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ひもろぎ逍遥

志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 


志賀海神社 (Ⅰ)
しかうみじんじゃ
福岡県福岡市東区志賀島877
龍の都と呼ばれた海神の宮

「御手洗(みたらい)」は本当にあるのだろうか

さあ、今日は天気がいいので、志賀海神社に行きましょう。

福岡市の東区の国道495号線の和白(わじろ)交差点から、
海の中道への案内板を見て、志賀島へ。
街を過ぎると、快適なドライブコースになります。
海の中道公園を過ぎると、海の真ん中を走る道に出ます。
橋を渡ればもうそこは志賀島です。

でも、橋の手前で、いったん車から降りましょう。
そして、一度に見える左右の海を堪能しましょう。
左の方は、博多湾です。
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_12551623.jpg

能古島(のこのしま)が正面に見えます。(写真では右の島)
来た方を振り返ると博多の町も見えます。
内海らしい、たっぷりとした海の風情が味わえます。

そして、次に右側を見ましょう。
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_1256062.jpg

こちらは玄界灘です。外海です。波が打ち寄せています。海の色が全く違うでしょ。

こちらは浜辺に降りる事が出来ます。ぜひ砂浜に下りて、散策しましょう。
海の色の美しさはもちろん、流れ着いた貝殻や生物など、生きている海を感じる事が出来ます。
写真の島が目指す志賀島です。

橋を渡れば志賀海神社はすぐです。標識をお見逃し無く。
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_12565979.jpg

最初の石段と鳥居。
ここにも石段の手前にお汐井がありましたよ。これを体に振って清めてから上ります。
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_12574678.jpg

広々とした土の参道。右側は海です。
左側は古木が鬱蒼としていますが、下を覗くと崖になっています。
この参道は小さな尾根状になっているようです。不思議な地形です。

参道の左脇にはいくつかの社がありますが、この山之神社(やまのかみしゃ)は特筆!
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_13185020.jpg

御祭神は大山津見の神で、
「御神徳は国土安泰、延命長寿、開運、夫婦和合」
と立札に書いてありますが、お参りの仕方がユニークです。
御神前にオコゼやアラカブを備えると
その顔立ちの悪さを見て喜快に思われ、快く願いを叶えてくれる。
また空の財布を供えると、財が貯まるといわれるなど、
幸福の道先案内の神として信仰されている。

今、ちまたではブサカワが人気ですが、この山の神さまは、元祖 ブサカワ・ファン
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_12594610.jpg

アラカブで~す。

山門をくぐって本殿の前へ。
拝殿に着くと可愛い先客。
若いお父さんとお母さんの真ん中で、
女の子がちゃんと手を合わせてお参りしてました。
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_1304471.jpg

(この可愛さに見とれて、本殿の全体写真を撮り忘れちゃった!?)

本殿の後ろにはいろんな摂社があります。それぞれ趣があって歴史を感じます。
時計回りにぐるりと回って、戻って来ると、海に向かった鳥居が目に飛び込んできました。
志賀海神社 (Ⅰ) 龍の都と呼ばれた海神の宮 _c0222861_1313793.jpg

遥拝所です。そこに立つと海が見えます。
そのずっと向こうに立花山が見えますが、正面からは微妙にずれています。
いったい何を祀っているのでしょうか。

社務所に氏子さんがいらっしゃるので尋ねてみました。
「あの遥拝所は立花山を見ているのですか?」
「ええ、それだけでなく、すぐ手前の大岳神社も見ていますよ。」

すると、宮司さんも出て来て、一緒に説明してくれました。
「遥拝所からは、伊勢神宮、橿原神宮、御所、大岳神社
など、折々に祈っています。直接は行けませんから。」
という事です。
神事がある度に、こうして遠く離れても、共に祈ってあるんですね。
日本の神社の祈りのネットワークを知って、感動しました。

「御手洗」はどこ?

そこで、「御手洗」の地が現在も残っているのか、ついに聞きました。

「『香椎宮史』を読んでいたら、『筑陽記』の「志賀島」の所に
御手洗 イザナキ大神、与美国の穢れを洗い清め給ひし所という。」
という一文があって、それが志賀島のどこなのか探しているんですが。」

氏子さんが地図のついたパンフレットを出して下さいました。
それを見ると「御手洗」という地名が載ってました!やったね。

そこは勝馬(かつま)の沖津宮の所でした。
志賀島の一番北側で、この志賀海神社の神々が祀られている元宮です。
なんと、すごい所に、探している「御手洗」があった!
そこは志賀島の海水浴場として有名な所です。

志賀海神社の御祭神は次の三柱です。
 底津綿津見神 そこつわたつみのかみ
 仲津綿津見神 なかつわたつみのかみ
 表津綿津見神 うはつわたつみのかみ
 
これは海の底と中間と表面で生まれた神々です。
イザナギの命が禊(みそぎ)をした時に生まれた神々です。

「ここは新たに遷宮したお宮で、元宮は三つとも勝馬(かつま)にあります。
そこはかつて入江だったと地質学でも証明されました。」
と宮司さんが説明してくれました。さらに
「志賀島には高天原という地名がありますよ。また、穢れをとても忌む神社があります。」
と教えていただきました。
志賀島に高天原がある理由は分からないそうです。

また、氏子さんも話してくれました。
「そういえば、志賀島の山で「かもう山」と呼んでいる所がありますよ。
漢字は「神思う山」か「神生まれる山」のどちらかです。」
「へえ、そうですか。」
と、宮司さんも初耳で興味深そうです。地図で示してもらうと、展望所付近の山のようです。
(これらは、また別の日に行ってみましょう。)

住吉三神はオリオンの三ツ星

ルナは話のついでに、綿津見神と一緒に生まれた住吉三神の話をしてみました。

「綿津見の三柱の神さまたちは、住吉の三神と一緒に生まれていますが、なぜか交互に生まれていますよね。三柱ずつ一緒には生まれてないですよね。これには何か大切な意味があると思うのです。

私は住吉三神はオリオンの三ツ星ではないかと思っているんですが。
オリオンの三ツ星の角度で時間と方角が分かるので、神として祀られたと思うんですが。
どうでしょうか。」

すると氏子さんが話してくれました。
「そういえば、夏の朝は、立花山の方角にオリオンの三ツ星が出て、それに向かってまっすぐに帰って来てますよ。」
氏子さんは漁師さんでした。

漁から志賀島に帰ってくる時に東の方角の目印として、オリオンの三ツ星を見て帰るという事です。
ああ、実際に現代でも、星のナビゲーションが生きている!
直接こんな話が聞けると嬉しくなります。

「ところで、朝って何時頃ですか。」
「三時ごろです。」
「えっ、三時ですか。」
「季節が変わると、反対側に夕方、見えますよ。」

オリオンの三ツ星は、水平線から昇ってくる時に垂直に出て来ます。
そして、横向きになって、沈む時にはほぼ逆さまになって沈みます。
これで、時間と方角が分かるのです。
それを住吉の神と呼んでいるとルナは考えています。
詳しくはまた、別の機会にお話しましょう。

さて、社務所でお話をしているうちに、すっかり時間が経ちました。
菊の御紋のある、山門を見て、この日は一旦帰る事にしました。

地図   志賀海神社  沖津宮と御手洗  二見岩 海の中道



Commented at 2017-08-04 03:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2017-08-06 21:42
御手洗は各地にあるようですね。
月とオリオン、昔取った杵柄ですね^^
Commented at 2019-08-28 21:04 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2019-08-29 20:15
それは恐れ入ります。
手掛かりがあればいいですね。
よろしくお願いします。
by lunabura | 2010-01-30 00:00 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Comments(4)

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