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古物神社(2)草薙の剣が降って来た・筑紫の天智天皇


古物神社(2)
草薙の剣がこの近くに降って来たという。
天智天皇は前年まで筑紫にいて何をしていた?

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神社誌を続けて読んで行きましょう。

剣神社の縁起に曰く、「天智天皇の御世に、僧・道行熱田神宮の神剣を盗んで、新羅に行こうとした時、剣がにわかにその袋を突き破って空に飛び去り、筑前の古門に落ちた。

その時、光が放たれて、数里四方まで輝いて見え、土地の人が驚いて見ると、剣だった。
みんなこれは神のものだと思って、穢れのないようにと、相談して小さな祠を作ってこれをおさめた。

朝廷がこれを聞いて草薙の剣だと分かり、使いの官吏を派遣して熱田に戻した。これよりその剣が落ちた所を「降物」と言った。剣が自ら降りて来たという意味で、今「古門」と言うのはなまりである。

剣は熱田神宮に戻ったとはいえ、神霊はなお古門に留まっていて、魔を払い、災いを消すということで、万民が崇敬した。」
石上布留魂大神の座所のゆえ、布留毛能(ふるもの)村と名付けた。

さて、この剣神社には、道行が盗んだ剣が落ちて来たという縁起が伝わっていました。
さすがに神剣らしく、空を飛んで来ています。
(草薙の剣の歴史と盗難事件の詳細は八剣神社の方に書いています。)

この由緒によると落ちた所を「降るもの」と呼び、「古物」の字が当てられて、
それがなまって「ふるもん」「古門」という地名になっていったようです。

この縁起には見逃せない背景がいくつかあります。
1)天智天皇はこの前年まで筑紫にいた。
2)「ふる」とは隕石を指す古語である。
3)奈良の石上神宮の地名も布留であり、どちらも物部氏の祭祀する所である。
という事です。一つずつ見て行きましょう。

1)天智天皇はこの前年まで筑紫にいた。
天智天皇(中大江皇子)の母は斉明天皇です。
斉明天皇は新羅と闘うために筑紫に来ていました。その流れを追ってみましょう。

        661年 母君の斉明天皇が福岡県朝倉で突然崩御される。
        662年 36歳の中大江の皇子は天智天皇となり、
              筑紫の那の津長洲の宮に遷都する。
                         (現在の博多港周辺) 
        663年 白村江で大敗する。
        667年 大津へ遷都する。
        668年 草薙の剣が盗まれる。

この時代の筑紫では日本と百済の連合軍vs新羅と唐の連合軍の戦いがあり、
日本が敗北した上に、百済からの難民があふれて、大変慌ただしい時代でした。
しかも、その間に天皇の突然の死と天智天皇の即位がありました。
WIKIでは、その当時の事は謎だと書いてあるのですが、筑紫の方では話が伝わっていました。

眞鍋大覚氏によると、
天智天皇は即位後、磐井氏が作った水城(みずき)に手を加えて、
筑紫の南北を通す運河にするために、大工事をしていたそうです。
このブログに何度も登場する針摺の瀬戸(はりずりのせと)の事です。

さらに、時計磁針づくりに取り組んでいました。
磁針とは細い磁石の事で、細戈(くわしほこ)と言います。
これで羅針盤が出来る訳です。
また、背振(せぶり)の葵祭を京にもたらしたのも、天智天皇だそうです。

こうして、天智天皇は敗戦後に、新たな文明を取り入れて、強固な国造りに取り掛かっていたのが伺えます。
新羅に対する防衛の基盤を整えてから、大津に遷都しました。草薙の剣が盗まれたのはその翌年です。

新羅へ逃走するにはここを通らずにはいられない?
さて、剣を盗み出した道行の話に戻りますが、彼は新羅へ逃走するのですが、どこを通ったのでしょうか。
船路にしろ、陸路にしろ、九州に上陸して博多方面に行かねばなりません。

さて、昔の遠賀川のイラストを見て下さい。
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(鞍手町「古月横穴」の資料を一部改変)
これを見ると現在の平地はほとんど海没しているのが分かります。
左下に古物神社があります。その北の虫生津がありますが、
神功皇后たちはここから上陸して、この古門神社に移動します。
昔はこのルートがあった訳です。この古門は、交通の要衝です。
道行もここを通らずにはおかれなかったはずです。

ところが、この地は天皇の軍隊であり、警察でもある物部氏の本貫地です。
敗戦した後ですから、まだ警備は厳しかったでしょう。

だから、道行がここで捕まった可能性は高いなと思いました。
そして、取り返された剣の保管地に剣神社が選ばれた訳です。
それを神剣らしく、光って降って来たと色付けされて伝えられました。

蛇足です。
奈良時代をあなどるなかれ!

この当時は平城京から全国へのまっすぐの道が作られていて駅家(うまや)が16キロごとに整備され、太宰府から都まで、「4日」で情報は伝わった。
(2009年11月24日放送 NHK『謎の古代の道』より)

奈良時代に、驚きの道路網がありました!

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境内の左奥にある「旧剣神社拝殿跡」です。

(つづく)



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by lunabura | 2010-07-03 11:34 | 古物神社・ふるもの・鞍手郡 | Trackback | Comments(2)
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Commented at 2010-06-29 10:44 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-06-29 16:05
そうですね。教科書では奈良や京都の都を中心に書いてあったので、
その他はただの田舎かと思っていましたが、
この鞍手や志賀島あたりの伝承を辿ると、元宮もこちらにあったりして、
文化が中国や韓半島から福岡を経由して、関西に流れて行くのがよく見えます。
鞍手は乱開発がないので、原初の伝承や地名がそのまま残っていて、
古代史の宝庫のように見えます。
だれか、地元の方が、克明に研究されると、日本の夜明けごろの姿が明らかになると思いました。
伊藤常足氏が国学者になったのも、自分の神社に余りに有名人の名が出てくるので、日本書紀の研究を始めたんでしょうね。
気持ちがよく分かります。
特に、鉄や青銅などの金属の製造の研究をすると、かなり具体的なものが見えてくると思います。
非公開さん、これからも、よろしくお願いします。

また、本を教えて下さった、マリリントリさん、モリモリキッズさん、
この場を借りてお礼を申し上げます。
ただいま、読んでいます。(*^_^*)
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