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蕨手文様は伽耶出身王族のシンボル?


蕨手文様は伽耶出身王族のシンボル?
伽耶と倭の装飾古墳をつなぐもの

『伽耶文化展』のつづきです。
こんな不思議な鉄器が載っていました。「有棘利器」と言います。
c0222861_1413406.jpg

左から3世紀~6世紀(長さ13.5~25.5)
これを見て、蕨手(わらびて)文を思い出しました。
一番左なんかは蕨そのものです。
それが下のように鳥の姿に変化していきます。
c0222861_14142287.jpg

5~6世紀(長さ33.6~49.8)
いったい何に使ったんだろう。
棒に突き刺すさめに下部が丸くなっています。
本の解説文です。
有棘鉄器とは、鉄板の側面をえぐって棘(とげ)の形に作った
鉄器のことをさし、鉄鋌を利用して一番簡単に作られる鉄器である。
伽耶地域の有棘利器はおよそ4世紀に出現し、
初期には主に権威の象徴として大型の古墳に副葬された。
その後、伽耶の滅亡を前後する頃には小型の古墳にも埋納されるが、
次第に消滅してゆく。
最近の調査例を見ると、種類も多様で地域ごとに独特の特徴を持っている。
特に陝川地域(伽耶の一部)から多く出土した有棘利器には、
鉄板をえぐってが表現されており、ある種の象徴性が加味されている。(略)
日本では、奈良県藤の木古墳出土の冠装飾に
有棘利器にみられる鳥の装飾文様があり、注目を集めている。

562年 伽耶は新羅に併合されて滅亡。
663年 白村江の戦い 倭は唐・新羅連合軍に大敗。

この利器の使い方は書いてありませんでしたが、
主に権威の象徴だという事が分かりました。
そして伽耶の中でも一部の地方で鳥に変化したようです。
それが日本の出土品ともつながっていました。
そのつながりを指摘された藤の木古墳の冠がこれです。
c0222861_14162218.jpg

たしかに、内側は木の枝のように装飾的になって、
外側に鳥のモチーフが見えます。これは6世紀末だそうです。
「蕨手は鳥のモチーフへ」と変化して、倭の王族の冠となりました。

ところが、この蕨手は福岡県の装飾古墳の中では
「蕨手そのもの」として発展しています。
c0222861_14171916.jpg

珍敷塚古墳復元図 (日下八光氏製作)

中央の上の方にその蕨手があります。それは靫(ゆぎー楯)の上にあります。
また左の船の舳先に鳥がとまっていて、その上には同心円があります。
「蕨手と鳥」が揃っています。

蕨手ってなんだろう。
蕨手についての説をざっと調べてみましたが、
これといった説が見当たりませんでした。未解明のようです。

それに対して、靫や同心円については、
「氏族のシンボル」と捉える説に出会いました。
「同心円」は「的」の事でイクハと言い、それがウキハ、浮羽となった。
「靫」は「靫負(ゆげい)の大伴(おおとも)氏」の象徴。

これはかなり魅力的な説です。(和田萃氏―下注)
この装飾古墳が浮羽あたりで発達するのを見ると、可能性は高いと思いました。

この説の延長線で考えると、「蕨手」も氏族を指している事になります。
この氏族を仮に「蕨手族」と呼びます。
珍敷塚古墳の絵は
「同心円のイクハ氏」と「靫負の大伴氏」が「蕨手族」を支えている
というストーリーになります。
被葬者は蕨手族の人です。

この蕨手文は他の装飾古墳にも10例ほど見られます。
その中でも、有名な王塚古墳には
蕨手がこれでもかというほど描かれています。
c0222861_1419993.jpg

これは入口のすぐ右側にあります。

これを見ると、赤と黒のが描かれていて、馬に乗った人物はとても小さく、
それに対して蕨手文はかなり大きいです。
シンボルとして解釈するなら、製作者の意識には順位づけがあって、
蕨手が一番、馬が二番、騎手が三番です。
その心理は「蕨手だ。蕨手のお蔭なんだ」と称えているように思われます。
(でも、馬の方がすごいぞ。)という気持ちもチラリ。

自分が墓を作る立場だったら、何を書き残したいかと考えました。
「遠い所から来て、豊かなクニづくりをした大王が亡くなった。
この大王の出身は蕨手族である。それを支えたのは騎馬軍の私たちだ!」
墓の碑文に書くとしたら、そんな事を書きたい。
それを文字を使わずに表現するとしたら、絵しかない。
壁画は碑文代わりに描かれたと考えました。

短甲にも蕨手があった
蕨手が図録にもっとないかなと再び探してみると、
短甲に蕨手が堂々と付いていました。
c0222861_14203549.jpg

伝金海 退来里
高さ66センチ 三国時代 5世紀 国立中央博物館

この短甲には前にも後ろにも蕨手がついています。
戦いの時に自分のクニや氏族を明らかにするためです。
羽根のような刀の形をした部分は首を守るためのパーツです。
戦いに明け暮れた様子が伺えます。

器の取っ手まで蕨手。
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高霊 池山洞45号墳 三国時代 5-6世紀 国立慶州博物館
取っ手は指が入るようなデザインが普通の中に、こだわりの一点が…。
やはり、蕨手は紋章的なトーテムの可能性があります。

この蕨手族が倭にやって来たと想像してみました。
どんな事情だろうか。
1・新羅などと戦って負けて逃れて来た。
2・クニが拡大するなかで、平和裏に王族の皇子あたりが派遣された。
3・筑後や穂波あたりの豪族が軍事的援助を頼んで招いた。
いくつかのケースを考えました。
いずれにしろ、結果的には蕨手族はここで
豊かなクニづくりをしたのではないかと思いました。
それというのも、この王塚古墳の場所が最高のイヤシロ地にあったからです。
(王塚古墳は別項にて)

これらから仮説を立てました。
伽耶あたりで発生した王族がいて、蕨手文をシンボルとした。
蕨手文は鳥の形にも変化して行き、藤の木古墳の被葬者の冠に影響を与えた。
一方で、蕨手族が直接、福岡県にやってきた。
かれらはイクハ氏や大伴氏と共に豊かな装飾古墳文化を作った。

どうでしょうか。写真を並べるうちに、こんなストーリーになりました。
仮説です。いろんな方面からの意見をお待ちします。

参考図書
「古代史からみた装飾古墳」 和田萃 『装飾古墳が語るもの』国立歴史民俗博物館編 吉川弘文館 平成7年
『伽耶文化展』 編集―東京国立博物館 発行―朝日新聞社 1992年
王塚古墳の写真以外はこの二冊から転載しました。



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by lunabura | 2010-08-27 14:30 | 韓国 | Trackback | Comments(8)
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Commented by 蕨手 at 2010-08-27 23:06 x
珍しい画像と斬新な発想を有難うございます。鉄器についてはよく知りませんでした。蕨手文との関連は十分に考えられるですね。調べてみたいです。
文様の氏族紋説についてはコメント欄では足りませんので詳しくは記事等で特集したいと思いますが、そのような説が確かにあります。
それには2点ほど論争点をあげておきます。円文については的氏族に割り当てるにはあまりに普遍的な文様でほとんど全ての装飾古墳で見られると言うことが一点(靫もそれに近い)。逆に蕨手文については王塚、丸山塚等の例外を除いてかなり地域性の強い文様で、大部分が的氏族の本拠地の浮羽郡に重なって描かれていると言う2点です。
Commented by jumgon at 2010-08-27 23:13
装飾古墳には「蕨手文」渦巻き紋?がたくさんあるんですね。渦巻き紋って、とても不思議な神秘的な感じがします。短甲に蕨手、、、ビックリ出酢。初めて見ました。銅鐸にも渦巻きが周りにくっついたのがありますね。(羽曳野市、西浦出土)
蕨手文が鳥の姿に変化していくのって面白いですね!鶏みたいな感じがします。
Commented by lunabura at 2010-08-27 23:39
蕨手さん。ご意見ありがとうございます。
本物を沢山見た方の直感は何よりの情報です。
文様の解釈については、是非記事として見せていただきたいです。楽しみにしています。
Commented by lunabura at 2010-08-27 23:45
鶏…。そう言えばそうですね。鶏を眷族にした神社はどこでしたっけ。伊勢?ちょっと思い出しませんが。
装飾古墳は一度見たら忘れられないほど、迫力があります。この先、紹介します。先に見たかったら、コメント欄の蕨手さんのサイトで見て下さいね。サイドバーでリンクしてます。「装飾古墳今昔紀行」です。
Commented by jumgon at 2010-08-27 23:56
「装飾古墳今昔紀行」  ちょっと覗いたことがあります。おもしろいですね。
Commented by lunabura at 2010-08-28 09:29
文様の氏族説について、かなり魅力的なので、これから検証する対象にして行きたいです。
例えば、同心円ばかりの古墳は、的氏の墓。靫だけのは大伴氏の墓。という可能性を考えました。数千にのぼる古墳は王族だけでなく、そういう一般的な氏族の人たちの墓も含まれるので、自分の氏族の紋章を描いた可能性があると思いました。
顔料が手に入りにくい時代に、それを手に入れた人だけがペインティングできたのでしょう。
この説で他の文様も説明できないか、気になる所です。
Commented by zeong at 2013-04-21 17:51 x
はじめまして
有棘利器は日本では見つかってないんですか?
Commented by lunabura at 2013-04-21 21:22
zeongさん、はじめまして。
有棘利器については、全くの素人で、今読み直すと赤面です。
日本で出土したかどうかは、分かりません。<(_ _)>
考古学の先生とか、歴史資料館の学芸員の方に尋ねてみてください。
そして、分かったら教えて下さいね (^-^)
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