ひもろぎ逍遥

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皇石神社(2)おういし・神功皇后が船の軍事訓練を視察したという


皇石神社(2)
鹿部山は三上山だった
神功皇后がここから船の軍事訓練を見たという


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神社の裏手の扉を進むと、ベンチやあずまやがあって、公園化されていました。
鹿部(ししぶ)山公園と言います。

神の山・立花山が見えた!
そこに立つと展望が開けました。山と市街、松林とそれに海も見えます。
写真の三つの峰が立花山です。ここから見える立花山は三上山ですね。
隣町の新宮町からは二上山に見えて、二神山と呼ばれています。

立花山は二上山に見えたり、三上山に見えたり、その見え方で、
安全な航路を教えてくれる、神の山でした。
今立っている山は遥拝所に間違いないでしょう。

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さて、後ろを振り返ると、さらに遊歩道が続きます。
緑豊かな木と枯葉の積もる道に誘われるようにして上っていくと、またもや道があります。
幾つもの分かれ道が合流しながら、森が段々深くなりました。
合流点に出ると、必ず振り返って道を確認します。
そうしないと、帰る時うっかり反対側に降りてしまう可能性があるからです。

誰にも会いません。だんだん心細くなった頃、のんびりと犬を散歩させる女性が
目の前を横切って行きました。道が舗装されている。!

あれ?どうなってるの?
女性の後をついていくと、見晴らし台に出ました。
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そこに立つと、今度はさっきと反対側の玄界灘が見えました。
ああ、ここはかつて360度の展望の山だったんだ。遥拝所であり、遠見の山なんだ。

ランニングの後で休憩している男性がいました。よし、何でもいいから聞いてみよう。

「ここの歴史について何かごぞんじですか?」
「ここは鹿部山と言います。昔は三つの山が並んでいたのですが、
団地造成の為に二つの山が取りつぶされました。
甕棺など、弥生の遺跡がたくさん出て来て、この山だけは残さないといけないと、
文化財の方が言って、ようやく残されたのです。」

そういって、そこにある看板にあった昔の山の写真の説明をしてくれました。

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写真を見ると、見事に三つの峰が並んでいます。左二つが完全に削り取られてしまいました。
今は、右側の鹿部山だけが残っています。昭和までは三つの山が残っていたんですね…。

「この、今はない、中央の山からは経筒が出ています。」
この出土品からもここは昔から聖地だったのが分かります。

皇石神社のいわれ
「ここの神社について御存じですか?」
「皇石神社ですね。おういしと読みます。」

「神社のすぐ裏に弥生時代の甕棺が出て、その中から銅戈が発見されました。
その甕棺の上に2メートルはある平たい大石が載せられていて、それが御神体です。
今は土の中に埋められています。
神功皇后がここに来て、もし三韓出兵が成功するなら、
『この石よ、動け』と言って、動かしたら本当に動いたというので、
大石に皇石の字が当てられるようになったといいます。」
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島々が見えるよ
ここからは、海がよく見えます。平たい島がありました。
「正面の島は?能古の島?」
「いいえ、相(あい)の島です。黒船や朝鮮使節団を泊めた島です。」
「ああ、そうか、そこは新宮ですね。すると、右の方が津屋崎。」
「そうです。その奥にかすかに見えるのが大島です。」

大島と言えば、宗像大社仲津宮がある所です。
「気象条件がいいと、白いビルの向こうに島が見えます。
沖ノ島ではないかと思うんですが、確認出来ていません。形がそっくりなんです。」

「へえ、ここから沖ノ島が…。すごいですね。
壱岐(いきの)島からは、朝鮮半島が見えるので、
この距離だと沖ノ島が見えている可能性は十分ありますよね。」
まだ見ぬ沖ノ島。女人禁制だから、なおの事、心ひかれる。
古代の祭祀あとがそのまま残っている、「お言わず」の島。

最澄が上陸した所ですって

海まではマンションや家がびっしりと建っています。
「このあたりはやはり昔は海だったんですか?」
「正面に見える川が花鶴(かづる)川ですが、最澄が唐から帰って来た時、
その辺りから、独鈷(とっこ)を投げたと言われています。
そこからみると、落下地点の立花山は真っ正面です。」
「へえ、ここの話だったんですか。」

最澄が唐から帰って来た時、独鈷と鏡を投げて、その落下地点に寺を建てました。
そこでは当時の火が今でも守られていて、その家は千年家と言われています。

神功皇后が軍事訓練を視察したんですか?
「この海域では神功皇后が船団の軍事訓練をしたと何かに書いてありましたが。」
「そうですね。相の島の向こうの海がそうです。」
そこはずっと前にレポートした志式神社を含む奈多や三苫の海域になります。
「むこうの海がよく見えるんですね。」

眼下の平地が全て海だったとすると、行き交う舟が全て掌握出来る場所でした。
もし、ここに神功皇后が立ったとすると、待ちわびた48艘の船が次々に集結して来るのを、
はやる気持ちで眺めた事でしょう。

「小山田斎宮は古賀市だ」というお墨付きがあった
「ところで、古賀市には小山田斎宮という、日本書紀や古事記に記述のある、
特異な神社があるのに、説明板がありませんね。
久山の山田の斎宮には教育委員会の説明板まであるのに。
貝原益軒があちらだと書いたからでしょうか。」

「小山田斎宮の入口に石彫で小山田斎宮と書いたのがありますが、
あれは香椎宮の宮司さんの書ですよ。」
「ええっ、香椎宮の?木下宮司?」
「名前は知りませんが、それが香椎宮のお墨付きだと思っています。」
「そうですか。」

木下祝夫宮司の偉業
木下祝夫氏(1894~1980)は、高松宮殿下から『古事記』の
ドイツ語訳を依頼されて、50年かけて翻訳を完成されています。
今、私もぼちぼちと「古事記の神々」を現代語訳していますが、
外国の人にどうやって古代日本の文化を説明されたのでしょうか。
並大抵の苦労ではなかったと思われます。

その方が自分のお宮で起こった天皇崩御の事件の真相を探求されなかったはずはなく、
神功皇后が神意を尋ねたという「小山田斎宮」は「古賀市の小山田斎宮だ」と
まさしくお墨付きを出されたという事になります。こりゃあ、本物だ。
(この事件については香椎宮に詳しく書いています)

「その香椎宮の宮司さんが九大の眞鍋大覺先生に、
『香椎宮の古宮はスピカを祀る振る宮』だと言った言葉から、私のブログが始まったんですよ。」
「そうですか。面白そうですね。」

「よかったら見て下さい。ところで、とても地元の歴史に詳しいようですが、お仕事かなにか…?」
「ここの史跡案内ボランティアをしています。」
「ああ、どおりで。今日は、思いがけず、プロから話を聞いたんですね。
幸運でした。ありがとうございました。」
                      
                                       (つづく)
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by lunabura | 2010-05-30 09:49 | 皇石神社・おういし・古賀市 | Trackback | Comments(6)
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Commented by u-drink at 2010-06-01 17:51
失礼します。
今日所属する「古賀史跡案内ボランティア」の月例会がありまして
このサイトを知るに様になりました。
サイトを代表から大いに参考となるので視ておくように勧めが
あり早速ざっくりと拝見しました。画像も文章も洗練されたサイトの印象です。時々拝見して勉強させていただきたく思っています。
小生は歴史に興味があり今年4月に会に入会しました新米です。
本日はお邪魔しました。M Nitta
Commented by lunabura at 2010-06-01 20:43
コメントありがとうございます。
地元の方に、その土地の刻んだ歴史の素晴らしさを見直していただけたら、何よりの喜びです。

古賀市は重要な史跡が出ていて、総合的に捉えたら、
弥生時代から古墳時代まで、かなり面白い所ではないかと思いました。
「小山田斎宮」と「鹿部山」と「粕屋の屯倉」「黄金の頭椎」「鉄のよろい」は出色です。

多くの方にこの価値を見直していただけたらと思います。

隣の新宮町と共にひとまとまりの文化圏として、
共同で見ていくと、その姿が明らかになると思われます。

私も、新米です。これからもよろしくお願いします。(^-^)
Commented at 2010-06-03 09:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-06-03 10:56
ありがとうございます(^-^)
昨夜の事は夢見力に書いてます。
何でも、偶然はないですね。
Commented by 前立腺隊じっちゃマン at 2013-05-16 23:24 x
旧聞へのコメ、お許し下さい。少しずつ勉強させていただきます。

神功が久米の子等と呼びかけた久米軍団につきまして、久留米・久米島などとの音の関連性から、ぼんやりと九州地域・海洋民との思い込みをしていました。ところが以前、ドイツのおばちゃんが、彼らは奈良盆地周辺の山岳武装集団であることを、学問的に突き止めた論文を目にしました。
単なる日本趣味で生まれた論文と思えずに、ずっと不可解でした。木下宮司の記事を目にして、やっと諒解できました。木下氏の直接の影響であるか否か、ともあれ、多くの海外への発信が、豊穣な果実となって里帰りするのですね。感動します。

「皇石」につきまして。古語「おほ」は、賞賛を表す接頭語として、オホカミ・オホキミなどと用いられること、御承知のとおりなのですが、地名に用いる「オホ」は、天上界と人間界を結ぶ聖地に用いる、とする説があります。すなわちシャーマンが祈祷する場所であったり墓地であったり。デカくもないのに大崎・大山・大島などと名付けられたところは、そのような来歴を有するようです。皇石の命名は、まさにその意識の発露ではないでしょうか。
Commented by lunabura at 2013-05-17 00:09
ドイツ人が?と驚いたのですが、
なるほどですね、木下宮司が訳しているから、なんですね。
論文って、ドイツ語なんですか?

「おほ」の話ありがとうございます。
こんな話が大好きです。 (^-^)
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