ひもろぎ逍遥

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日若神社(5)姫の名前には古代鉄の暗号が。

日若神社(5)

イスケヨリ姫との結婚の背景
姫の名前には古代鉄の暗号が。


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さて、神武天皇には、アヒラ姫という后がいました。
が、そののち大后を求めて、イスケヨリ姫とも結婚しました。
今日はそのイスケヨリ姫の実家の事情を見て行きたいと思います。

古事記に書いてある彼女の実家。
イスケヨリ姫の家は狭韋(さいがわ)のほとりにありました。
イワレビコノ命はイスケヨリ姫の元にお出ましになって、一夜、共寝をなさいました。
その川を狭韋河と言う訳は、その川辺に山百合の花がたくさん咲いていたからです。
サイとは山百合の花の事です。

のちに、イスケヨリ姫が入内された時に、イワレビコノ命が歌を詠まれました。
「葦がいっぱい生えている所の、粗末な小屋で、
菅で編んだ敷物を清らかに敷いて、私とそなたと一緒に寝たなあ。」


古事記の岩波体系本の注釈では、
この「サイ河」の場所が分からないと書いてあります。

神武天皇が東征したのが45歳と言われています。
大和を制圧した年齢を単純計算しても60歳を過ぎています。
ですから、サイ河を大和でなく、
東征前の九州で探してもいいと思いました。

面白い事に、この日若神社の山を越えた15キロ位の所に
犀川(さいがわ)」があります。
京都(みやこ)郡・犀川町として地名が残っています。

そこは豊前の国です。地図は日若神社(4)で出しています。
(ピンクのアイコンです。)

さて、古事記では、その続きで
大久米の命が彼女の実家の説明をしています。
「この近くに良い娘がいます。この娘を神の子と言います。
何故かと言うと、三島のミゾクイの娘でセヤダタラ姫という人がとても美しい方で、
三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)が見染めたそうです。
その姫が川の上に作った厠(かわや)に行って、用を足していると、
大物主神は、赤く塗った丹塗りの矢になって、川から流れて来て、
その人のホト(女陰)を突きました。その姫は驚いて、逃げて狼狽しました。

その矢を床の所に置くと、たちまちに麗しい男になって、
セヤダタラ姫を妻にしました。
こうして生まれたた子供の名前はホトタタライススキヒメの命と言い、
また、ヒメタタライスケヨリ姫とも言います。
これはホトという言葉を嫌って後に名前を改めました。
こう言う事で神の御子と言うのです。」

イスケヨリ姫の名前って何?

彼女の本名はホトタタライススキ姫。
この中に製鉄の言葉が入っています。
ホトは女陰の事ですが、坩堝(るつぼ)の事でもあります。
タタラはフイゴや製鉄炉の事です。
ですから、彼女の名は鉄造りの坩堝のイススキ姫という意味になります。
イススキは狼狽するという意味ですが、
五十鈴の字が当てられています。

彼女の母の名前も坩堝!

彼女のお母さんはセヤダタラ姫です。
これにもタタラが入っています。
『儺の国の星 拾遺』にこう説明がありました。(訳)
泥石といった風化石でなく、金石といった結晶石でもなく、
蝋石(なまりいし)を広く底を浅く彫り出してつくった平皿の、
セヤ(中心をはずした所)に穴を開けた坩堝がセヤダタラである。

蝋石(ろうせき)は、印鑑や灰皿に加工される石です。
セヤとは不安定な状態を指す言葉だそうです。
で、セヤダタラとは、「不安定な部位に穴を開けた坩堝」となります。
御母さんの名前も坩堝姫でした。

三島族の名はオリオン

         その父の名が「三島のミゾクイ」です。                                     
この「三島」も、「ミゾクイ」も、真鍋大覚氏によると、
オリオンの星の事だそうです。
オリオンを三島星、あるいは三諸星と呼んだ、はるかな昔があった。
「しま」あるいは「すま」とは船人の渇きを癒す湧水・井泉のあるところを指した。
「し」は元来は透明な無色の水を表現する胡語(西域民族の言葉)であったが、
倭人は「し」+「みず」で、清水という言葉を造り出した。

ミゾクイ(みそくひ)もオリオンの古称だった。
「そくひ」は栄井(さくい)、すなわち「砂漠の中のオアシス」の事だった。
砂漠の民族には泉が無限の生命の発祥であるという信仰を
天上の星に託して、オリオン座にも同じ名前を付けた。
それを初代の天皇(神武天皇)の后の出身の民族の名にあてた。(意訳)

平たく言うと、
「シルクロードを辿って日本に来た民族にとって、
オリオンの三ツ星は道しるべであり、心の支えでもあった。
オアシスの水もまた心の支えだった。
そこで彼らは、オリオン座にもオアシスの名をつけた。」
それが三島であり、ミゾクイであったという事です。

すると、三島のミゾクイとは、渡来人であり、
オリオンの三ツ星をシンボルとする民族だったと言う事になります。
シルクロードの向こうから来たなら、
ウィグル自治区や、もっと向こうの人たちとなります。

眞鍋氏はオリオンの別の呼び方も覚えていました。
このオリオン座には天秤星(かさみのほし)という名もありました。
その形が昔の工人が仕事の成就を祈って
薪炭と砂鉄の分量を正確に計測していた頃の術語でありまして、
量検星(かさみのほし)とでも書いていたものかとも思われます。
これを約して「かさほし」の名が生まれました。

これは
オリオンの三ツ星を「三笠の星」とも呼んでいた理由を説明したものです。
その「みかさ」は「製鉄の材料のカサを量った事」から来る名前でした。
やはり、製鉄とオリオンは深い関係を持っています。
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オリオン座

こうして、
イスケヨリ姫はオリオンの三ツ星族のるつぼ姫という事になりました。

彼女の実家はシルクロードの彼方から、
製鉄の技術を持って日本に移住してきた民族だという事になります。

神武天皇の一族がこの鉄の技術をもつ一族と手を結ぶには、
その姫と結婚するのが一番穏やかな方法でした。

でもそうすると、鉄の歴史はどうなる?

もし、日本書紀の通りに神武天皇が2600年前の人だとすると、
それより前に製鉄が存在したという事になります。

鉄については稿を改めましょう。
そう、今日は神武天皇の結婚の話なんです。

で、この結婚によって、神武天皇は鉄の武器を手に入れました。
これは政略結婚であり、異民族の融合でもありました。

姫を紹介した大久米の命

イスケヨリ姫はこの男の目を見てびっくりします。
目の周りに入れ墨をしていたのです。
イスケヨリ姫はその大久米の命が目の周りに入れ墨をして鋭い目に見えるのを見て、
変わってるなあと思って、歌にして、返事をしました。
   「つばめ、せきれい、ちどり、ほおじろ。それにあなた。
   どうしてそんなに縁取りのくっきりとした目なの。」


眞鍋氏はミイラのアイラインと同じだと書いています。
そうすると、クレオパトラやツタンカーメン王のアイシャドウのようなデザインです。
かれは海人族の長でした。
まぶしい海の照り返しを避けるためのデザインかなとも思いましたが、
これも、彼の故郷の中東の風習を残したものと言います。

神武天皇の軍備

こうして、神武天皇は海兵を手にいれました。
東征するのに必要な軍備を周到に準備していたのが見えて来ました。
イスケヨリ姫との結婚もその為のものだったのですね。
でも二人は結婚してからも、仲良さそうですよ。

(『古事記の神々』で、「神武天皇」を訳しました。
天皇の崩御後、彼女は義理の息子と結婚することになります。
それについては「イスケヨリ姫」で見て下さい。)

さてさて、
この神武天皇の足跡は、まだまだこの近くに残っています。
そのうち、神武日記も書けそうですね。

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左が神社入り口。奥の山が日尾山と鳥尾山です。


      ブログでお散歩   さあ、里山を逍遥しましょう。

妻を亡くした後のイザナギの命の伝承を辿るコース
     志賀海神社 ⇒ 多賀神社 ⇒ 日若神社 
神武天皇の足跡をたどるコース
     馬見神社  ⇒ 日若神社 ⇒ 八所宮
神功皇后の帰り路をたどるコース
     大分宮 ⇒ 日若神社 ⇒ 綱分神社 
     (だいぶ)  (ひわか)  (つなわき)


                          (次回は綱分神社に行ってみましょう。)
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by lunabura | 2010-05-04 23:34 | 日若神社・ひわか・飯塚市 | Trackback | Comments(8)
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Commented at 2010-05-15 12:22 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-05-15 16:09
コメントありがとうございます。
時代がいくつも重なっていて、理解するのに一苦労です。
この辺りの伝承の主な時代は
神武天皇 2600年前。
神功皇后 1800年前
イザナギの命  もっと昔
と考えながら、理解を進めています。
これって、弥生時代や縄文時代なので、教科書と違うので、
不思議な感じがします。
とりあえず、伝承を掘り起こせば、
見えてくるものがあるという気持ちでいます。
Commented by 鋼火神 at 2010-08-23 00:19 x
 島根県の安来地方に古事記の謎が隠されているようにおもいます。
Commented by lunabura at 2010-08-23 09:24
コメントありがとうございます。何よりも出雲は要の所です。
何度か行きましたが、どうやったら古代への道に踏み分けられるのか、途方にくれました。よろしかったら、安来について教えてください。
安来節は砂金採りから来たんですよね。
Commented by 語部 at 2010-09-13 22:03 x
 あの「竜馬が行く」という小説の作者、司馬遼太郎が雲伯の鉄鋼は世界最高だといっていましたね。雲伯の中心都市の名前が安来で有名な戦国武将、尼子氏の居城も会ったところですね。
Commented by lunabura at 2010-09-14 09:09
語部さん、コメントありがとうございます。
雲伯という言葉をはじめて聞きました。古代のクニの名前でしょうか。
出雲の鉄と言えば、安来から始めたら分かるのでしょうか。
よかったら、また教えて下さいね。
Commented by みしまる☆☆☆MZQI at 2013-12-12 12:46 x
興味深く読ませて頂きました。
参=カラスキの星とオリオン座を
呼ぶことや、夜の航海時に目印と
なった事。
また、三島溝杭耳(耳というのは
九州における古代官職名)の別名が
ヤタガラスであったり、建角身
(ピラミッドを建てた者との異名も)
あり、

ヤタガラスをオリオン座の星座と重ね、
三本足のイメージが定着化したのではないか?
と、空想しました♪

半島経由での「太陽」=三を現す説も、
昼は太陽を見て航海。
夜は参(カラスキ)の星の運行を見て航海した事から
いつのまにか太陽=参=3という認識が定着化したように感じました

良い刺激を頂き
発想がふらんだり、ちがう角度からの勉強ができました♪
また読ませていただきます(^^
Commented by lunabura at 2013-12-13 00:04
みしまるさん、ようこそ。
星の話はまだまだチャレンジ中なんですが、楽しいですよね。
三本足のイメージ、
なるほどそんな発想もあるかと、刺激を受けました。
これからもよろしくお願いします (^-^)
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