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日若神社(2)古事記の空白を埋める記事が現れた

日若神社(2) (日少神社)

神社史を訳すと、古事記の空白を埋める記事が現れた
霊泉をめぐる神と天皇と皇后の話


神社には霊泉(汐井川)が残っていたよ
本殿の裏手に廻ると小川があって、しめ縄が張ってありました。
上の写真の右端にちょっと階段状のものが見えています。
これが禊の場で、霊泉の跡だと思われます。
護岸がされているので、今でもお祭が盛んで、多くの人がここで禊をしているのが分かります。

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古文書によるとさらに上流に滝があるとか。今日の話はこの小川が舞台です。

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飯塚市のHPを見ると、次のように紹介されていました。
妙見さん」と親しまれている多田の日若神社では、毎年7月28日にお祭りが行われ「お汐井取り」で有名です。「お汐井取り」とは、汐井川の荒砂を「お汐井つと」と呼ばれる乾燥させたコモ草を編んで鍵方に縛り、川砂を入れて持ち帰り玄関に提げると無病息災、田圃に撒くと病害虫を追い払うと云われています。
開催時期    7月下旬
住所       飯塚市多田26-1 日若神社境内

妙見さんとは北極星の事ですが、ここではやはり北斗七星の事でしょう。
多賀神社で詳しく書いています)
お祭の日には、(お汐井)を持ち帰るんですね。
が、調べて行くと、もともと、この川のそのものが霊泉としてその霊験を讃えられていたのが、分かってきました。

「福岡県神社誌」を読みましょう。(訳しています)
当社は神祖の遺蹟で、神社の近くの汐井川は神功皇后が禊祓いをした霊場である。
同じ庄内町の綱分八幡宮の社殿によると、「神託によって、この霊泉を汲んで社殿を清めてから神璽を遷した。」と。それ以来この例に倣っている。
こうして、幽契神異の霊泉だという事で、災いを祓い、諸病を除くということで、博多や豊前から人々がお参りする数は日に数百人に上った。

神祖というのはイザナギの命の事でしょう。ここの御祭神です。
ここに書いてあるのは、
1.神功皇后が写真の汐井川で禊をしたという事。
2.近くの綱分(つなわき)神社で、「日若神社の霊泉を汲んで、清めよ。」
と神託が降りたので、その水で社殿を清めるようになった。
3.この霊水の霊験が噂を呼び、大ブームになったという事です。

誰も訳さなかった神社史
この神社誌にはさらに古い由来が書かれていました。
漢文で書かれていて、句読点が全くありません。これを読むのは一苦労です。
そこには、この神社の忘れ去られた歴史が隠れていました。チャレンジして、訳します。

筑前の国の嘉麻郡、多田の神泉は神祖の遺跡で、いにしえからの霊場である。旧記にこう書いてある。

「初めてイザナギの命がここに現れたのは、実に人間の天皇第一代、神武天皇の時である。
天皇は中州に向かおうとして日向の国から豊の国に行幸された。珍彦(うづひこ)を得て、案内人とした。

天皇は宇佐島から陸路で田河の吾勝野にお出ましになり、兄弟山の中峯で天祖を祀った。時に、馬見の物部の末裔の駒主の命に出会った。天皇の行幸を聞いて、遠くよりお迎えに出掛けて来たのである。

天皇は大変喜んで、駒主の命が献上した駿馬にまたがって、筑紫に行幸された。その家に行って皇祖を馬見山の上に祀られた。

その北麓を廻ってまさに日尾山にやって来た時に、この道は谷が広く深遠で、進路は険しく、ひどく悩まされていた時に、神の出現があった。
「天皇よ。憂うるなかれ。ここに霊泉がある。太古、イザナギの命が国土万物を生成して、天に昇り帰ろうとする時に、ここに来て、この水を見て言われた。
『思いしや わが産めりし内に この母の ごとき味の 清水有りなむ
(思っただろうか。私が産んだ万物の中に、この母のような味のする清水が有ろうとは。)
水の力は、天の真名井より、優っているなあ。』
とこのように言われてその水を久比著(人名?くいざ?)に持たせて天に参り登られた。」

それを聞いて、神武天皇もまた言われた。
「この水で天祖の御前を祀り、その後、生えている笹を取って束にして水に浸して打ち振りながら進むと
たちまちに、雲や霧が晴れて道はまた歩きやすくなるだろう。」と。

言い終えて、(実行すると、災難が除かれたので)、感じ入ったふうで、神武天皇は思った。
「神祖の御心か。神の教えのままに払って行った所、雲や霧がたちまち晴れて道が自然と通じた。
この持っている水で神を祀ったので、災難が払われたんだ。」と。

又、こんな言い伝えもある。

神功皇后もまた三韓征討の後、皇子を連れて戻る時に、大分(だいぶ)行宮(あんぐう)から、御輿(みこし)でこの地に来られた時、皇子が元気で長生きできるように祈って言われた。
「いやしくもこの神水で諸災を祓いたいと思う者は、ひたすらその身を清めるのがよい。まず、心の垢を除いて、この水のように清らかになって、自ら振り返って邪念がないように、糺(ただ)すべきである。」

このことから、当時の人がこの霊泉を「糺(ただす)の神池」また、その森を「糺の森」と名付けた。
今、多田山、多田川というのは、なまったものである。

これより霊泉の三名はますます遠近にとどろいて筑豊の人々は日々参集してこの霊験に預かろうとした。

延元  上野孫次郎入道覚念 啓白

この記事の霊水について、まとめてみましょう。

神武天皇を助けた霊泉

神武天皇がここに来て山越えしようとしたのですが、この日尾山の霧が深くて困っていた時、神が出現しました。
そして、神は言いました。
「ここの霊泉はイザナギの命が、自分が産み出したものの中でも、一番おいしくてパワーがあると、
自ら感激されて汲んで天に持ち帰った水である。」と。

その神の教えを聞いた神武天皇は
「この水でイザナギの命をお祀りして、笹を水に浸して、振りながら進めば霧は晴れるだろう。」と悟って、
その通りにすると、霧が晴れて歩けるようになりました。
そして、「この水で神を祀ると災難が払われる。」と言われました。

イザナギの命はイザナギの命と日本の国や神や大自然を産んだ神です。
その本人がここの水が一番いい水だと言ったのですね。
天の真名井よりチカラが優っているというのですから、すごい水と言う訳です。

神功皇后もここで禊をした。

それから数百年経って、神功皇后もここを通りました。
その水の由来を知って(いた?)皇后はみずから禊をして、皇子の将来を祈られました。
その時に「祈る為には心身を正さなくてはならない」と言われたので、
人々は「糺(ただす)の神池」「糺の森」と呼んで、多田の地名の由来となったという訳です。

江戸時代にも霊験があった。

続きを読むと、この文章を書いた覚念さん自身が
「ここに長く住んでいても、別に霊験などあった事がない、と思っていたら、
不測の事があって、真剣に祈ったらすぐに霊験があったので、神恩に大変感謝した。」
と書いています。         
 (つづく)

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境内の摂社です。





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by lunabura | 2010-05-07 21:19 | 日若神社・ひわか・飯塚市 | Trackback | Comments(6)
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Commented by jumgon at 2010-09-08 20:53
ご存知かもしれませんが、京都の下鴨神社にも糺の森があります。想像では幽邃な森というイメージでしたが、行ってみると深い森ではなく、少しがっかりしました。
Commented by lunabura at 2010-09-09 13:26
「糺の森」ってどこだったっけ、場所が曖昧だったので、こうして教えて頂いてありがとうございます。昔は境内が広かったんでしょうね。
江戸時代あたりの本に、ここの人たちはとても禊を大切にすると書いてありました。そんな地域が志賀島にもあって、やはりイザナギ・イザナミです。こんな小さな伝承が思いがけず、後で大きな意味をなす事があります。
賀茂氏が鉄の民だった事を「高句麗壁画」の所で書きましたが、この日若神社の近くに、やはり「鉄」を現す古代地名を見つけました。
地名と氏族と神は共に移動して行くのが、じゅんじゅんさんの情報で、また見えて来ます。小さなことでも、お話楽しみにしてます。
ちなみに、下鴨か上鴨のどちらかに行って感動したのですが、もうどっちに行ったのか忘れました。
Commented by lunabura at 2010-09-09 13:28
あっ、今思い出しました。「タダ」が鉄か青銅の意味でした。
また読み直さないと、びっくりするばかりの本でしたから。こうして、いろいろ勉強してみると、これらの本の素晴らしさが分かります。
Commented by jumgon at 2010-09-09 14:04
るなさん、色々資料を読んで一つのテーマ書くんだってエネルギーがいりますよね!るなさんのエネルギーに感心してます。
わたしも古事記、日本書紀に出てくる、鳥、植物、食べ物なんか調べようか、とか調べてるうちに他に興味がでて来たり、、、。あっち飛んだりこっちへ飛んだり、なかなかまとまりません。斑鳩も気になって色々調べたんだけど、結局諸説入り乱れて、結論は出ません。
それから、ある講座で聞いたんだけど、「黒」のつく地名は鉄と関係あるんだって。「赤」とか「丹」は水銀でしょ。
Commented by jumgon at 2010-09-09 14:16
るなさんが、「地名と氏族と神は共に移動して行く」と書いてらっしゃったけど、確かにそう思います。
下鴨神社も、もとは奈良県葛城市にある高鴨神社が本家本元だそうです。もしかしたら、そのもっと本元は日若神社」かもしれませんね。
今は本当に田舎なんですが、昔は葛城市の本拠地だったのでしょうね。
Commented by lunabura at 2010-09-09 16:22
確かに「黒や丹」も、鉱物なので、古代世界がハイテクの世界に見えて来ます。
ところで「葛城」の「高鴨神社」が本宮なのですか。ちょっとドキドキ。古代の福岡に「葛城」があったんです。でも、人は納得しないだろうから、こっそりと調べている所です。思い起こせば奈良の「葛城」は十代のころから憧れて、地図を見ていたんですけど、何を見に行ったらいいのか分からなかった事がありました。
三輪山は女人禁制だと三島由紀夫の本で知ってあきらめたのですが、禁制が解かれたと知って、すぐに登って来ましたよ。
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