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ひもろぎ逍遥

馬見神社(4)うまみ・白馬大明神とは彗星のこと?・日本に隕石が落下していた

馬見神社(4)

白馬とは彗星の事かなあ
日本に隕石が落下した記事を発見

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縄文時代に馬はいたのだろうか
このあたりは、やたらに馬が出てくるよ


地名や伝承、神社に奉納された馬、など、
この遠賀川流域には馬がよく出てくるのが気になりました。

日本の馬がいつからいるのかについては、神功皇后が新羅から連れて帰ったというのが
定説だと書いた文を読んだ事ガあります。

定説は書き換えられる事になりそうだ。

ところが、新宮町町史には、仲哀天皇と神功皇后が、騎馬訓練をした場所が掲載されています。
その地名を的野(まとの)と言います。これは当然新羅に戦闘に行く前の訓練です。
ですから、神功皇后が新羅から連れて帰ったという定説とは符合しません。

同時代を記す魏志倭人伝には「日本には牛馬がいない」と書いてあるのですが、
昨年でしたか、壱岐(いき)の島の遺跡から馬が一頭まるまる出土しました。
これで、日本には古くから馬がいた事が証明されました。

(ネットを検索すると、縄文時代に馬がいた事を証明するサイトがあります。)

縄文時代から日本には馬がいたと考えてよいようです。

念のため、地元の歴史愛好家にも聞いてみると、この辺りは古来、馬の飼育が盛んだったのだそうです。

なぜこんな事を確認したかと言うと、三千年前に白馬大明神が降臨したという伝承を考える時に、
その時代の人が馬を知っていないと、話にならないからです。

古代の人たちは馬をよく知っていました。これを前提にこの先を考えていきます。

白馬大明神とはなんだろうか。

3000年前に馬見山山頂付近に降臨した神。それを白馬と人々は名付けた。
これを考えていたら、ふと、星の事も知れないと思いました。

考えている間、何度も心に蘇るシーンがあったのです。それはヘールボップ彗星です。

飛行機に乗っていた時、「彗星が見えます」とアナウンスがあって、窓から見る事が出来ました。
大阪あたりの大きな山塊の上空に白い斜めの筋が見えました。動かない白い筋の光
とても不思議な光景でした。

馬見山の上に彗星が現れたら、これを人は白馬と呼ばないだろうか。


彗星は接近しながら同じ所に夜な夜な現れます。そして、いつか消えてしまいます。
その彗星が山頂にかかったら、白馬大明神が降臨したと言うのではないだろうか。

そこで、『儺の国の星』を開くと、流れ星を白馬に例えた記事が載っていました。
日本に隕石が落下した記事でした。

隕石の古語は「かたいし」でありました。「かた」とは「かかち」の略で、星の事であります。
昔、大隕石が落下して破片を地上に散らせたところを「かたかす」と呼びます。
博多の堅粕(かたかす)もその地であったらしく、推定2663年前の隕石が地下から発見されております。

「九州治乱記 巻7 
1465年9月13日夜
明月だといって、老若月を眺めていると、
西の空に大きな星が流れて、東の空に飛んで行き、
落ちた音はもう、雷のようで、
これを見聞きした者はみな地に倒れて気を失った。
近年は(隕石の落下が)続いていて、
こんな天災は古今聞いた事がないと、人々は話していた。」
(綾杉が現代語訳しました。)


これは九州島の近くに墜落した大流星の記述であります。
隕石口は「かさをり」と呼びます。奄美笠里(かさり)がこれであります。

流星が落下する時のすさまじい閃光と轟音と風圧を、
昔の人は千頭の白馬が疾駆するさまにたとえました。
奄美の伝説は、その時、天から白馬がおり、
一瞬にして天地が燃えたと語りますが、今も焼け焦げた根株が残り、
その場所は、5メートルも海の底に沈んでいると聞きますから、
今から500年昔の実話であったとききます。


中国での、彗星の記事も載っていました。
紀元前2279年、紀元前1098年と、彗星の記録が紹介されています。
彗星を鳳凰に例えていたそうです。

日本でも、11世紀に、記録がありました。(漢字がよく読めないので省略します)

昔は彗星の尾がかかる山を観と定めて、ここに天神地祇を祭った。
その観のあるところが国府であり、日振(こふれ)の略だった。

やはり、彗星が現れて、山に尾がかかると、ここに天地の神々を祀っています。
(観と国府については、よく分かりません。)

『儺の国の星』には、計算法が詳しく書いてあります。
天子のみが暦を支配できるのですが、この記録は天子というより太子の仕事だったそうです。

これらを踏まえると、やはり、馬見山に降臨した白馬とは、彗星か、流れ星ではないかと思いました。

馬見神社(4)うまみ・白馬大明神とは彗星のこと?・日本に隕石が落下していた_c0222861_17223066.jpg


ニニギノ命がいた時代に彗星が現れたのが伝承となったのでしょうか。

いずれにしろ、ここに天孫を祀った氏族がいたのは、間違いありません。
それが誰なのか。意外にも他の神社の記録に見つける事ができました。
現地に行ったら、紹介したいと思います。

と言う事で、それまで、別のところを逍遥しましょ。

追記
その答えが日若神社で分かりました。
右のカテゴリからどうぞ。
 
Commented by 知りませんでした at 2011-04-28 08:55 x
馬見神社に所縁のある者です。全く知らず、また荒廃した神社にもごくまれにしか行かず、お恥ずかしい次第です。今回の内容じっくり読ましてもらいます。
Commented by lunabura at 2011-04-28 09:18
馬見神社に所縁のある方からのコメント、有り難いことです。
ここは、遠賀川流域の中でも、英彦山と並ぶ重要な所ではないかと思っています。大変興味深く思っています。文献などが残っていればいいですね。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。
Commented by なわ at 2011-07-09 11:15 x
うちも氏子です。お宮参りの写真があります。
でも、謂われなどはよく知りませんでした。
大人になって、何度か行きましたが、荒れていて宮司さんもいらっしゃらないので、続くのかが心配になる御宮でした。
そのうち、また参拝に参りたいと思います。
Commented by lunabura at 2011-07-09 13:31
なわさん。はじめまして。コメントありがとうございます。
とても素晴らしいお宮です。
私が参拝した時、たまたま神社関係の方が見えていたのですが、お話は聞けませんでした。
現在は英彦山の管轄になっているのでしょうか。
日本の夜明けに関わる神社です。みなさんで守っていただけたら嬉しいです。
by lunabura | 2010-03-26 17:31 | 馬見神社・うまみ・嘉麻市 | Comments(4)

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