ひもろぎ逍遥

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明日は「中大兄皇子と朝倉橘広庭宮」



明日は歴史カフェ。

「中大兄皇子と朝倉橘広庭宮」
―斉明天皇と中大兄皇子の祭祀から広庭宮を推定するー

というタイトルです。

今回は朝倉市の神社の縁起に書かれている位置情報から
広庭宮の位置を推定していきます。


斉明天皇と中大兄皇子の祈りを時系列に紹介しますが、
テキストはガイドブックのように現地を廻れるような構成にしました。
(本の形にはなっていないのですが)


良い地図があったので、当日は印を付けながら謎解きをしようと思います。
参加の方はマーカーか色鉛筆を二色程度お持ちください。

また、時間があれば『神功皇后伝承を歩く上下』に掲載した
関連の神社を確認したいと思います。



今回の登場人物は「斉明天皇と中大兄皇子と藤原鎌足」ぐらいなので、
分かりやすいと思います^^

次の二首は天智天皇の御製です。

  秋の田の刈穂の庵のとまをあらみ
  わが衣手は露に濡れつつ    (小倉百人一首)

  朝倉や木の丸殿に我が居れば 
  名乗りをしつつ行くは誰が子ぞ (新古今集)

中大兄皇子が母のモガリをした時の歌で、
朝倉市恵蘇八幡宮の所で詠まれたそうです。

筑紫の古代を中大兄皇子を通してみていきます。

それでは、明日お会いしましょう。





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# by lunabura | 2016-09-24 20:54 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご20 天智ゆかりの二社 狩尾神社 厳島神社



ひめちゃご20

天智ゆかりの二社 狩尾神社 厳島神社
 




今日は調べものをしていると
何故か、天智天皇関連の神社が新たに二つ出て来た。
北九州市の狩尾神社と朝倉市の厳島神社だ。

狩尾神社は山鹿半島の西部、狩尾岬にある。
「千畳敷」という、面白い岩盤の海岸があるので、
バスハイクの時間調整の候補としてリストアップしたのだが、
道を覚えておらず、確認していてヒットした。

社号の「狩尾」は山城国岩清水の狩尾神社を勧請したとあるが、
天智天皇がここで狩をしたことが由来するともいう。
主祭神は大国主命。

狩をするほどなので、磐瀬宮での滞在時間は長かったのだろう。

現地には岬をまわる「なみかけ遊歩道」があって、
潮風の中の楽しい散歩道となっている。

潮が満ちていたからか、全く記憶にない風景だった。
しかもカメラ忘れ。

狩尾神社はすぐに分かったが、長らく人が足を踏み入れていない気配で、
参拝を遠慮した。

どうしても風景が記憶に合わず、後で調べると、
やはり場所が違っていた。

ということは千畳敷という地層はかなり広く分布していることになる。
地球のダイナミックな動きが目に見える響灘(ひびきなだ)沿岸だ。

例の如く、勘違いから天智天皇ゆかりの宮へと繋がった。



さて、天智天皇ゆかりの神社、もう一つは、
歴史カフェのために分かりやすい地図を探していた時に見つかった。

朝倉の平松バス停付近に厳島神社があり、
斉明天皇が中大兄皇子に創建させたとある。
祭神は「市杵島姫」一座。

これで、斉明天皇は「志賀様」と「市杵島姫」を祀って、
安曇水軍と宗像水軍の神助を祈願したことになる。

しかし、祀ったのが三女神でなく、「市杵島姫」のみという点が
「ひめちゃご」のテーマに引っかかる。

今日も天智天皇と関わった不思議な一日だった。

カテゴリは「にっき」でもよかったのだが、
どうも気になるので、「ひめちゃご」に投入した。







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# by lunabura | 2016-09-22 19:53 | ひめちゃご | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご19 離石神社 イザナミの磐座



ひめちゃご19

 離石神社 イザナミの磐座
 


奥八女の宮に戻ろう。
最後に参拝したのが「離石神社」だ。「はなれいし」と読む。







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この磐座の画像。
「はなれいし」と言われながらも、「はなのいわや」と聞こえたのが
この奥八女の旅のきっかけだった。

「はなのいわや」は「花窟」と書く。
三重県熊野市に鎮座する宮だ。
イザナミの墓所とも言われている巨大な磐座がある。






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遠くかけ離れたここ、筑紫の八女の奥にある離石神社も祭神は「イザナミ」だという。

偶然にも紀州と奥八女がつながった。






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それにしても、どうしてこの白木川沿いにイザナミが単独で祀られているのか。

以下のように「福岡神社誌 中」を見ても由緒は分からない。

「村社 離石神社 八女郡白木村字東一ノ瀬
祭神 伊邪那美神
由緒 不詳、明治6年3月24日村社に列せられる。
例祭日 11月15日」


祭神は「伊邪那美神」一神だけなのだ。
一柱だけという宮はとても珍しい。

いったい誰が磐座を置き、イザナミを祀ったのか。





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ご神木は楠のようだが、この楠が磐座群に食い込んでいる。
樹齢はまだ1000年には満たないだろう。

楠はこれからさらに巨大化するので、残念ながら磐座群は破壊されていく。
これも自然の営みか。

原型を見てみたいという思いはある。









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拝殿の彫り物の豪勢さは当時の信仰の篤さを示している。
菊紋だろうが、小菊のように見える。





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花窟との関わりは同じ「イザナミ」を祀るという事以外には分からない。




しかし、チェリーが意外な測量図を送って来た。


それは大地に描かれる二等辺三角形を示した地図だが、
その底辺の左のポイントには七支刀の「こうやの宮」があり、
右のポイントには「小国両神社」があった。

「小国両神社」は阿蘇山の「炎のピラミッド」を形成する一社だ。

「こうやの宮」と「小国両神社」を底辺とした二等辺三角形の頂点には
「麻氐良山」があった。

その「麻氐良山」(まてらやま)こそ、
中大兄皇子が母の斉明天皇の命乞いのために
麻氐良布神社の複数の祭神の中で、イザナミだけを降ろして祀ったという山なのだ。
だから、イザナミは消えている。

これが今月の歴史カフェのテーマに連なってくる。

この離石神社はその二等辺三角形とは関連はないのだが、
「ひめちゃご」としては「イザナミ」というキーワードが浮上した。

「花窟」(イザナミ)-「離石」(イザナミ)-麻氐良布(イザナミは朝倉橘広庭宮のそばに)

イザナミは日本神話の大母たる女神であり、
黄泉の国の住人となった哀しき女神でもある。


このタイミングでイザナミの話をするとは思いもよらなかった。

堂々巡りの大きな螺旋に呑み込まれていくのだろうか。
大地母神たるイザナミの螺旋に。

何故、中大兄皇子がからんでくるのか。

答えはまだ見えない。



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# by lunabura | 2016-09-21 20:34 | ひめちゃご | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご18 景行天皇の三女神信仰から見えるもの



ひめちゃご18

景行天皇の三女神信仰から見えるもの
 



そういえば、景行天皇は三女神の縁が深い。
景行天皇が三女神を祀った宮が二つあったことを思い出した。

一つは朝倉の福成神社。
もう一つは久留米市の赤司八幡神社である。

そのいずれもが水沼族の領土だったと考えてよいだろう。
そこは筑後川水系である。



景行天皇を道案内したという「猿大海」(さるおおみ)の館は
赤司八幡神社にあったという話を宮司から伺った。

猿大海は景行天皇を自分の館に連れて来たことになる。
天皇はそこで詞壇を構え、三女神を祀った。
その三女神を「道主貴」(みちぬしのむち)という。

『日本書紀』では「三女神を祀っているのは水沼の君」という伝承も書いていて、
その現場がこの赤司八幡神社となる。

「水沼(みぬま)三女神」と「宗像(むなかた)三女神」は違うのか。
否。
同じだと思う。

多分、「みぬまさま」という意味で「みぬま方」と言われたのが
「むなかた」に訛ったのだろう。

水沼族は水軍を持っていたが、筑後が洪積平野となっていくにつれて、
水軍力が発揮できなくなった。

のちにその水軍力を玄界灘で発揮したのだと思う。
そのきっかけは三韓遠征だったと考えている。

筑後川は有明海が深く進入していて、干満の差が激しかった。
そのピークは一日に50分ずつずれていく。
月の観測は欠かせない。
月の観測に長けていた水沼族は太陽暦との調整も長けていた。

だから、川から海へと拠点を移しても新しい環境にうまく順応したのだろう。


この月の観測が「水沼」という巫女の祭祀を支えた。
満月の夜に月の変若水を水に写し、貴人に捧げたのが「水沼という巫女」なのだ。

そうすると「みぬま」は月の巫女であり、水の巫女でもあったということになる。
その巫女がそのうちに神と称されたという。

「みぬま」-「二女神」-「月の女神」「水の女神」
そんな流れが心に浮かぶ。

「ひめこそ」は「星の女神」「水の女神」といったところか。

水沼については、「下巻56赤司八幡神社・78大善寺玉垂宮」を
併せて読めばそのあらましが見えると思う。


水沼の三女神がどれほど重要だったか。

それは景行天皇が自分の代わりに国乳別(くにちわけ)皇子を
天皇代行として置いたことからも良く分かる。

この国乳別皇子が猿大海の姫を娶って水沼の祖となった。

もちろん、『祖』というのは『日本書紀』独特の書き方で、
古来、水沼君はずっと三潴(みずま)にいた。


三女神信仰は、つぎに、福成神社(下巻53)にも出てくる。
ここでも三女神を祀ったのは景行天皇だ。
のちに神功皇后、そして斉明天皇・天智天皇が参拝する。

そう、ここで再び景行天皇と天智天皇の名が重なった。

矢部川水系には安曇の名が見えた。
筑後川流域に水沼がいて、棲み分けをしていたのではないかという
古代の姿がおぼろげに浮かんでくる。

しかし、神功皇后によって大善寺玉垂宮は安曇に与えられた。
だから、氏子たちは、そこはもともと女神だったというのだろう。

三女神から玉垂命へと信仰を変化させたのは神功皇后だ。



三女神あるいは二女神信仰は景行天皇の時代までは
赤司八幡神社を最上の聖地とし、
大善寺玉垂宮はその湊として栄え、
弓頭神社は政治の地として栄えた。
そして、福成神社は水軍の訓練地における聖地だった。

こうして三女神信仰すなわち水沼君は久留米市から朝倉にかけて、
広大な領域を支配していたと考えている。

水沼君が筑紫君の始まりだった。



ここまで書いていて、今、思い出した。
大己貴信仰の宮も「大己貴神社」(旧三輪町)(上巻42)
「美奈宜神社」(林田上巻43)と、筑後川水系にあった。
この大己貴の神々もまた三韓遠征の時に玄界灘を体験していたのだ。

そうすると、二女神と大己貴の縁組はこの筑後川流域の話だったのだろうか。







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# by lunabura | 2016-09-19 23:13 | ひめちゃご | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご17 宇津羅姫と葛築目の明暗



ひめちゃご17

宇津羅姫と葛築目の明暗
 


みやま市瀬高には宇津羅姫(うづらひめ)の墓がある。

そこは「宇津」という地名だ。
その女酋長「宇津羅姫」は大地主神の娘だったという。

この姫は景行天皇を黒崎(大牟田?)から、
ここ(?)岩津の高田行宮まで守護したという。

その姫と父が肩を寄せ合って眠る墓が伝わっている。
場所は釣殿宮の近く。





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釣殿宮から南に行くと川があり、その手前すぐ右手だ。
釣殿宮からは300mほどか。

小さな鉄板の橋があった。
この墓には周溝があるというので、橋の下がそれだったのだろうか。
左手には豊かな川が流れていた。
その川の名は飯江川(はえがわ)という。


宇津という弥生の集落が飯江川河口沿いにあったことが想定できる。

「宇津」が「太神」と同邑だったのかは不明だ。
この宇津羅姫は景行天皇を歓待した側となる。


景行天皇は各地の王国、女王国に、まつろわぬか、まつろうか、
二者選択を迫って巡行した。

まつろわぬなら滅ぼされ、まつろうなら身を差し出さねばならなかった。

景行天皇の筑紫国巡行は、それぞれの弥生の国々にとっては、
クニが滅ぶかどうかの大問題だった。


筑紫の各地に、景行天皇と対峙した女王たちの名が残っている。
『日本書紀』に書かれているのはほんの一部に過ぎない。

しかし、景行天皇との攻防が、奇しくも当時の邑の分布を教えている。

この宇津羅姫の存在は、筑後川河口域に一つの邑があったことを示す。

これまでの逍遥のなか、出会った姫たちを思い起こした

景行天皇を受け入れた女王としては神夏磯姫(かむなつそひめ)が有名だ。
しかし、田川の香春岳の開発に追いやられた。
美貌の姫だったが、不幸な生涯となった。

その後裔に夏羽と田油津姫兄妹がいる。
夏羽は朝廷を恨み、田油津姫は神功皇后を暗殺しようとした。

結果は兄妹の惨敗。
(下巻60若八幡神社参照)


田油津姫が殺されたのはここ、みやま市なのだ。

その先代に女王・葛築目(くずちめ)がいた。
葛築目は景行天皇を受け入れずに殺された。
(下巻59老松神社参照)

葛築目が景行天皇と同じ時代なら、宇津羅姫とも同時代となる。
一方は殺され、一方は栄えた。

二人の女王は、みやま市の北と南で対立していたのかもしれない。
そこは、かつては「ヤマトのクニ」といった。

葛築目の墓は雨が降ると血が流れると言われている。
この墓はあるいは田油津姫の墓ともいう。

弥生の朱が流れ出すのだろう。

景行天皇の存在を介して、同時期に生きたことが分かった
二人の弥生の女王たち。

その明暗をしのばせる墓はいずれもほんのりとした墳丘を残していた。




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※メール、コメント、電話など、返事が滞っています。
拝読していますが、返事は今しばらくお待ちください。






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# by lunabura | 2016-09-18 19:47 | ひめちゃご | Trackback | Comments(2)

長門の旅



今日は天気に恵まれたバスハイク。
神功皇后ゆかりの長門の旅でした。
仲哀天皇の皇宮、豊浦宮がメインです。

初めての取材の時には、地図を何枚も持って、
伝承の地を探しに行ったので、苦労したのですが、
今回は距離感もしっかりできていて、
自分の仮説などを検証する一面もある旅でした。

参加の皆さまとも楽しく交流できました。
ありがとうございます。
バスハイクは楽しいですね。

拙著『神功皇后伝承を歩く』は「福岡県の神社ガイドブック」と銘打ちながら、
忌宮神社がどうしてもはずせず、下関を冒頭に掲げました。

やっぱり忌宮神社無くしては神功皇后伝を語れないと、
その重要性を再認識しました。

バスハイクはまた行います。
神功皇后の百社巡りがゆるりとスタートしたのかな。

百社回る、と確定した訳ではありませんが、
依頼がある限り、少しずつご案内するつもりです。

本を書くためにバラバラに参拝した神社の数々。
それをガイドブックの順に回れるなんて、幸せ者です。









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# by lunabura | 2016-09-16 22:15 | にっき | Trackback | Comments(2)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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