ひもろぎ逍遥

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小春



小春




雪や雨が続く日々。

福岡は日本海気候なので、冬はおおむね、どんよりとするのですが、
気が付くと庭に花がいくつも咲いていました。






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これは真冬にも咲くようになったツツジ。







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今、小さな花を咲かせるべく、パソコンに向き合っています。


いずれご案内できる日が楽しみです。





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# by lunabura | 2018-02-19 19:56 | にっき | Trackback | Comments(0)

邪馬台国論争 拝聴



邪馬台国論争 拝聴



今日は飯塚コスモスコモンで「古代の鉄」のフォーラムがあったので、
拝聴してきました。

鍛冶施設が全国規模で展開する話など
普段は聞けない内容がありました。

中国北部から朝鮮半島にかけて古い形態の鉄生産があり、
漢などに先進の鉄が出てきても、その技術は渡らないようにしていたそうです。

古い形態のエリアが、ちょうど一目国~高句麗壁画の分布と重なります。
賀茂氏が全国に展開するのも似ていますね。

「戈」(か)は北部九州独特のものらしいです。
飯塚の綱脇神社境内から出土したのも銅戈でしたね。

「鉄戈」もまた段々巨大化していくそうです。

武器が「祭器」となっていくのは日本独自の展開ですが、
武器が殺傷のためでなく、神を宿すものとなっていく様子は、
例えば物部氏が「ふつのみたま」「ふるのみたま」など、
「剣の霊力」を神として祀る点と符号します。

また、剣から三女神が生まれてくるという思想も武器とは違う霊性を
剣に見出したからといえます。


鉄の素材を朝鮮半島に求めたと魏志倭人伝などにありますが、
弥生時代の製鉄遺跡は朝鮮半島ではまだ出てこず、
古墳時代からようやく出てくるそうです。

素材としては鉄鋼石か砂鉄しか話題に出てきません。
スズ鉄に関しては、これまで一度も考古学では調査結果を聞くことができないので、誰も研究していないのかな、と寂しく思いました。
工学系の古代鉄にはスズ鉄の話がきちんと出てきます。



邪馬台国の時代は鉄に関しては北部九州が圧倒的に進んでいたそうで、
奈良ヤマト説の論拠として、北部九州が進みすぎでいる。
卑弥呼のクニはもっと原始的な世界だ、
だから奈良なのだという話が出ました。

鉄は国家というほど、重要な要素ですが、
鉄が無いクニが鉄を持っているクニを支配したような論の矛盾を感じます。

そして、北部九州より原始的な奈良ヤマトが、
その時代にいきなり日本で一番進んだ前方後円墳を造ったようなデータを出されたので違和感を感じました。

奈良の前方後円墳だけが弥生時代になってしまった考古学の世界。
全国のデータもきちんと整理してほしいです。

奈良ヤマト説の方々は最終的に「そうあってほしい」という言葉を言われましたが、感情や希望論は捨てて、論理的な整合性のある話を聞きたいなと一般人は思うばかりです。



20180218


RKBラジオ
「古代の福岡を歩く」
毎週土曜日20時~20時30分
「神功皇后伝承を歩く」
⑧2月17日⑨2月24日
RKBラジオ→ラジコで生視聴
HP→番組→アーカイブ
ラジオクラウド→アーカイブ

つなぎレンガ座
3月4日(日)3時~5時
佐賀の神功皇后伝承
「天皇家を支えた武内宿禰の里」
-神功皇后は三度、訪れたー
会場 小城鍋島家Ten
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# by lunabura | 2018-02-18 20:46 | ◆古代鉄・スズ鉄 | Trackback | Comments(1)

RKBラジオは鞍手町でしたよ




RKBラジオは鞍手町でしたよ



今日のラジオ放送『古代の福岡を歩く』は鞍手町でした。
脇巫女の舞台です♪

古物神社や神崎(こうざき)神社がメインでした。
懐かしいですね。

鞍手には物部二十五部衆のうち、熱田、芹田、饒田が地名に残っている話。
古物神社の剣信仰。

新羅僧・道行が盗んだ草薙剣がここに落ちた話。
スサノオが通った話。

六ケ岳に三女神が降臨した話。
そして、磐井の乱のあと、磐井の子の北磐津が奴婢になった話。

それから、鞍手の英雄、鞍橋君が百済王子を助けた話。
その鞍橋君は磐井の孫だった話。
などなど。

特に、磐井の時代の話はカットされるかな、と思いつつ、
話だけはしておいたのですが、全部放送していただきました♪

この話はブログには全部書いていますが、
一つのストーリとしては話していないので、
新鮮に聞けたのではないかと思っています。

で、星読さんに連絡したけど、途中でようやく連絡がつきました。
鞍手宣伝しておいたからね。
と言いつつ。

星読さんが歴史カフェに来てくれた時も、
鞍橋君の話のタイミングで電話が入って退席されたりして、
伝わっていなかったのです。
だから、安心しました。


番組の後半では、
レポーターの中島さんが、いつもおいしいものを見つけて
レポートしてくれるのが楽しみになりまして(^^♪

今日は「さわら」のイベントの話とかあってて、興味津々。
芦屋の「さわら」は一本釣りだって!
これは美味しいはずだね。



今日は無線ルーターのトラブルで何時間もロスしました。
こんな日もありますね。
ラジオを聴いて元気になりました。


圏外の方はラジコで、あるいはアーカイブでどうぞ。

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毎週土曜日20時~20時30分
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# by lunabura | 2018-02-17 21:13 | RKBラジオ 古代の福岡を歩く | Trackback | Comments(0)

風土記 メモ



          風土記 メモ




「肥前国風土記」とこれまでに訪問した佐賀の神社をリンクしたいなあ、
と思いながら平凡社の文庫本『風土記』を見ていると、
違うページ、どれもこれも面白くて、
記事を書く時間に間に合わなくなってしまいました。

で、今日は面白かった所などのメモをしておきましょう。

纏向にいた天皇
「纏向の日代の宮に天の下を治められた天皇」
って誰?
答えは景行天皇です。

纏向といえば、卑弥呼か邪馬台国かという論争がありますが、
景行天皇の日代宮があったんですねえ。
いったい何処にあるのでしょうか。
何らかの伝承や神社が残っているでしょうか。
ご存知の方教えてくださいね。



「美奴売(みぬめ)の神と息長帯比売天皇」

うっ。
「みぬめ」って「みぬま」?

「息長帯比売天皇」は神功皇后のことです。
やっぱり神功皇后は天皇になっていたんですねえ。
中国正史にも天皇と書かれているし。


風土記では、この息長帯比売天皇が筑紫の川辺郡の松原で神々に祈った時に、
「美奴売」神が「私も守護してお助けしましょう」といって
自分の山の杉の木で船を造るようにいわれたと書かれています。

最後に船が動かなくなった場所を「美奴売」というそうです。
「美奴売」は「敏馬」と書いて、
現在の神戸市灘区の海岸にあったそうですよ。
もし、三女神が祀られていたら、かなり面白い事になりますね。

ちなみに筑紫の「川辺郡」は糸島の志摩の方にありました。
一般には神戸で探してあるようです。



宇治天皇
宇治のワキイラツコが何故だか、志賀島の山中に祀られていますね。
神功皇后の孫に当たりますが、自分は即位せずに
仁徳天皇に位を譲って自害したという話があります。
が、風土記逸文には天皇だったと書かれていますよ。


日本書紀とは違うアレコレ。
忘れ去られたアレコレ。
筑紫の伝承を沢山学んだあとなので、新しい観点で読みました。




◆サイドバーより◆
つなぎレンガ座
3月4日(日)3時~5時佐賀の神功皇后伝承「天皇家を支えた武内宿禰の里」-神功皇后は三度、訪れたー会場 小城鍋島家Ten詳細はコチラ

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# by lunabura | 2018-02-16 20:44 | 風土記 | Trackback | Comments(2)

木の芽起こし



木の芽起こしの雨もよう。
紅梅が咲き始めました。

お正月に室内の梅を咲かせるためには、
霧吹きで優しい雨を再現すると咲き始めます。

そんな優しい春の先駆けの雨が降っています。

そして、この季節は「木の芽どき」でもあります。

そんな春の訪れに、少しバタバタしていました。
ようやく平常モードです。




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# by lunabura | 2018-02-15 20:26 | にっき | Trackback | Comments(0)

『肥前風土記』小城郡 おきのこおり



『肥前風土記』

小城郡 おきのこおり



さて、3月4日の歴史講座の話をいただいたとき、佐賀ではあまり古代史が話題にならないと聞いた。幕末の研究が盛んらしい。

私にとっては、佐賀は『風土記』の国だ。
『肥前風土記』は現存する5つの風土記のうちの一つなのだ。

誰か、『肥前風土記を歩く』のようなガイドブックを書いているのではないか、と思ったが、どうだろうか。そんな話にまだ出会っていない。

今、『肥前風土記』を開くと、景行天皇の話がたくさん出ている。
それから、日本武尊、そして神功皇后。

この三人のことを知っていれば、流れが分かるといっても過言ではない。
大分の『豊前風土記』もほぼ景行天皇の話だ。

いったいどうしてこの天皇に照準を当てているのだろうか。
二つの風土記は景行天皇が九州を武力で統一する物語とも読めるのだ。

逆の立場でいえば、女王国がいくつもあって、小さな小競り合い程度で暮らしていた時代、強大な武器と軍勢を持って戦いを挑んできた侵略者。
それが景行天皇ということになる。

ブログを書きながら、折々に佐賀の古社を訪れて蓄積したものがあるが、今あらためて『肥前風土記』を見ると、7割は網羅したような印象だ。


そして、空白になっているのが、小城だった。

「小城」の読み方が分からない人も多いのではないだろうか。
「おぎ」と読む。

何故「小城」と書いて「おぎ」と読むのか。
昔の人も同じことを思ったのだろう。
『肥前風土記』にはその理由が書かれている。

「昔、この村に土蜘蛛がいた。堡(おき)(とりで)を造ってこもり、天皇の命に従わなかった。日本武尊が巡幸された日に、みなことごとく滅ぼされた。それで小城の郡と名付けた。」

天皇とは景行天皇のことだ。日本武尊はその皇太子だった。
景行天皇に従わなかったクニを日本武尊は討伐していった。

小城の土蜘蛛は堡(オキ)に立て籠もって抗戦した。
その「オキ」が「オギ」になったという。

原文が今手元になく、確認できないが、
「堡はいにしえには乎岐(こぎ)と訓ずれば、改めて小城と申す」
という一文があるようだ。

土蜘蛛は何処に砦を造っていたのだろうか。
多分、地形にその答えはある。

日本武尊によって小城の土蜘蛛は滅ぼされた。


これは『脇巫女』の時代ではないか。
鞍手から船に乗って戦い、鞍手に戻っていく日本武尊。

まだまだ、『脇巫女』の続き、知らねばならないことがあるのだろうか。








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# by lunabura | 2018-02-13 21:20 | 風土記 | Trackback | Comments(0)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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