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牽牛子塚古墳・八角形の古墳・斉明陵か?


牽牛子塚古墳
けんごしづかこふん
奈良県明日香村
八角形の古墳
斉明天皇陵に確定か?

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第一報はテレビのニュースで知りました。
古墳の盛り土から崩れかけた石柱がくっきり。
わあっ、日本の古墳じゃないみたい。新聞を楽しみにしました。

2010年9月9日。西日本新聞に古墳が掲載されました。
すごい。八角形だ。墳丘からは加工された石柱が覗いています。
その石柱がきっちりとした直方体に見える。
こんなの、日本ではまだ見た事がない。

この古墳は牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)と言います。
牽牛子とは「朝顔」の意味だそうです。
こんな八角形はかなりデザイン性が高いので、かなり目立ちます。
この瀟洒なデザインが飛鳥時代のものとは。

まずは、その外観と敷石。
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アップすると、やっぱり石柱は角度がきっちりと取られています。
崩れた原因は中世時代の南海地震のせいだそうです。
学芸員の人が示す敷石を見ると一つ一つが煉瓦のように切られています。
すごい技術です。幅が1mで長さが9m。これが8辺あるという事です。
墳丘の大きさはコンパクトな感じを受けます。高さは4.5m以上あったとか。
この墳丘には全体が7200個の白い石で覆われていたそうです。

これはその概念図。
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このイラストを見ると、本当にピラミッドです。
これが太陽の光に照らされて、白く輝いていたのですね。
イラストの右上の石室を見ると棺が二つもあって、石の衝立があります。


毎日新聞に、その内部の写真がありました。貝塚太一撮影
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なんとも迫力があります。
壁には漆喰が塗られていたそうです。
床を見ると左右が少し高くなっています。ここに棺を置いたのでしょうか。
特に珍しいのは中心の柱。
こんな風に石室内に柱を持っている古墳は、
知ってる限りでは、福岡県の奴山の古墳ぐらいです。
そして、それは高句麗古墳の特徴と聞いています。
また、外側に石を敷き詰めるようなデザインは新羅で見られるそうです。

この石室の記事を見てまたまた驚きました。
これは80トンの巨石をくりぬいて造られたそうです。
組み立てたのではないんです。く、くりぬきです!
どれだけの労力が使われたのか。巨岩をくりぬくと言えば、
中国の敦煌とか、中東の古代からの街とか、を思い出します。
そんな技術集団の一部が日本にまでやって来て、腕をふるったのでしょうか。

巨石はいったいどこから
それは15キロ離れた奈良・大阪の県境の二上山の麓と分かっています。
二上山といえば死者の山。特にここの岩にこだわったのかもしれません。
比較的加工しやすい凝灰岩だそうです。
運び方?それは木製の大型そり「修羅(しゅら)」だそうです。
修羅の現物も実際に出土した例があります。

さて、被葬者は誰かというのを調べるのは副葬品が重要な手掛かりです。
盗掘を受けながらも、少し出ているそうです。
まず棺は漆と布を交互に塗り固めた最高級品。(夾紵棺(きょうちくかん))
ガラス玉などが出ています。六方形の飾りは七宝焼きだそうです。
そして、人の歯が残っていて、それは女性だとか。

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(明日香村埋蔵文化財展示室で常設展示)

ターゲットは絞られた
「最高級の棺」と、「二人の合葬」と「女性」という事から、
斉明天皇と娘の間人(はしひと)皇女」だという見解で一致。
日本書紀に書かれているそうです。
八角形古墳は、全国には20例も見られるそうですが、
7世紀には天皇家のみに使われるようになったという事です。

ところが、宮内庁は高取町の車木ケンノウ古墳を斉明陵としているので、
その見解に変更はないという事でした。

八角形古墳に埋葬されているのは、
斉明天皇の夫の舒明天皇と、息子の天智、天武両天皇。
だから斉明天皇も八角形古墳に埋葬されている可能性は高いですね。
どうやら、考古学的には証拠固めが出来たという印象です。

ルナ的に驚いたのは、たまたま報道の二日前に、
「斉明天皇が亡くなった福岡県では、その史跡は保存されているかな」
と、思ってネットで調べたばかりだった事です。
61歳で再び天皇になって、筑紫で亡くなって、
奈良に運ばれて埋葬された、そんな女性天皇とは。
彼女にいったい何が起きたんだろう。

                                (つづく)
この後、斉明天皇が亡くなった朝倉市のモガリの宮「恵蘇八幡宮」を調べたら、
そこに斉明天皇の墓の場所が書いてありました。しかし特定がまだ出来ていません。
サイドバー「恵蘇八幡宮」か、下のリンクからどうぞ。

恵蘇八幡宮(2)
なんと縁起に斉明天皇陵の所在地が書かれていた。
「高市郡越知岡村」は牽牛子塚か?車木ケンノウか? 


恵蘇八幡宮(3)
越知岡村はどこ?
一筋縄では行かない地名の特定明日香村の地名の変遷が分からない


☆ 晩年の斉明天皇について、現代語訳を始めました。(⇒サイドバーからもリンクしてます)
斉明天皇6年より 百済の使者、百済の敗北を伝え、援軍を要請した

地図 奈良県明日香村





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by lunabura | 2010-09-17 16:59 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(4)
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Commented by jumgon at 2010-09-17 18:34
<明日香村埋蔵文化財展示室>これは盲点だった!行きそこねたよ。なにしろあつくて、熱中症でたおれたりしたらカッコわるいものね。いつもは土、日曜日は開いてナイのだけど「遷都祭」の間はあいてたみたい。
残念!
Commented by lunabura at 2010-09-17 19:50
え?土日が休館なんですか?珍しいですね。資料館は事前にチェックか。こちらの苅田町も四時までで、特別に開けていただいた事もあるので、気をつけます。
今回は行ったこともないけど、マイ保存版として作成しました。後からでは、資料が手に入らなくなるので。でも、明日香村は二度ほど行ったんですよ。大好きです。
じゅんじゅんさん、展示室に行ったらレポートお願いします。
Commented by 蕨手 at 2010-09-17 20:56 x
被葬者談義は一般の興味を惹きやすい切り口ですが、そこまで確定出来るほど日本の大王墓に関する研究は進んでいないのが実態です。
マスコミはそのようなコメントばかり強調して伝えるので注意した方が良いと、これは学芸員の方も言っていました。
それよりも注目すべきはその構造ですよ。ここまで八角墳の外装が良く判明した例は見ないと思いますし、石室材の規模はこれまで判明していたもの越えて凄まじいものがありますね。
石室の中は柱ではなくで、中壁で仕切られた珍しい並列双室の石室となっています。床と扉以外は全て一つの巨大な岩を刳り貫いて作ってあるのも驚きなのですよ。
今回はその更に周囲が柱石で取り囲まれていたとはねえ・・・・
この古墳の石室と「明日香の岩船」さらには「播磨の石の宝殿」との関連性等に注目されますと、更に面白みが増してくることでしょう。
Commented by lunabura at 2010-09-17 21:23
確かに被葬者に関しては、研究が難しいでしょうね。今回おもしろかったのは、研究者と宮内庁の温度差。これからどうなるか注目していたいと思います。それにしても、実は、いつの間に天智天皇などのお墓が特定されていたのか、全く知りませんでした。今だに、名前が分かるのは筑紫の君磐井だけかと思ってました (;一_一) 
石室の中の仕切りは柱ではないのですね。イラストと見比べると、別物に見えるので、どう表現しようかと悩みました。さすが蕨手さん、よく見てあります。
さて「明日香の岩船」とは「益田の岩船」の事でしょうか。酒船石は見たのですが、岩船はまだ見ぬ恋人です。「くりぬいた」という点で、やはり、真っ先に思い出しました。同時代とも言われますが、これこそ謎だらけなので、パスしました。
また、いろいろと教えてください。そうそう、もうすぐ装飾古墳開きですね。 (^-^)
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