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志式神社 (Ⅱ)万年願と早魚神事と神功皇后


志式神社 (Ⅱ)

万年願と早魚神事と神功皇后


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神社のお話が聞けましたよ。

 秋の日、朝からお参りに行くと、氏子さんが掃除をしていました。
そこでお話を伺いました。

「境内横の大きな穴はどんど焼きでもするのですか。」
「そうですよ。毎年決まった日にしています。
ここは、もともと、三良(さぶろう)天神が祀ってあって、祠の形でした。
昔、奈多の町が大火災に遭った時に、この神が助けられてから、
大きな拝殿を建てたそうです。」
といって、参道の左の足元にある、三良天神の鳥居の額を教えてくれました。


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「へえ、これがそうなのですか。」
聞かなければ、見逃してしまう所でした。

「それから、感謝の思いを万年後も伝えるために、7月19日~20日に、
踊りを奉納する「万年願」の祭りをしています。
神社に入ってすぐ右の方に建物があったでしょう。
そこで、踊るのです。」
「ああ、あれは舞台だったのですか。」
普段は閉まっているために、使っているとは思いもしませんでした。
志式座と言います。
明治時代に伊野天照皇大神宮からここに移籍して、
改築しなら大事につかってあるものだそうです。
(このまえ掲載したばかりの伊野皇大神宮から来ていたなんて、
嬉しくなっちゃいます。)


早魚神事が聞けたよ。

「また11月19日~20日は早魚神事をしますよ。
『はやま』と読みます。

真冬の夜中に、この下の海の中で禊をした若者衆が、階段を駆け上がって、
境内で着物に着替えて、網元の家に行って神事をします。

今ではそれが手狭になって、公民館になっています。
 公民館では夜7時から御神楽を演じて、神事を迎えます。
舞台には二匹の大鯛がおかれ、二人の青年によって、さばかれます。
そして、どちらが神に先に奉納するかが競われる神事です。」

「鯛はウロコを取ったりするのですか。」
「いえ、もう、ざっと二枚にするだけです。あっという間です。」
「そして、どうなるのですか。」
「神官がいて、その人にどちらが先に奉納するかを競うのです。
昔は、漁師がしていましたが、今では人が少なくなったので、地元の青年団たちがしています。」
というお話でした。

この神事で翌年の、漁場が決まるらしく、公平にするために、
当時の夜だけリハーサルをして、くじで決められたそうです。

この神事の由来は分からないという事でしたが、
その答えは、拝殿の上にちゃんと書いてありますよ。

1800年ほど昔、神功皇后に捧げた鯛のお話を神事として伝えているのです。
これはすごい事です。
神事のパワーはこんな所にあるのですね。
先人達がどうしても子孫に伝えたい事を、
こうして神事にしておけば、毎年その話を思い出す。
先人の知恵が、ここに、こうして実っています。

「早魚」を「はやま」と読ませるのは面白いです。
ルナは実は、これを見た時「はやゆ」と呼んでしまいました。
古文の授業で「魚」を「いを」とか「いゆ」とか読んだのを
覚えていますか?
奈良時代には「はやィゆ」と読んだんだろうなと思ったのです。

実は、中国語を三年前から習っているのですが、「魚」の発音の難しいこと。
口を「い」と「え」を発音する形にして、「ゆ」を言うのです。
なんだ、これって、古文の発音じゃん。
日本語で書こうとすると、「いを」「いゆ」「を」「ゆ」としか書けないのです。

現代人でも、発音が難しいのです。
ましてや、部族で言葉が違った大昔、
「はやィゆ」と言われて「え?え?」と聞き返しただろうなと思いました。
今でも、必ず「え?はやま?」って聞き返しますもんね。

それで御祭神の一人、「葉山姫」の「はやま」と関連付けて、
「ハヤマでよかたい」、となったような、印象を受けました。

追記
籠神社を調べていたら、笑原魚居神社というものを見つけました。
「えばらまない」と読むそうです。

そこで「まな」で辞書を引くと「真魚」で「まな」と読み、
おかずになった状態を、そう言うとか。
「いを」は生きた魚だそうです。

すると、「早魚」は「はやまな」とか「はやな」とか、
言っていたのかも知れませんね。

で、やっぱり、「はやま」でよかたい…?
と聞こえてきそうです。

さて、拝殿の正面に板が渡してあり、砂が一つかみずつ盛ってあります。

「このお汐井は?」
「家に皆さんが持ち帰って、清めに使うのです。」
「砂はここのですか?」
「すぐになくなるので、浜から私たちが取ってきます。」
あの急な坂を上り下りして、重い砂を取って下さっているんですね。
御苦労さまです。


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さあ、核心の神功皇后を聞いてみましょう。(ドキドキ。)
「神功皇后がここに来られたように書いてありますが。」
「そうですね。でも、この辺は神功皇后ばかりでしょうが。
私は信じません。」
「ほんと、このあたりはその話ばかりですよね。」

ルナも『ひもろぎ逍遥』で、神社の伝承めぐりをしているだけなのに、
なぜか、神功皇后の追っかけレポーター状態なのですから。
とにかく、ここら辺は神功皇后の伝説だらけなのです。
この伝承をつなげば、彼女がいつ何をしたか、日記にでも書けそうです。

氏子さんは「信じません」と抵抗されますが、それが却って、
彼女の伝説の多さを物語って、伝承に重みを加えていて面白いです。

「ここは、丘でしょうが。ここで神功皇后は軍の会議を開いたそうですよ。」
「え?ここで、ですか?」
氏子さんは境内をぐるりと指し示しました。
広い境内には松林がありました。

 正面鳥居から入ると、石段が十段だけで、平坦な地形だと思ったけれど、
ここは丘だったんだ。
確かに、裏の松原にでると、急勾配で海に降りて行くのを思い出しました。
そうか、海から発想するべきなんだ。


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(やったあ、もう見つかった!
日本書紀に和白(わじろ)で軍衆会議があったというのがここ?)

確かに、この広さがあれば、軍の要人たちや、兵士たちも駐屯できる。
神功皇后が軍勢を解散したといわれる、
大分宮(だいぶぐう)の広い境内を思い出しました。
(あの宮も広かったし、ここもそう言えば広い所。)
(大分宮については、別稿で。)

(でもここは和白じゃない。どうしたら解明できるのだろうか。)
と思いました。

ここは奈多です。

ところが、すぐその後、訪ねた公民館の方が何気なく、
「昔は奈多と三苫(みとま)と和白を合わせて、和白と言っていました。」
と教えてくれたのです。
それなら伝承どおり、ここで軍衆会議があったと取っていい。

拝殿は何故海を向いていない?

「もともと、祠の時には海の方を向いていたんですが、
拝殿を建てた時に反対向きに作られました。」
(なるほど。やっぱり昔は海を向いていたんだ。)
これも謎が解けました。

この玄界灘に面した大きな神社はみんな、海を正面にしているのです。
ですから、(この志式神社は何故海を背中にしてるの?)
と思っていたのです。これも謎が解けて、嬉しかったです。

「11月19日に早魚神事がありますから、見に来て下さい。」
「はい、是非行きます。」

氏子さん、いろいろとお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。

という訳で、お祭りへいざ。

                         
                       (Ⅲ)へつづく
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by lunabura | 2009-11-22 00:00 | 志式神社・ししき・福岡市 | Trackback | Comments(2)
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Commented by YAMADA at 2009-11-24 18:43 x
こんにちはYAMADAで~す。近所に住んでいながら志式神社の由緒は知りませんでした、いつもながらとても参考になります。
神社から海岸に降りたところの砂浜は「鳴き砂」の浜です、「キュッ キュッ」と鳴きますから確認してください。
Commented by lunabura at 2009-11-24 20:01
えっ?
そうなんですか!  また行かなくちゃ。

訪問者のみなさ~ん。
志式神社までいかなくても大丈夫。

YAMADAさんのサイト『海辺の散歩』で
鳴き砂の音が聞けますよォ~。
検索してみてください。

ところで、YAMADAさん。
ついでですが、
今度「赤岩」の事を書きます。
そちらにご案内しますので、よろしくお願いします。

さっそく『海辺の散歩』に飛ぶ方は、
「がんばれ、赤岩」と「鳴き砂」と
お見逃しなく。
                 綾杉 るな
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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