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志賀海神社(2)沖津宮と小戸ーイザナギの禊の場所


志賀海神社(2) 
沖津宮と小戸
福岡市東区志賀島勝馬
海の神々が生まれた美しき聖地
イザナギの命が禊をした所だったよ

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さあ、志賀島を一周するドライブコースで、海を見ながら、一番北側の勝馬に行きましょう。
右回りでも左回りでもOKです。(地図は前回のを見て下さいね。)

ここ、勝馬は国民休暇村がある国定公園です。道路に沿って、駐車場があります。
そこに車をとめて、砂浜へ下りて行きましょう。
海水浴をするもよし、サーフィンをするもよし、ぼんやりと潮騒に身を委ねるもよし。
デートなら、さらによし。

浜辺から右手を見ると、小島が見えます。その小島の中に、目指す沖津宮(おきつぐう)があります。
波と戯れながら、沖津宮まで歩いて行きましょう。白い鳥居がすぐ目に入って来ます。
島に行こうとすると、手前には浅瀬があって、お宮には歩いて行けません。
大潮の日だと、潮が引いて歩いて行けるそうです。今日は手前の浜から見るだけです。
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この沖津宮には天の御中主の神と、表津綿津見神が祀ってあります。

天の御中主の神は日本神話の一番初めに出てくる神さまです。
表津綿津見神は、この浅瀬の底から生まれた海の神さまです。

綿津見の神ってどんな神さま?
志賀海神社と綿津見神についてはパンフレットにこう説明されています。
神代より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、
玄海灘に臨む海上交通の要衝である博多湾の総鎮守として志賀島に鎮座し、
厚く信仰されている志賀海神社は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらい)
によって御出生された綿津見三神を奉祭している。 

この志賀海神社は博多湾の総鎮守なのですね。
その御祭神の綿津見神はイザナギの大神の禊で生まれています。
これが、今日のキーポイントになります。
御祭神「綿津見三神」は
海の底、中、表を守り給う海の主宰神として、海上交通の安全は固(もと)より
塩・魚介類といった海産物の御恵をもたらす神として篤く信仰されている。
また禊祓の神として不浄を祓い清め、諸々の災厄を祓除する御神威を顕している。

さらに水と塩(潮)を支配し、潮の満ち干きによって人の生死をも司るとされることから
人の命や生活の吉凶をも左右するとされている。

海の神なので、交通安全の神であり、潮の満ち引きから、生死も司る神なのですね。
また、イザナギの命の禊で生まれた事から、禊祓いの神でもあった訳です。
海の神とは私たちの暮らしに密着する神でした。

その海の神のうち、海の底から生まれた底津綿津見神がこの島に祀られています。
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なんとも心惹かれる風景です。前回から探してきた御手洗の方から撮りました。

御手洗と小戸は同じ場所だった!
イザナギ大神が禊をした場所がここなのですねえ。とても綺麗な海辺です。
地図を見ると、ここには名前がいくつも付いていました。

勝馬、舞能が浜、大戸、小戸、三瀬、神遊瀬、御手洗
これから分かる事は小戸御手洗は同じ場所だという事です。

小戸(おど)といえば祝詞に出て来るので有名です。
祝詞を唱える方はすでにピンと来ていると思います。
知らない方のために祝詞の途中、数行分を書きます。
イザナギの大神、筑紫の日向の橘の小戸のアワキが原に
禊祓い給ひし時に、生(あ)れませる、払い戸の大神たち、もろもろのまが事、罪穢れを
払いたまえ、清めたまえと申すことの由を…。

このように、祝詞ではイザナギの大神が小戸のアワキが原で禊をしたと出て来ます。

その小戸がこの場所の可能性が出て来ました。
また、祝詞では、払い戸の大神たちと、一言で終わっていますが、
古事記を見ると、その時には26柱の神々が生まれています。

その神話のあらすじを書きましょう。

イザナギの神生み
イザナギの大神は、亡くなった妻に会いに黄泉の国に行って、妻の亡骸を見てしまいます。
その腐りかけた姿を見て、驚いて逃げて帰ると、身を清めるために、
竺紫(つくし)の日向の橘の小門の阿波岐(あはき)原に行きました。

そこで、身に付けていた服や杖などを脱ぎ捨てると、そのたびに、神々が生まれ出て、
十二神になりました。

それから、イザナギの大神は初めて瀬の中に入って行きました。
そして、中の瀬に潜ってすすいだ時に、十四柱の神々が次々に生まれました。

こんなストーリーです。
そのうちの後半の十四柱の神々の名前を具体的に書いてみます。
初めて中の瀬に潜って、すすいだ時に生まれた神の名は
八十禍津日(やそまがつひ)の神。
次に大禍津日の神。

神直毘の神。
大直毘の神。
次にイヅノメの神。

次に水の底にすすぐ時に生まれた神の名は、底津綿津見の神
次に底筒の男の命。

中にすすぐ時に生まれた神の名は、中津綿津見の神
次に中筒の男の命。

次に水の上にすすぐ時に生まれた神の名は、上(うへ)津綿津見の神
次に上筒の男の命。
(略)
左の目を洗う時に生まれた神の名は、天照大御神
次に右の目を洗う時に生まれた神の名は、月読の命。
次に花を洗う時に生まれた神の名は、建速須佐の男の命。

こうして26柱の神々がこの瀬戸で生まれました。

アワキが原は何処にあるのか、という論争があるのですが、
その候補地として名乗り上げるのに十分な伝承がここには揃っていました。

「阿波岐が原」とは何だろう?

あはきというのは、普通名詞では、「淡水と海水が混じりあった所」という意味です。
川が海に流れ込んで、満ち潮の時には淡水と海水が混じりあう、そんな所なのですね。
そして、この御手洗の浜には、川が流れ込んでいて、その条件を満たしています。

でも、このアマテラスを含む26柱は
本当にここから生まれたのでしょうか。


もちろん実際に生まれた訳ではありません。神話として、この地がモデルになったんだと思います。
ここは阿曇族の人々の神話の世界、つまり、宇宙観を地上に置き換えた場所なのです。

ずっと西の彼方から、船に乗って東を目指してやって来た阿曇族の人たちが、
たどりついて、上陸した日本の地。
その中の博多湾周辺に住むようになって、自分たちの聖地として、
一番清らかなこの地を選んで、神話を伝えたのです。

これから案内して行くのですが、三つの小島や小山が揃って存在して、
三柱の海の神を祀るのに、これまた、ピッタリの場所なのです。

組み合わせられた神話
私たちが目にする神話は、いくつかの神話が混じっている可能性があります。
神話が載っている古事記にも、当時、伝承がいくつもあって、それらを参照したと、
書いてあります。

ですから、著者の太安万侶(おおのやすまろ)は、阿曇族の神話と別の部族たちの
神話をとりまぜて、彼なりに考えて、このイザナギの大神の神生みのシーンも
作り出したと考えました。

この26柱という神々をつぶさに見て行くと、阿曇族以外の神話がどのように
組み合わさっているのが明らかになるのではないかとも思いました。

小戸のアワキが原がいくつもある訳は?
日本神話の原型、プロトタイプとなった地がここだと分かりましたが、
阿曇族たちは、行きつく湊ごとに、自分たちの神々を祀って神話を伝えていきました。
それが、各地に小戸のアワキが原として、残っている理由なのだと思いました。
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この島は伝承を調べれば調べるほど、神話の源流に近付いて行くようなときめきを覚えます。

次回は仲津宮(なかつぐう)をブラブラ歩きましょう。



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by lunabura | 2010-01-29 00:00 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(0)
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