ひもろぎ逍遥

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ひめちゃご71  英彦山―日王―六ケ岳三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった



ひめちゃご71

英彦山―日王―六ケ岳
 

三女神ラインは 日子―日王―日子 ラインだった

謎のグランドクロスの手掛かり




次の画像は「姫神の謎を追って」3で作製した三女神関連の画像。
数年前のものだ。
http://lunabura.exblog.jp/23357916/


c0222861_21415577.gif

「英彦山」の伝承と他の神社縁起をアバウトにつないでみた。

大己貴と二女神が結婚して住んでいた北嶽に天忍穂耳が来たので、
大己貴と三女神が宗像に遷るようすをライン化したものだ。

今見直してみると、その当時の理解から殆ど前進していない(´・ω・`)


前回70の話題は青いライン上にある日若(日少)神社などのことだったが、
「日若」「日少」と「日王山」に共通する「日」が気になっていた。




すると、
チェリーがピンクのライン上に「日王山」が乗ってくることを発見した。

私がアバウトに描いたピンクの三女神ラインは
チェリーの厳しい基準をクリアして存在したのだ。







c0222861_19433338.jpg

英彦山―日王山―六ケ岳のラインだ。
英彦山には三つのピークがあり、六ケ岳は六つ以上のピークがあるが、
図に描かれた三本の微妙な角度差のラインは全部日王山を通っている。








次はその部分拡大図だ。南から載せよう。

c0222861_19435336.jpg

青(南岳)、紫(中岳)、赤(北岳)から発するラインは










c0222861_19441563.jpg

すべて日王山を通り、











c0222861_19443021.jpg

六ケ岳の三つのポイントに届く。

青(南岳―日王山―羽衣)、
紫(中岳―日王山―グランドクロス交点)、
赤(北岳―日王山―崎門・六嶽神社上宮)

この中の「グランドクロス」の名はチェリーが発見して命名したもので、
「天冠―旭(六ケ岳頂上))と「羽衣―出穂」のラインが
東西と南北を正確に結ぶことからつけている。


この天冠と旭と羽衣の三つには重要な共通項がある。

それはニニギ尊だ。
ニニギ尊のなきがらを「旭」に、冠を「天冠」に、
衣を「羽衣」に埋めた伝説がある。

それらが作る十字架の交点に、英彦山中岳―日王山の矢が突き刺ささっている。
それが紫ラインだ。


英彦山はもともと日子山と表記していた。日子である天忍穂耳を祀る。

一方、日王山は日神(アマテラス)と三女神を祀る。
天忍穂耳はアマテラスの子だ。

天忍穂耳とニニギは父子だ。

だから、このラインはアマテラス三代のラインとも言い換えられる。

日神(アマテラス)―日子(天忍穂耳)―日子(ニニギ)の三世代が
山の上では
日子(英彦山)―日神(日王山)―日子(六ケ岳)
と繋がっていることになる。



これを整理すると、
ニニギ尊に関わるものを埋めた六ケ岳の十字架の交点に
日子―日王ラインが差し込むということだ。

まるで、暗号に満ちた宝の地図のようだ。

ニニギの関連のものを「埋めた」という暗号は
グランドクロスの交点に何かを埋めた。
という暗号ではないか。



そんな、目眩のするようなラインの発見だった。

(画像はチェリーの作図で、国土地理院を利用している。)







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# by lunabura | 2017-04-28 19:48 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご70綱分八幡宮ー日若神社―189.3mの無名山 謎のラインが発見された



ひめちゃご70

綱分八幡宮ー日若神社―189.3mの無名山

謎のラインが発見された
 
 
前回は飯塚市の宮地嶽勝守神社について記したが、
今回はそこから東に話題を移そう。

日若(ひわか)神社と綱分(つなわき)八幡宮だ。
同じ飯塚市に鎮座する。

「ひめちゃご63 景行天皇の三女神祭祀」に両社を書いたあと、
そこから水沼に話題が移ったが、今回、再び戻ってきた。

しかし、やはりここでも再び三女神の話題に戻っていく。

「ひめちゃご」では三女神を堂々巡りしているのに驚かされる。






さて、事の発端はこの画像だ。

c0222861_201813.jpg

烏尾トンネルに入る直前に撮ったのだが、
この隠れた神名備山についてチェリーが調べてくれた。
c0222861_20215188.jpg


名が無い189.3mの山で、麓に日若神社があることが分かった。
実際は、日若神社は尾根に阻まれて見ることができない。
透視した位置になる。








c0222861_20185940.jpg

当初私はこの189.3mの山を金石山と勘違いしたのだが、
撮影地点までも特定してくれたうえ、
金石山は烏尾トンネルの南にあることが分かった。

しかも、日若神社と189.3mのピークのラインの延長上に綱分八幡宮が乗ってきた。


このラインは一体何だ!
またもや驚きのラインが発見された。

両社は「水」を介してつながり、189.3mの神名備山を介して結ばれていた。

山に深い意味があるはずだが、これ以上は分からない。






さて、次の画像を見てみよう。

c0222861_20192574.jpg

さらにそのラインを延ばした所に日王山がある。

赤いラインが繋がっていないということは、
チェリーの厳しい基準には合致しなかったのだろう。

微妙に逸れているということだ。

(画像はカシミール3Dにて作成)


チェリーはこのあと、さらに驚きの発見をする。
すでにコメントには書かれているが、次回はその画像と共に紹介しよう。


<2017年4月25日>



『神功皇后伝承を歩く』
日若神社 下巻87 飯塚市 
綱分八幡宮 下巻86 飯塚市










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# by lunabura | 2017-04-25 20:24 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)

ひめちゃご69 勝盛公園と飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守2



ひめちゃご69 

勝盛公園

飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守2
 


勝盛公園の赤い橋を渡ると舗装道路が横切っていた。

正面に道はない。

右手に山に登る遊歩道があったので上っていくと鳥居があった。






c0222861_2013036.jpg

しかし、道がない。
初めての体験だ。

向こうに社殿が見えるが、まさか山の斜面を登るようになっているとは。

右手に迂回したが、結局やはり斜面を登って脇から拝殿の横に到達した。


さらに回って、参道の中途に出て拝殿に向かった。








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拝殿の前。









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この神紋は何というのだろう。
三階松ではなかった。宝珠が三つ重なっているような印象の紋だ。

コンクリートの拝殿の正面には鉄の扉がある。それを迂回して横から参拝した。









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この神祠に前回載せた「勝村大神・勝守大神、勝頼大神」の神名が刻まれている。










c0222861_20142321.jpg

遊歩道の途中にあった石碑には
「宮地岳勝守神社拝殿建築」の文字があった。

やはり、勝守大神がメインだ。
その「勝守」の名から勝盛公園の名称が採られている。


何故、ここに宮地嶽が祀られているのか。

勝守が勝村・勝頼の兄弟だとすると、葛子の子に当たる。
もちろん、磐井君の孫だ。
鞍橋君とも兄弟になる。

これが意味するのは、
磐井の乱で勝利した物部氏と、それを差し向けた大伴氏が勢力を拡大したあと、
この飯塚市(旧穂波郡)は鞍手町と同様に
磐井の末裔が奪還した可能性があるということなのだ。

だから、創始がいつなのか、が重要になってくる。






c0222861_2015633.jpg

参道を降りていって正面に回った。(これは途中の鳥居)
ここは桜の名所なのだろう。
桜の花の茎がびっしりと折り重なっていた。

今日中に解決しよう。
そう思って、私は図書館に向かった。


司書の方たちも一緒に調べてくれたが、
『飯塚市史』(誌?)には勝盛公園の沿革が載っていないし、
宮地嶽神社も由緒不明となっていた。

『飯塚市誌』(昭和27年)には宮地嶽神社の名も載っていなかった。

とりあえず、
「勝盛公園」はかつて「勝守公園」と表記されているのは分かった。
麻生太郎の父・太賀吉が造った公園だ。

ネットで探すと、麻生グループの記事があった。
以下、その一部

<勝盛公園の前身である旧勝盛公園ができたのは大正10年のこと。

まだ地方都市に公共の公園があること自体が珍しかった時代に、
頂上に宮地嶽神社を持つ小高い丘に遊歩道や植栽などを整備した4896坪の
公園としてスタートしました。

勝盛公園が現在の規模になったのは、昭和になってからのことです。

昭和10年1月、麻生の2代目・太賀吉が、
昭和8年12月に亡くなった初代・太吉を記念して、
旧勝盛公園に隣接した8895坪の土地を飯塚市に寄付。
「櫨山(ろざん)遊園地」として開放しました。>

https://www.aso-group.jp/history/achievement_01.html


これで、この丘陵の頂上に宮地嶽神社が
大正10年以前から鎮座していた事が分かった。

何故か、市誌からはもれていた。

この丘陵には古墳もあったということなので、
古代社会でも争奪の対象となるような重要拠点だったことだけが分かった。


<2017年4月23日>

追記
※宮地星が北極星なら、南に何かあると思って探すと、
大将陣山(112m)があり、大将神社が鎮座している。

その近くには「七星」を祀る祠があったという。
やはり北斗七星と宮地嶽勝守神社は関連があるのだろう。





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# by lunabura | 2017-04-23 20:19 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご68  勝盛公園と飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1



ひめちゃご68

勝盛公園

飯塚宮地嶽神社の謎の祭神・勝守 1
 


今日は所用があって飯塚(いいづか)に行った。
日が長くなったので、一ヵ所探索しようと地図を広げた。

そうだ、勝盛公園と宮地嶽神社を確認しに行こう。

何故なら、飯塚に宮地嶽神社があり、
勝村・勝頼兄弟ともう一柱が祀られていて、
それが「勝守」というのだ。

知られていない謎の兄弟がいる。
「勝盛公園」の名は謎の「勝守大神」から来ているに違いない。

その因果関係を確認しにいこう。
第三の祭神の存在は、宮地嶽一族が飯塚を治めた可能性も秘めていた。
新しい勧請か、古い勧請か知りたかった。






c0222861_22311949.jpg

これが最後に見つけた三柱の名を刻むご神体だ。

「勝村」「勝頼」兄弟の間に勝村大神がいる。
ということはやはり三兄弟だったか。


「勝盛公園」の近くは時々通るが、駐車場を見たことがない。
ナビでも出てこない。

とりあえず周囲を廻ってみると
「勝盛公園入口」(記憶曖昧)の小さな案内板を見つけて
鋭角の角を曲がり、駐車場を見つけた。

多くの市民が集っている。





c0222861_22305042.jpg

噴水が印象的な池があった。

二つの山が東の方に見えた。
いずれかが「勝盛山」で宮地嶽神社が鎮座しているはずだが、
鳥居は見えない。

まずは池の周囲を歩いて地形観察をすることにした。







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駐車場から左手の丘に登ると見晴らしの良い広場に出る。
昼下がりの太陽が傾き始めているので、
南西を向いた岬状の丘になっている。

いかにも古代豪族の治めるにふさわしい地形だ。

散歩する人に「神社がありませんか」と尋ねると、
全く知らないようで「すみません」と逆に言われてしまった。









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公園の沿革を書いた掲示板なんかも見つからない。









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遊歩道を辿って赤い橋に出た。
参道に違いない。
正面に山がある。


しかし、鳥居は全く見えなかった。

                    <2017年4月21日>



勝盛公園









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# by lunabura | 2017-04-21 22:37 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(9)

第14回「歴史カフェ」は521と525 「高良玉垂宮神秘書2」



第14回「歴史カフェ」は521と525 

「高良玉垂宮神秘書2」


 
5月の歴史カフェ第14回の「日曜日」はいつもの会場が取れなかったのですが、
午前中なら使えるということなので、

「ひふみ」で5月21日(日)10時半~12時半

に設定しました。



5月21日(日)10時半~12時半
5月25日(木)2時~4時


ご都合のよい日を選んでください。

題は「高良玉垂宮神秘書2」です。

高良玉垂宮の歴史の始まりは仲哀天皇と神功皇后の時代になります。
「高良大社縁起書」も冒頭は「仲哀天皇」です。

「異類」が攻めてくるので、反撃するために新羅討伐に向かう話からです。

それから1500年間、高良山では沢山の史料が書かれ、
それが近世末頃に集められて一巻の巻物になりました。

「文盲のためにカタカナ書き」で書かれたために、
現代人にはかえって読解困難になっています。

私はちょうど『神功皇后伝承を歩く』を執筆したので、
内容が理解できました。
フィールドワークのお陰だと思います。



「神秘書」には色んな謎の答えが書かれています。

謎 仲哀天皇の崩御後、三種の神器はどうなったか。
答 アントンイソラ(安曇磯良)と武内宿禰と神功皇后が一つずつ持った。

謎 神功皇后はどの神器?
答 宝剣!

神功皇后らしいですね。剣を持つなんて^^

「鏡」は武内宿禰が預かって、なんと高良山に伝世しちゃいましたよ。

それが真実かどうかは別として、
まずは「内容を知らないと」ですね。

前回と重なる部分も多々ありますが、
身近な話を中心に「高良玉垂宮神秘書」を解説していきます。


同じ5月に久留米大学公開講座でも解説しますが、
こちらは専門的な話も多く、
土地勘があり、長らく歴史に取り組んでいる人向けに構成します。

「神秘書」を気軽に楽しみたい方は「歴史カフェ」がお勧めです^^
お茶も楽しみましょう。


なお、今回、会場を調べて教えてくださった方
大変ありがとうございました♫
とりあえず、5月は「ひふみ」でやってみます^^

日程 5月21日(日)10時半~12時半
     5月25日(木)2時~4時


会費 1500円 (別途、ドリンクを各自でご注文ください)
   (会費は当日、受け付けにて)
募集人員 若干名(要予約)

会場  オーガニック広場 ひふみ
 福岡県古賀市天神1丁目2-3 
    (JR古賀駅前) 駐車場はありません。
092-944-5755

申し込み方法 
「歴史カフェ521希望」もしくは「歴史カフェ525希望」と書いて、郵便番号 住所 氏名 をご記入の上、メールでコチラに送ってください。
(コメントでハンドルネームを使われた方、よかったらそれもご記入くださいね♪)
メールはサイドバーの「メールはコチラ」からでも大丈夫です。

「一度参加された方」は、
メールフォームを使わずに綾杉の返信から申し込みください。住所は書かなくても結構です。
申し込みがあれば必ず返信しております。返信が無い場合はブロック解除、あるいは「アドレス違い」がないか、調査をお願いします。

返信が戻って来た場合は、サイドバーでお知らせします。
確認されたらもう一度メールをください。
当方の返信代わりにサイドバーの連絡を消します。


オーガニックな食材のお買い物が出来ます。(^-^)
地図 オーガニックひろば ひふみ
 





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# by lunabura | 2017-04-20 20:30 | 歴史カフェ | Trackback | Comments(0)

ひめちゃご67  連玉ビーズは幼な子の胸に



ひめちゃご67

連玉ビーズは幼な子の胸に
 


ロッキーが高三潴の連玉ビーズの公開の画像を送ってくれた。

多分このようなものはネット上でも見ることは出来ないだろう。
貴重な画像を載せて記録としておきたい。

そこには新聞に書かれなかった重要な情報がある。
なんと、連玉ビーズは子供のために副葬されたものだったのだ。

糸島では王墓かもしれないが、
高三潴では幼な子の胸にかけられたものだった。

何故これが新聞には書かれなかったのだろうか。
重要な情報ではないか。












c0222861_2135359.jpg

経年変化のために白濁しているが、見事に姿を留めている。

41基の甕棺があり、何も出なかったと思われたが、
持ち帰って調べて連玉ビーズが確認されたということだ。








c0222861_213622.jpg

しかも朱の中から出て来た。
水銀朱か単なる赤色顔料かは不明だ。














c0222861_2136221.jpg

これを見て目を疑った。二重構造ではないか?
甕棺の中に甕棺が入れられている?

見間違いだろうか。間違っていたら指摘してほしい。
二重構造の甕棺は初耳だ。












c0222861_21364576.jpg

これが連玉ビーズが副葬されていた甕棺だ。
サイズが書かれていないが、
これでは乳飲み子ぐらいしか入らないのではないか。

パネルのサイズから推測するしかないが、
大人用なら驚くほど大きいのだ。


これはよほど身分の高い人の子供だ。

時代は弥生時代後期(1~2世紀)だという。
景行天皇の没年が西暦130年とされている。

何度も書いているが、
その皇子が国乳別皇子(くにちわけのみこ)で
ここから西に130mほどの所の前方後円墳に埋葬されている。

実はその長さは東西258mもあるという。
それはひっそりと掲示されていた。


岩戸山古墳が135m。
測量の基準が違うかもしれないが、それでも相当の大きさなのだ。





明治時代の弓頭神社の神官の船曳鉄門(ふなびきてつもん)にょると、

〈高三潴地域には山陵が三か所あり、皇子から三代がここに埋葬されて、
その後は大善寺の宮本山に埋葬するようになった。

そこにはおよそ47、8か所の墳墓があり、国造家の数十世代の墳墓だった。〉
(拙著『神功皇后伝承を歩く』下巻57弓頭神社より)
とあり、高三潴には国乳別皇子から三代の山陵があることが分かっている。


今回出土した甕棺墓群は水沼一族のものの可能性もある。
水沼一族で夭逝(ようせい)した子だと想像することは許されよう。

連玉ビーズがその身分の高さを証明している。














c0222861_21375787.jpg

画像はレプリカ。












c0222861_21381372.jpg

これは拙著『神功皇后伝承を歩く』に掲げた高三潴付近の地図だ。
出土地は赤い星の右下、「い」と「信」の間付近だそうだ。
持っている方は参考にしてほしい。

烏帽子塚古墳が国乳別皇子の古墳だ。

何とも縁(えにし)を感じさせる位置にあるのだ。



ロッキーに感謝。
                         <2017年4月17日>

画像の著作権はロッキー氏に所属します。
連絡の中継ぎとして、画像には当ブログのサインを入れています。


連絡
04月16日 23時10分にメールを下さった 〇中〇 さま。
返信が戻ってきます。
何らかの手段を考えますね。



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# by lunabura | 2017-04-17 21:41 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(4)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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