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ひもろぎ逍遥

古物神社(1)宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった


古物神社(1)
ふるものじんじゃ
福岡県鞍手郡古月村大字古門字西山(旧名)
原初の神気を今なお残す宮
宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった


国道三号線、富地原から猿田峠を通って鞍手に入ったら最初の信号、新延(にのぶ)で左折します。
伊藤常足翁旧宅」の案内板を目印に左へ左へと曲がって行きましょう。
古物神社への案内板はないのですが、
伊藤常足が古物神社の神主さんだったのでそれを目指せばOKです。

この人は国学者で、『太宰管内志』という本を書いた事で有名なのです。
途中の道は人家もほとんどありません。山脈の中腹を横ざまに走って行きます。
なにせ山の中です。いつものように、こんもりとした杜を目指しても、駄目です。
案内板のおかげで、そこが古物神社と分かりました。
古物神社(1)宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった_c0222861_11114728.jpg

桜の青葉とアジサイの青い花に迎えられて、参道を歩きます。
古木の作り出す、しっとりとした空気に心が躍ります。
古物神社(1)宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった_c0222861_11122199.jpg

ここは山であり、里である。人々と神社の始まりを思わせる趣が残っています。
いくつかの石段を登りつめると、古き宮の前に出ました。
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形容しがたい重厚さです。
神霊と土地の融合したエネルギーが古代からそのまま残っているような聖地でした。

参拝を済ませて、境内をぐるりと回ると、古い祠がたくさんあって、それぞれに立札が掲げてありました。
とても分かりやすく、どうやってここに勧請されて来たのか、歴史が偲ばれます。

特に境内の右側は一段高くなっていて、そこにもずらりと祠があります。
祠の中の御神体は大体、楕円の石でした。
古物神社(1)宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった_c0222861_1114178.jpg

では、早速、『福岡県神社誌』を見てみましょう。
祭神
天照大御神、日本武尊、仲哀天皇、スサノオの命、
神功皇后、ミヤズ姫神、応神天皇、布留御魂神

ずいぶん沢山の祭神ですねえ。
でも、よく見ると神功皇后の八幡グループと、八剣神社のグループがありますよ。
まずは、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
    香椎宮からずっとお馴染みの「夫と妻と子」の組み合わせです。
続けて日本武尊、スサノオの命、ミヤズ姫の神
    これは八剣神社の三柱と同じ組み合わせです。「草薙の剣の継承者たち」でした。
残りは天照大御神布留御魂神です。
どうやら三つの神社が合体しているようです。
では続きを読みましょう。
由緒は不詳。
祭神・布留御魂神は大正時代に布留神社から合祀している。
社説に曰く、当社は、もと剣神社、八幡宮、二つの産土神だったのが、文政11年に九州一帯の暴風で剣岳の剣神社の神殿などがことごとく倒壊した。よってこの西山に鎮座の八幡宮に合祀した。
明治4年に神祇官の依命が村の名前の旧号を取って、古物神社と改めた。

これを年代順に置き換えると、もともと剣神社、八幡宮だったのが、
江戸時代に台風で剣山の上の神社が倒壊したために、ここに合祀し、
大正時代に布留神社からも合祀したとなります。そして、明治時代に古物神社と改めました。

だから、こんなに沢山の御祭神となった訳ですね。
八幡宮の縁起に曰く、
古門村は神代の昔、スサノオの命が高天原より出雲国に行く時の旧跡である。
十握(とつか)の剣スサオノの命を昔から祀る神社で、剣神社と号す。

これは?なんと!
スサノオの命が出雲の国に行く途中、ここを通ったって?
高天原から出雲に行くルートにこの神社があるというのです。
たった二行の文になんと沢山の情報が織り込まれている事でしょう。

ここと関わる『古事記』のあらすじはこうです。
スサノオの命は父親から追放されて、姉のいる「天」に行って、ウケイをします。
その時、十握剣を持っていました。それをアマテラスが三つに折って、そこから、宗像三女神が生れました。
ウケイに勝ったスサノオの命は、暴れまくって、ここも追放されます。そして、出雲へと向かいました。

この宮はこの十握剣と、その持ち主のスサノオの命を最初に祀っていました。
この祭神の組み合わせのポイントは、三女神がこの十握剣から生まれているという事です。

これに気づいてドキドキです。
何故かと言うと、この三女神は、この鞍手町の六ケ岳(むつがたけ)に降臨しているからです。
そして、移動しながら、現在の宗像大社に鎮座していきます。
「スサノオの命が高天原から出雲に行く途中」という事は、三女神は生まれたばかりになります。

ですから、縁起を言い換えると、この宮は宗像三女神の父親とその十握剣が祀られていて、
今、父親はここを通過して出雲に向かう途中の宮だという事になります。
勧請して来たのではないのですね。しかも宗像三女神のお膝元の話です。

ここは大変古い縁起を持つ宮でした。それだからでしょう。
この神社には幾世代にも渡って、剣に関わる歴史が刻まれて行きました。

次回は、さらにその後の由緒を追って行きましょう。

この話を理解するために、スサノオの命
『古事記の神々』に訳を始めたので、そちらも見て下さいね。
(つづく)

地図 古物神社 六ケ岳 宗像大社 八剣神社


右上の飛行機のアイコンを押せば、
灰色の所が昔の海だと分かりますよ。



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Commented by じゅんじゅん at 2010-09-24 22:55 x
古物神社をよみはじめています。ここの記事は本当に知らないことばかりで驚いています!
「スサノオの命が高天原より出雲国に行く時の旧跡である。」!!

「三女神は、この鞍手町の六ケ岳(むつがたけ)に降臨しているからです」というのはどこに記されていたのですか?
Commented by lunabura at 2010-09-24 23:14
これは神社誌や町史が史料です。
また六ケ岳に三女神が降臨したと言う話は、この辺りでは常識なのです。私は最初に山のガイドブックで見ました。
ついでに、ニギハヤヒの降臨の地も、福岡にありますよ。冬までには書きたいな。
Commented by lunabura at 2010-09-25 09:13
追加です。六嶽神社に詳しく書いています。そちらを見て下さいね。
宗像三女神は六ケ岳⇒神興神社⇒宗像大社と移動しています。
Commented by jumgon at 2010-09-25 22:42
いま、六嶽神社を訪問してきました。
「六ケ岳に三女神が降臨したと言う話は、この辺りでは常識です。」と聞いて、九州の人と近畿の人間では基礎知識が違うと思いました。
熱田神宮の神宝盗難事件は知らなかったのですが、そちらにも興味がわいてきました。なにしろ、白村江の戦いのすぐ後の話ですものね。
古門神社のお話、有難うございまじた。
Commented by lunabura at 2010-09-26 09:10
昨日くるま座さんと話をしていて、やはり同様の意見を聞きました。
福岡の人は比較的近畿の情報を新聞などで知る事が出来ます。しかし、私が学校で一度も天智天皇が福岡に来ていたなどと聞かなかったように、福岡の人自体が古里の歴史に関心がないんだという事をまのあたりにしています。この鞍手でも、筑後川流域でも、古墳や古代の聖地が壊されています。じゅんじゅんさんが桃の実の街を紹介してくれましたが、あのように、故郷をそれぞれが大切にするといいですね。
熱田神宮の盗難事件はネットに詳細に出ています。その伝承も組み合わせて行くと当時の情勢が分かるなと私も思いました。
by lunabura | 2010-07-04 11:38 | 古物神社・ふるもの・鞍手郡 | Comments(5)

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