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織幡神社(3)祭神・壱岐真根子の悲劇


織幡神社(3)

壱岐真根子の悲劇
祭神・竹内大臣と壱岐真根子臣

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さて、一番最後に書かれている祭神の壱岐真根子(いきのまねこ)を
ネットで調べると、
中心の祭神・竹内大臣と深い関わりがあるのが分かりました。
その話は『日本書紀』に載っているので、それを現代語訳してみます。
応神天皇の7年の秋9月に高麗人(こまびと)、百済人(くだらびと)、
任那人(みまなびと)・新羅人が並んで来朝しました。
その時、武内の宿禰(すくね)に命じて、この韓人(からひと)たちを率いて、
池を作らせました。その池は韓人の池と呼びます。(場所は不明。)

応神9年の夏、4月に武内の宿禰を筑紫に派遣して、百姓(豪族たち)を監察させました。
その留守の間、武内の宿禰の異母弟の甘美内(うましうち)宿禰が、
この兄を落とそうとして、天皇に讒言(ざんげん)しました。

「武内の宿禰は常に天下を取ろうと思っています。
今聞いたのですが、筑紫に行って、密かにはかりごとをして、
『筑紫を分裂させて、三韓の王を呼んで自分に従わせて、天下を取ろう』
と言っているそうです。」と申し上げました。

すると、応神天皇はすぐに使者を使わして、武内の宿禰を殺すように命じました。
武内の宿禰は嘆いて言いました。
「私はもとより、二心(ふたごころ)は無く、忠義をつくして天皇にお仕えしていた。
いったい何のわざわいなのか、罪もないのに死ねというのか。」と。

そこに壱岐直(いきのあたい)真根子(まねこ)という人がいました。
その人は武内の宿禰と見た目がそっくりでした。
武内の宿禰が罪もないのに空しく死ぬのを惜しんで、言いました。

「まさに、大臣は忠義の心で天皇に仕えています。
はかりごとなど悪い考えがないのは、天下のすべてが知っています。
願わくは、密かにここを去って、朝廷に参内して、
自ら罪の無き事を伝えて、それから死んでも遅くはないでしょう。

また、誰からも『私めの姿かたちが大臣そっくりだ。』と言われます。
だから、私めが大臣に代わって死んで、大臣の清らかな心を明かしましょう。」
と言って、即座に剣で自分を刺して亡くなりました。

武内の宿禰はひとり大変悲しんで、密かに筑紫を去って、船に乗って、
南海を廻って、紀水門(きのみなと)に泊まりました。
ようやく帝に面会を許されて、罪のない事を弁明しました。

応神天皇は武内の宿禰と甘美内の宿禰の言い分の食い違いを尋ねました。
すると、二人は自分の言い分を変えずに争いました。
どちらが正しいのか決められませんでした。

そこで応神天皇は天地の神に誓わせて、探湯(くがたち)をさせました。
(探湯とは熱湯に手を入れて、ただれた方を邪とする審判法)
こうして、武内の宿禰と甘美内の宿禰は磯城(しき)川のほとりで、
探湯をしました。武内の宿禰が勝ちました。

すると、すぐに太刀を取って、甘美内の宿禰を打ち倒し、ついには殺そうとしました。
応神天皇は勅命を出して、許させて、
武内の宿禰の母方の紀の直(あたい)の奴婢にしました。


壱岐真根子にはこのような悲劇がありました。

壱岐真根子をネットで検索すると、
佐賀県の武雄市若木町に伏屍(ふし)神社があり、
そこに壱岐真根子が祀られていました。
運んできた彼の遺体が重くて、その近くに埋葬されたらしいです。

また香椎宮の社家系図に、
武内の宿禰が壱岐真根子の娘の豊子と結婚して、子供が生れている
というのが掲載されていました。

これらを総合すると、武内の宿禰は、
百済など韓国の事情に詳しい壱岐の真根子の所に行って滞在した時に、
刺客が間違えて真根子の方を殺してしまった可能性が出て来ました。
すぐに刺客を捕えて、事情を知った武内の宿禰は、
応神天皇の誤解を解きに行った。

大まかには、こんな流れがあったのかもしれません。

銀杏の木に込められた思い。


境内に銀杏の木があり、立札にこう書いてあります。
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下関・忌宮神社・御祭神・仲哀天皇をしのんで、
武内の宿禰公が植えられた木の末裔だと伝えられています。

仲哀天皇が香椎宮で急に崩御されたあと、
下関の豊浦宮まで遺体を運んだのが、武内の宿禰でした。
仲哀天皇から信頼が厚かったので、命をかけて、
残された神功皇后御子を支えて来ました。
その御子が応神天皇です。
その応神天皇に誤解されて殺されようとした無念さはいかほどかと思われます。

竹内宿禰は靴を残して昇天した。
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この境内にはさらに、不思議な沓塚(くつづか)があります。
立札にはこう書いてあります。
祭神 武内の宿禰公
両沓(ふたつのくつ)を残して、昇天される。その沓を祀る。

この文からは肉体を残さずに昇天したという、神としての死に方を与えられています。
武内の宿禰がどれほど大切に思われて神格化されたかが分かります。

かれはこの近くで亡くなったのでしょうか。墓所が近いかもしれません。
この玄界灘を見下ろす丘陵地帯は、古墳だらけです。
その初期の古墳あたりに、探してみたら面白いなと思いました。

さ、では気分転換に神社から見える海の景色をどうぞ。
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(つづく)



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by lunabura | 2010-07-12 22:01 | 織幡神社・おりはた・宗像市 | Trackback | Comments(4)
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Commented at 2010-07-20 17:45 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2010-07-20 18:04
この神社の周りは、南方を思わせるような大きな植物がありました。
海の写真にも、左の方にちょっと写ってます。
この付近は格別に海が美しいですね。
Commented by じゅんじゅん at 2011-01-18 13:45 x
壱岐真根子が武内の宿禰にそっくりだなんて、不思議です。
それから、探湯って、よく出てくるけどホントにそんなことしたのかしら?
Commented by lunabura at 2011-01-18 14:24
どうやら、この佐賀県の武雄あたりも、武内の一族がいたようなのです。想像ですが、親戚ではないかと思うようになりました。だから似ていると。たんなる想像ですが。
探湯はどうでしょうね。手を入れたらだれでも、ただれるでしょうけど。かなり怖い伝承ですよね。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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