ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

織幡神社(2)紅白の旗がここで初めて織られたよ。


織幡神社(2)

紅白の旗がここで初めて織られたよ。
c0222861_2152912.jpg



今日は神社の由来について、『玄海町史話伝説』
(玄海町教育委員会)を抜粋しながら見て行きましょう。


平安時代からオリハタ宮と書いてあり、地元ではシクアン様と言われています。
正しくはシキハム様です。

シキハム様…不思議な名前ですね。これがオリハタ神社の別名だという事です。
なんだか気になりますが、これ以上は調べようがありません。
古い時代、この社は盛大な祀りが行われ、
特に平安時代は住吉宮以上の社格の高い神社でした。

第一は宗像大社ですが、その次がこの織幡神社だったそうです。
ここは大変重要な聖地だったんですね。

縁起が書いてありました。
『宗像大菩薩御縁起』に、
「金崎織幡大明神は本地は如意輪観音、垂迹(すいじゃく)は竹内大臣の霊である。
神功皇后の三韓征伐の時、紅白二流の旗を織り、宗像大菩薩の御手長
(神儀の象徴たる長い旗竿?)に取り付けられたので織幡の名がある。
異国襲来の海路守護のため海辺に居り給う」云々(うんぬん)とあります。

この話には、仏教の影響が見られますが、もともと竹内大臣が御祭神だという事です。
神功皇后が新羅と戦う時、紅白の二枚の旗を織ったのが始まりでした。
この旗を長い竿に取り付けて、船の先頭で振って勝利を導いたのですね。
そのお蔭かこの戦争に勝ったので、軍師とも称えられる竹内大臣の御霊を
異国の襲来から海路を守護するために祀った事情が分かりました。

さらに縁起が伝わっていました。
『織幡宮縁起』(天和3年)
神功皇后及び武内宿禰、洞の海より高津山に登られ、神々に祈られ、
次いで波津(はつ)の浦で軍(いくさ)の旗を織らしめ給い、
その所を名づけて「はたの浦、大旗、小旗という。
今のはつの浦とは言いなまりなり。
ここに織幡大明神とは号するなり。

この岬の東側に波津の浦はあります。
そこで旗を織らせたので「旗の浦」と言ったのが、「はつの浦」になまったのだそうです。

c0222861_214274.jpg

岬の全景です。右側から登って行きます。
この神社を守るかのように、武人の石棺が麓や中腹にあるそうです。
江戸時代に人骨や鉄剣が出たのですが、ホリホリと崩れてしまったとか。

この「紅白の旗を織らせた」という事は、背景には機織りの出来る技術集団が存在したという事です。
ここは宗像大社のお膝元。
宗像族は、船や漁業だけでなく、高度な服飾文化を持っていたのがわかります。
衣服はもちろん、船の帆も必要です。

この集団に、紅と白の旗を織らせることが出来た竹内大臣は、ここと深い縁がある事が想像できます。

この「紅白の旗を織った事」は当時の人々にもよほど印象深かったのでしょうか、
この旗に関する神社と伝承が他にも二つ、近くにありました。
玄海町多礼(たれ)柚木(ゆのき)の指来(さしたり)神社の縁起書に、
「この神は神功皇后が異国に出兵の時、御旗を司った神なので、
旗指(はたさし)大明神と言ったのを、今は訛って指来(さしたり)明神という」
とあります。

なるほど、旗が出来上ると、それを采配する人が要るのですね。
この人は海の事を熟知して、戦うのも畏れぬ人だったのでしょう。
その人がこの指来神社で神として祀られているというのです。

面白い事に、この時、船の帆を縫った神さまも伝わっています。
津屋崎町奴山(ぬやま)の縫殿(ぬいどの)神社は、
「里民の言い伝えには、昔、神功皇后が新羅を征し給う時、船の帆を縫った神である、」
と言っている。
今、神名について思うに、これは兄媛を祀った神だろうか。


などと、『筑前国続風土記』にあります。 この伝承は厳密に見ると、時代の錯誤が見られます。
それはそれとして、帆を縫う人も必要です。
今回は、これが事実かどうかより、のちに兄媛の指導を迎え入れる技術者たちが
いた背景が伺われる点に注目したいと思います。

この兄媛(えひめ)については、『日本書紀』にこう書かれています。
応神41年2月、阿知使主(あちおみ)らが、
呉(くれ)の国から筑紫に帰って来た時に、胸形大神より工女を乞われ、
連れて来た兄媛(えひめ)、乙媛(おとひめ)、呉織(くれはと)、
穴織(あやはとり)のうち、兄媛を奉る。


阿知使主が中国まで行って、四人の織姫を連れて帰る途中、
宗像族の王がどうしても一人欲しいと望まれて、兄媛がここに残ったという話です。
その兄媛を祀る神社がこの縫殿神社です。
亡くなったあと、日本に機織りの技術を伝えた神様として祀られました。

こうして、オリハタに絞ってこのエリアを見ると、
弥生時代からすでに、華やかな織物文化があったのがしのばれます。

その伝承のある神社の位置関係を見てみましょう。
地図 織幡神社、波津の浦、指来神社、縫殿神社、宮地嶽神社、宗像大社


大陸や韓半島から技術者を連れて帰ると、
クニの王の所に挨拶をして、泊めてもらう事もあるでしょう。
お土産として布が献上されたと思われます。
それを見た王たちが技術者を欲しがる気持ちもよくわかります。

都に行く四人の織姫の一人を是非と言って置かせたのは権力の裏付けもありました。
織姫たちは、とても大事にされた事でしょう。
古代の人たちも、素敵な布で身を飾りたかったんですね。

「スセリ姫」の所に書いていますが、大国主の命は、妻と別れようとする時でさえ、
「何色の衣装を着ようか」なんて、歌っています。赤や青や黒など、色彩豊かです。

天照大御神は、神の為の布を織らせるために、精進潔斎した御殿を用意しています。

弥生土器の底に布の織り目が残っていたりするので、
織る文化はけっこう早かったのが分かります。
c0222861_21104670.jpg

これは、沖ノ島の女神に奉納された、金メッキの機織りのミニチュア版です。
20センチぐらいだったかなあ。奈良時代のものです。
実際に織る事が出来るんですよ。宗像大社の神宝館で見る事が出来ます。

(つづく)


気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2010-07-13 21:26 | 織幡神社・おりはた・宗像市 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://lunabura.exblog.jp/tb/14778700
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by ぱら at 2016-06-28 20:54 x
るなさんこんばんわ( ´ ▽ ` )ノ

織幡さん→シキハンさん→シキハムさん
とか 口語変化して行きそうなんですが如何でしょうか?
Commented by lunabura at 2016-06-28 22:33
ありゃりゃ。
あり得ますね \(◎o◎)/!
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー