ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

糸島バスハイク2  染井の古道を探検した



糸島バスハイク2

染井の古道を探検した
 


c0222861_20002.jpg

染井神社の下宮にいた時、地元の方が話をしてくれました。

下宮から中宮への道があるというのです。
「道は今は無い」と古書に書いてあったので、
まさかのまさか。

しかも、歩いて5分というのです。

5分( ゚Д゚)
5分♪

中宮ヘは染井信号から車で上れます。
一般車両はUターンできますが、
マイクロバスは厳しいので、今回の予定から外していました。

でも、下宮から5分?
なんでそんなに近い?

人の言う5分はきっと15分ぐらい。
と疑うのですが。

皆さん「行こう」「行こう」と張り切ってある。

道についての説明は
「下宮から突き当りを左に行って右。納骨堂はダメ。」

これだけの情報で山道に入るのはいくらなんでも。
しかも、大勢。

でも、行ったことのある私はいいけど、
初めての人は行きたいよね。

ま、道に迷って遭難しても5分だけだし。
お昼御飯が遅れる程度だし。
予定より30分早く進行しているし。

と、登るのを決定。








c0222861_2003534.jpg

すぐに突き当たって左。
山道でも、石段があってどんどん行きました。
出たのは納骨堂。
「ああ、ここはダメですね。」

そして戻って脇道を発見。
確かに右だったのですがね。
陰になっていて、見逃すのが当然。

皆さんの後について山道を登ると、すぐに中宮の脇に出ました。









c0222861_201515.jpg

確かに迷わなければ5分。

神功皇后が下宮で鎧を染めたとして、山の中腹になんで持っていく?
という謎があったのですが、
歩いて5分なら、有り得ますね。

ちなみに、本当は鎧ではなく「旗」だったようです。

と、知らない山道の探検は無事に終わりました。
行けて良かった(*´з`)








c0222861_2013539.jpg

いいでしょ。こちらは染井神社中宮の参道です。



『神功皇后伝承を歩く』下巻63 染井神社



いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2017-09-22 20:04 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

糸島の秋 彼岸花と赤米アート!



糸島の秋

 彼岸花と赤米アート!




秋のバスハイク、糸島を堪能してきました。
今日は旬の光景です。






c0222861_2142054.jpg

天神からの都市高速でのシーホークとドームの光景。
大好きな構図だけど、シャッターチャンスは一瞬!
助手席でないと撮れないんですよね。
ついにゲット。でも、ランプが正面(´・ω・`) 
また、いつか。








c0222861_21422656.jpg

カメラを持ってたら、一度は撮りたい彼岸花。
稲と彼岸花を撮るなら糸島、お勧め♪





c0222861_21424329.jpg











c0222861_21425869.jpg

染井神社の所。
あちこちの田圃で見れますよ。











c0222861_21432642.jpg

こちらは二丈町。
赤米のハート。








c0222861_21434220.jpg

「いいね!」

マムシ温泉を目指してから浮嶽神社に行く途中です。

『神功皇后伝承を歩く』下巻61浮嶽神社
           下巻63染井神社




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2017-09-21 21:45 | バスハイク | Trackback | Comments(0)

明日はバスハイク




明日は久しぶりのバスハイクです。
真夏を避けて、9月にしたのですが、
朝晩もずいぶん涼しくなって、行楽日和の季節が到来していました。

一年半ぶりの糸島です。
このバスハイクは拙著の順を基本にして回っています。

神功皇后の足跡と古代道は、かなり面白いです。
天皇家の協力者の里を訪ねる感じがとても強まります。

五十迹手(いとて)は天皇家の祖神を祀る高祖神社を
代々祀り続けましたが、
五十迹手自身の居城はどこにあったのかな、
そんな謎が残っています。
船出は周船寺から今津の西端なので、
どこに居城を構えたら、治めやすいのかな。

つまり怡土の県主の居城です。
平原遺跡との関連もすごく興味深い。

糸島は多民族が棲み分けをしていたような所なので、
日本の始まりがシャープに描き出せそうな地域ですね。

龍がとぐろを巻いているという雷山の雷神社にも行きますよ♪

新しい写真を撮るのも楽しみです。



いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
# by lunabura | 2017-09-20 21:07 | にっき | Trackback | Comments(2)

ひめちゃご98 祈りと幾何学



ひめちゃご98

祈りと幾何学
 

今朝の目覚めは、
磐井の山城は結界の中心点ではなく、
自衛隊の射撃場付近ではないか、
というものだった。

自衛隊の訓練地を選定するとき、
ある程度の平地があったのではないか。
そここそ、籠城のための山城ではなかったか。
そういう思いで目覚めた。

軍備に適する地というのは、今も古代も地形上、
重なり合うのは当然のことだ。

今でこそ、遺跡の出土品は市町村に伝えるが、
かつては鏡が出ても近くの神社などに預けるしかなかった。

早く開拓された地域の出土物の多くは離散したことだろう。

ただ、今回の結界のようなものは痕跡を残す。



さて、「ひめちゃご」の始まりのきっかけとなった
ウメとタケそしてミユと先日久しぶりに顔を合わせた。

ウメとタケは地図上で住んだ土地を結び、
「正三角形」を描く頂点に行くと
縁がある人に出会えるという。
60度だ。



同じ三角形でも三橋一夫が発見した「聖三角形」といえば、
30度、60度、45度、90度を利用した図形で、
古代人が天から気を降ろして、この角度を使った三角形で
気を広げていく手法を見つけ出した。

三角定規の直角三角形や二等辺三角形の形だ。

これを三点法というが、日本全国に聖三角形が描かれている。

これを描いた古代人は時代の変化で仕事を失うと、
前方後円墳の設計をしたと推定している。

現代では前方後円墳は左右対称のように描かれるが、
それは現代人が勝手に変えたもので、左右不対称が本質だ。
現代人の合理的思考が古代の祈りのカタチを見えなくしている。

チェリーの利用する角度が聖三角形に近い。

何故、有意の三角形は縁を結ぶのか。
そんな話をしていたとき、
伊勢神宮の斎宮の「折り紙」の話を思い出した。

祈りの手法の一つに「折り紙」がある。
一定の形に紙を折ることで祈りを成就させるというものだ。

この技術がのちに多種多様の折り紙となっていく。

私の関心は「紙を折ること」が
何故、願望成就になるかという点にあった。

そこで、思いついたのが、
祈りが成就する高次元とは幾何学の世界だということだ。

真言密教の両界曼荼羅も、
胎蔵界なら円の八等分(45度)、
金剛界なら正方形の三分割。(90度)
そこに擬人化された現象界が仏の姿を採って並んでいる。

曼荼羅とは宇宙の仕組み。
そこは幾何学の世界でもあるのだ。

成就した世界が存在する高次元が幾何学の世界だとすると、
言霊(ことだま)より、向こうの言語である幾何学の方が伝わりやすい。
それを古代に知り得た人がいたのだろう。
だから、大変貴重な紙を折り畳んで聖なる角度を作って祈る。

聖なる角度は天と通じるチカラがあると考えられたのだろう。
聖なる図形と人間の願望をつなぐのが巫女だ。

その聖なる角度を大地に描く人たちが古代にはいた。
そのポイント一つ一つに祈りの祠が置かれた。
だから、神社を繋ぐと聖なる三角形が出来るのだ。

祈りと幾何学は密接に繋がっている。




いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif

[PR]
# by lunabura | 2017-09-19 20:32 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(7)

ひめちゃご97「鷹取山結界」と脊振山と代々の筑紫君



ひめちゃご97

「鷹取山結界」と脊振山

代々の筑紫君
 


「鷹取山結界」についてブログに挙げると、
それに関する電話が複数あった。

糸島~脊振山に形作る龍を教えられていた人の話とか。
また、酔っぱらうと物部が出る人が「鷹取は三つある」と言った話とか。
いったい何が始まったのやら。

チェリーが、結界の中心を作図してくれた。









c0222861_21485085.jpg

明星山の頂上から南西に下がった所にある。
陸上自衛隊の正面から国分寺跡を結ぶ道路にも赤い垂線が重なっていた。
かなり古い道だったのだろう。

南への垂線にも道が重なる部分があるようだ。

さらに、中心部を拡大してくれた。







c0222861_2150720.jpg

中心点は明星山からの尾根の﨑に当たり、視界が良さそうだ。
東~南は急峻で守り易い。

飛岳も視界が効くということで、物見の砦でも置きたいところだ。
代々の筑紫君の山城を探すにはこの中心点からが目安になるだろう。

江戸末期の記録には山中に「社地」があったという。

磐井君はカマ谷から石を採って強固にしたので、
磐井の名がついたとも言われている。
「社地」には何らかの石垣が残っているはずだ。

三つの鷹取山によって結界を築いたと考えてよいだろう。


【脊振山】(せふりさん)
その龍を思わせる脊振山系について、昨日、真鍋を読んでいると、
脊振山は金龍山(からやま)とも言ったと伝えていた。
徐福関連の地名の金立(きんりゅう)はそこから付いたという。

神功皇后が登頂して神々を祀り、航路の説明を受けた。
また、
<行基、最澄、空海、栄西に至るまで唐土で修業した名僧智識は
韓泊(からどまり)で船から上がるとまず
脊振山頂に詣でて四方を拝し、
それから大宰府に下りて帰朝の手続きを済ませたのである。>
(『儺の国の星』)
と記す。

今は自衛隊のレーダーがあるが、
駐車場の近くの池は「龍ケ池」というそうだ。

鉱物の金も採れ、薬草が多彩だという脊振山系は
私たちが思う以上に神の山として崇敬されていたようだ。

八女の飛形山から見ると、脊振山を中心に両翼が控える形に見えた。


やはり脊振の龍脈と鷹取山結界と代々の筑紫君は深い関わりがあるようだ。






いつもポチっと応援ありがとう。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
# by lunabura | 2017-09-18 21:52 | 「ひめちゃご」 | Trackback | Comments(2)

「興玉」と猿田彦神



真鍋ノート

「興玉」と猿田彦神


「おきたま」とは月日を並べる暦作り


「甲斐」の由来は「夏日」


c0222861_21074287.jpg

興玉神

これは北九州市八幡西区の一宮神社の境内の「興玉神」の石碑だ。

駐車場から上る坂道の道端に鎮座している。

一宮神社は神武天皇の磐境・神籬を熊鰐一族が守り続けた宮である。記紀の岡田宮はここにあった。



この「興玉神」について、真鍋を紐解こう。



<「おきたま」とは、月日を置き並べる暦作りの意であった。

「た」は月でThala(ターラ)なる古代地中海語の略であった。



「ま」は胡語のMutso(ムツオ)、Mutesa(ムテサ)、Massa(マサ)なる日神あるいはMuruhなる星神の略と思われる。>(『儺の国の星』序p4~ 一部改変)




元来、「碁盤と碁石」は暦日算定の器であったという。

黒と白の碁石を「た」(月)と「ま」(日・星)に置き換えて、

それを並べて暦を作っていたという。




この「た」と「ま」の語源は地中海や中近東の

「ターラ」(月)「ムツオ」(日・星)などから来ている。




この「興玉神」は合祀されたのかもしれないが、

暦作りの痕跡を残す神ということになる。




神社での祭祀の日取りを決定するのに暦は欠かせない。




猿田彦

一方、「興玉神」とは猿田彦神のことでもある。

道端にあるのは道祖神として鎮座しているのかもしれない。




「興玉神社」はもう一つ、同市八幡西区木屋瀬(こやのせ)にもあり、

その祭神は猿田彦神だ。




また、伊勢二見「興玉神社」の祭神も猿田彦神である。




伊勢二見が浦から見る日の出は有名である。

これは夏至の日の出で、

運が良ければその朝、はるか向こうの富士山から日が昇るという。




夏至を元旦とする「かひ族」の象徴的光景であるらしい。




『古事記』猿女(さるめ)の君の条に

猿田毘古の神、阿耶詞(あざか)に座し時に、

漁(すなどり)して、比良夫貝(ひらぶがい)に

その手をはさまれて海水に溺れたまいき。

とある。




<「あざか」とは潮が引いて地肌があらわに出た干潟である、

「さるめ」とは衣裳を脱いだ空身(そらみ)の海女(あまみ)、

あるいは日に焼けた赤裸(そほみ)のことであった。>




猿田彦が干潟に出て漁をしている時、

貝に手を挟まれて海に引きずり込まれたという不思議な話だ。




<これは甲斐の峯(富士山)を凝視する神の姿を貝にたとえ、

夏日(かひ)に例えた古人の諧謔(かいぎゃく・ユーモア)が

秘められているのかもしれない。>



「貝」とは「甲斐」と「夏日」のことで、

猿田彦神が富士山からの日の出を見て夏至の日を確認する姿を

面白く描写したものとする。



なまよみの甲斐

<「なまよみ」は甲斐の冠辞である。

この「なま」は即ち「たま」と同義であるから

「なまよみ」とはまさに日月星辰の動向、或は方向を観測して

月日を読みとることであるから、

富士山はまさに日本人が暦日を見定める唯一の象徴であった歴史が

推察されるのである。

夏至を「かひ」、冬至を「とひ」と言った。

甲斐の国名の由来はまさに夏日(かひ)にあった。>



「なまよみの甲斐」の「なま」は「たま」がなまったもので、

「たまよみ」と同じだという。

甲斐の国名の由来は、この興玉神社から「夏日」(夏至)が

観測できることからついたということになる。



伊勢暦は太陰暦と太陽暦を重ね合わせて編纂されてきたもので、

今も「神宮暦」として、広く利用されているが、

その日月星の観測地に「興玉神社」があるということだ。




そこで、碁盤と碁石のような「暦日算定の器」を利用して

「た」と「ま」を計算していた氏族がいたことになる。



<倭人は春分秋分より、夏至冬至を重視する民族であったらしく、

古代の住居も陵墓も夏至冬至の朝日夕日に正対するか、

左右に見通す方向に設計築造した。>



倭人は夏至冬至を重視していたという。

そういえば、吉野ヶ里や周囲の神社のラインは夏至冬至が多かった。



伊勢二見のカエル

<夏至冬至を「日還」と書き「ひがえり」と訓じた。>

伊勢二見の興玉神社にはカエルがいっぱい奉納されているらしい。




これも夏至や冬至を境に日がUターンして昇る「日還」「ひがえり」が

「ひきがえる」になったためという。

(『儺の国の星』p38)

c0222861_21081051.jpg

一宮神社(神功皇后伝承を歩く上巻2)

今日の台風18号は風も無く、雨も少ししか降らず、

穏やかに過ごすことが出来ました。

この先も被害の無いようにお祈りします。

※ エキサイトブログのプレビュー画面と実際の画面が同じにならず、
読みにくくなってしまいました。どうしよう。



いつもポチっと応援ありがとう。にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村c0222861_15184581.gif





[PR]
# by lunabura | 2017-09-17 21:13 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(2)
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー