。

両者に共通するのは高良大明神(安曇磯良)と玉依姫が同じ安曇族という点です。
もう一つ例が挙がれば、何らかの推測ができる訳です。

そして、早速その場で情報が出てきました。

それは八女の「けほぎ石」も「馬で蹴ってほげた穴」という話です。
それは火明命の馬だったということから、
志式神社に祀られている神でもあるという謎に繋がってきました。

「火明神」は志式神社に祀られている「荒ぶる神」の一柱。
何故なのか、理由がまだ分からなくて、拙著『神功皇后伝承を歩く』でも
上手く説明できていません。

でも、安曇族が祀っている神です。

今日の情報で、少し手掛かりがでてきました。
のちの展開が楽しみです。

さて、『高良玉垂宮神秘書』は同じ内容で9月6日にもう一度話します。
ご希望の方は、メールで申し込みください。

来月の歴史カフェは9月25日(日)です。
場所は「ひふみ」。2時~4時です。

タイトルは「中大兄皇子と朝倉橘広庭宮」を予定しています。
詳しくはまた記事を起こしますが、受け付けは開始します。





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# by lunabura | 2016-08-27 22:28 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

筑紫三宅連得許(とくこ)という人


ことのかたり

筑紫三宅連得許(とくこ)という人
 



今日は中大兄皇子の年表を作ってました。



中大兄皇子は白村江の戦いのあと、即位する前に、
みやま市(旧山門郡)に来ているんですね。

母帝が朝倉で亡くなった時、皇子は37歳。

白村江の戦いの時は39歳。

敗戦後、タイトルの筑紫三宅連得許(とくこ)という人は
捕虜となって唐に連行されてしまいます。

三宅って、大牟田かと思ったんだけど、違うのかなあ。



得許は死刑を免れて日本に戻って来たけど、その時は既に天武天皇13年。
二十一年ぶりの帰国でした。
新羅経由だったと『日本書紀』には書かれています。

中大兄皇子(天智天皇)の崩御はわずか47歳の時でした。



帰還した得許は旧山門郡までやって来て中大兄皇子の祈りの場を訪ねます。

それが、みやま市の太神宮(だいじんぐう)。
七支刀を持った神像がある磯上物部神社のすぐ近くです。

太神宮では天智天皇が即位する前に神籬を作って、朝夕祈っていたそうです。





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得許は太神宮を奉納したといいます。
祭神は天照大神。

得許が捕虜になった時はまだ若々しかった中大兄皇子。
まさか、あの中大兄皇子が自分より先に亡くなるとは。

そんな得許の思いが伝わってきそうです。

供養の意味を込めて神籬の後を神宮にしたのでしょうね。
きっと、生前の皇子のことを良く知っていたのでしょう。











他の物語はコチラ<ことのかたり>に置いています。
http://lunabura.exblog.jp/i235/






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# by lunabura | 2016-08-26 22:10 | <ことのかたり> | Trackback | Comments(2)

高良玉垂宮神秘書 黒龍紋は玄孫大臣



黒龍紋は玄孫大臣




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この不思議な絵は「高良玉垂宮神秘書」に載っているもので、
黒龍紋を具体的に描いたものだ。

241条に書かれている。


描き方の指示が載っている。

五か所ぐるりと巻くように。
ウロコと足と手、顔そして尾は剣の形。なるほど尾の形は特徴的だ。


これは玄孫大臣の紋ということなので、武内宿禰の紋と解釈した。




門光紋というものがある。


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住吉神が四天皇として雲間から現れたようすを描いた紋だ。

この住吉神は何故か兜率天に居た。
(神が仏の世界にいたという不思議)





本条の説明を書こうとしたが、
論理が破綻していて、上手く説明できない。(´・ω・`)

要するに、
天武天皇即位二年に仏教が入ってきて、上宮も下宮も物部氏が頭領となったため
黒龍紋も門光紋も同じように使うようになったということ。

上宮は安曇から物部そして住吉と変わるので、ややこしい。


「玄孫」ということばも、1条ではアマテラスのひ孫だと書いているのに
本条では龍宮の孫と書き換えている。

書いた本人ももう分からなくなっているのだろう。
取りあえず、原文を平仮名書きに代えたものを掲載。



五輪が終わった夜長にチャレンジしてくれたまえ。

そういえば、この黒龍も五輪だ。

この話はややこしすぎて、歴史カフェでは触れませぬ。




「二四一条
一、表筒男尊 玄孫大臣の異国のヲンムケニハ、御紋は黒龍にて、五所巻きたる龍なり。イリコ、足、手、面(つら) 尾の剣までありありと描くべし。これリウコウの御孫たる故なり。母方なり。御兄弟の流れなれば、大菩薩の御紋、門光を今に大祝職紋にいたすなり。大祝職の紋、黒龍を大菩薩の御紋にいたすこともあり、これ即ち大菩薩、大祝職同体異名たる故たり。門光を五ところ描き、龍をかくのごとく描くなり。」





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# by lunabura | 2016-08-24 22:23 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(16)

ひめちゃご7「龍神の女」と「水神の女」



ひめちゃご7

「龍神の女」と「水神の女」
 

5条 水神ノ女 竜仁ノ女二人有、竜人ノ女ハ イツク嶋大明神、
水神ノ女はムナカタ大明神ナリ

これは『高良玉垂宮神秘書』の第5条の原文。
比較的読みやすい条なので、そのまま載せてみた。
以下に私訳。

水神の女と龍神の女の二人あり。
龍神の女はイツク嶋大明神、
水神の女は宗像大明神である。


いったいこれはどういうことだろうか。
今「ひめちゃご」で「ヒメコソ」神に触れているところだが、
重要な条文だ、と今頃気付いた。

5条には「龍神」と「水神」の違いがある。

一般に「龍女」と出てきたら「豊玉姫」のことを指す。
志賀海神社は「龍の都」(たつのみやこ)というが、
「海神」とはすなわち「龍神」のことだ。

海神豊玉彦の娘が豊玉姫なので、龍女と呼ばれるのだろうと考えている。



しかし、5条では龍神の女は市杵島姫だと書いてある。
何かまだ知らない概念があるようだ。



それに対して、筑後川で信仰をはぐくんできた水沼族は
まさに「水の神」宗像大明神を祀っていた。



宗像三女神は、今では「水の神」というより「航海の神」となっている。
それは時代によって役割が変遷するものだから、問題にはならないのだが、
5条での一番の問題は、イチキシマ姫と宗像大明神が別神だという点だ。


ずっと追いかけている「二女神と市杵島姫」の思想がここにもあったのだ。





『神秘書』の成立はいつのことか。
1600年前後だと判っている。ちょうどNHKの「真田丸」の時代だ。

『神秘書』の始まりは、仲哀天皇と神功皇后が描かれているので、
本全体では西暦200年頃から1600年頃までの約1400年間の内容を含んでいる。

『神秘書』の成立について、551条では
老翁が出現して三日間、天地開闢から未来までを告げたと書いているが、
実態は、各時代に書き留められて何度か編纂されたものを
江戸時代が始まろうとする頃に、一冊にまとめたものと考えられる。


その時に削除されなかったのだから、
「市杵島姫と宗像大明神は別神だ」という話は、
少なくとも1600年頃には受け入れられていたことになろう。



このタイミングで5条を読み直すシンクロに
何らかの教えがあるのを感じずにはいられない。






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# by lunabura | 2016-08-21 20:52 | ひめちゃご | Trackback | Comments(2)

白鳳元年と白鳳二年



白鳳元年と白鳳二年




「白鳳年号」は正史には登場しない。
九州年号と言われている。

現在、『高良玉垂宮神秘書』の抜粋版を推敲している最中だが、
白鳳年号がいくつも出てくる。

白鳳二年に高良山では大事件が起こっていた。

それまで大祝として祭祀を務めていた物部氏の美濃理麿保続に
高良大明神が垂迹し、
「我は発心して高良大菩薩となる。俗体は保続に譲る」
と告げたというのだ。

そして、保続は訪れた修行僧の教訓を受けて出家してしまう。

それまで、仏教を受け入れなかった高良山に、ついに
仏教が入って来たという大事件が起こった年が白鳳二年だ。

この年は癸酉(みずのととり)とも書かれていることから、
西暦673年の事と特定できた。

この673年の事件について、「白鳳二年」と記す条のほか、
「白鳳十三年」と記す条が出てくる。
後者は「二中暦」で書かれていることが分かった。

また、同年を「天武天皇即位二年」と記述する条もあり、
あれこれと調べた結果、どれもが正解で、
673年を寺社暦では「白鳳二年」、二中暦では「白鳳十三年」と計算していた。

高良山では、混乱を避けるために、この年を
天武天皇即位二年「癸酉」とも書き、
表記に工夫をしていることが分かった。



さんざん「白鳳年間」のことを調べた結果、頭に焼き付いていたので、
今日、朝倉の恵蘇八幡宮を読みなおして、
ここにも「白鳳」の年号が出ていたことに驚いた。


その概略は、中大兄皇子がここに天降八幡社を創建したが、
天武天皇白鳳元年に社名を恵蘇八幡宮と変えたという。

ここでも「白鳳元年」という寺社暦が使われていたのだ。



恵蘇というのは恵蘇星といって、シリウスを指すが、
これはベツレヘムの星でもあり、
エソ、ヤソという連想を古代でも持っていたことが真鍋から読み取れる。


当時でもバタ臭い名前に変更したのは誰か。

それが天武天皇の勅命だという。



その翌年、高良山に仏僧が入って、大祝が出家してしまったのだが、
天武天皇の差し金ではないかと、漠然と思うようになった。


つまり、高良山への刺客だ。

神道の山に寺院が建てられるようになった。
この時、安曇と物部の高良山での棲み分けは終了し、
高良山は物部一色となる。

白村江の戦いでの敗戦が大きなきっかけに違いない。

天武天皇はあの竈門山(かまど)に宝満山と名を変えさせてもいる。

戦後処理という言葉ではニュアンスが多少違っているが、
天武天皇が筑紫の古い形態を書き換えようとした
痕跡が見られる「白鳳年間」である。




827の歴史カフェは「高良玉垂宮神秘書」ですが、
主にこの白鳳二年より以前の内容になります。

白鳳二年に関しては、少々触れる程度になります。





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# by lunabura | 2016-08-20 22:56 | メモ | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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