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板付遺跡(1)弥生人の足あと・縄文水田もあった


板付遺跡(1)弥生館
福岡県博多区板付三丁目21 
弥生人の足あと
縄文水田もあったって 


福岡空港の近くにその板付遺跡はあります。
弥生時代を代表する遺跡です。その特徴は
教科書を塗りかえた縄文水田の発見!
米作りは弥生時代からではなかった!
(弥生館・なぜなにノートより)

です。縄文水田か…。現在の教科書にはもう書いてあるのかな。
では、まずは弥生館へ行ってみましょう。
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駐車場はたっぶりとあるので、車でOKです。
写真の広場の奥に三角形の緑の屋根が見えますが、これが弥生館です。
まずはそこで、情報を仕入れましょう。
中に入って、右の方から廻ると、無数の土器が無造作に並べてありました。
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無造作過ぎるので、変だなと思って受付に戻って確認しました。
「この土器は本物の出土物ですか?」
「いいえ、これは現代で作ったものです。」
「本物はどこにあるのですか。」
「本物はガラスケースに入っています。」
との事でした。
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当時の農具の復元品です。現在の農具と基本構造は同じですね!
ここは弥生体験館という位置づけで、子供たちが触って実体験する施設でした。
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当時の繊維の復元ですが、
この繊維がここから出土したかどうかは分かりません。
左から順に素材は麻、リースは不明、葛、カラムシ(バッグ)
(カラムシは草の一種です。)
麻はちょうど、古事記の神々の天照大御神の天の岩戸の所に
出て来たので、興味しんしんです。


中央にはジオラマがありました。
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これが板付遺跡の全体のようすです。
中央部、奥の丸い溝に囲まれて、数棟の竪穴住居があります。
手前には川が流れていて、田んぼ があります。
毎朝、環濠の中から出て、稲の世話をしたのですね。

この遺跡の見どころについて
リーフレットから。
それは昭和25年1月のことです。一人の青年が板付の畑で二つの土器を発見して感激の声をあげました。青年は、縄文時代最後の土器弥生時代最初の土器が一緒に出る遺跡を長い間探していたのです。

昭和22年から始まった静岡県登呂遺跡の発掘で、はじめて水田の遺跡がみつかり、弥生時代に稲作が行われていたことが証明されました。

では、稲作は、いつどこから伝わり、日本のどこで始まったのかが次の問題でした。二つの土器の発見で板付遺跡こそ、その謎を解く重要な遺跡と期待され、さっそく発掘調査が始まりました。
(略)
これまでに深い溝に囲まれたムラや水田の跡が発掘され、日本で最初に稲作を始めた頃のようすがわかってきました。

なるほど、日本の弥生時代の稲作が分かって来たのは
昭和のはじめ頃だったんですね。思ったより最近の事でした。
登呂遺跡、板付遺跡、と次々に弥生時代の実態が分かって来た熱い時代の
雰囲気がよく伝わってきます。

その続きは館内の説明の紙から。
米作りは弥生時代からではなかった!
弥生時代から高度な米作りが行われていました。弥生人の足跡も無数に見つかり、裸足で米作りをしていたこともわかりました。
(略)
さらに事にその弥生水田の下に古い水田があることもわかったのです。同じ地層から出てくる土器は夜臼式(ゆうす)土器(縄文晩期)が多く、それに炭化した米粒や稲穂を摘み取っていた石包丁まで発見されたのです。このことから縄文時代晩期にはもう米作りが行われていたことになります。

それからの板付人は洪水との戦いの連続でしたが、決してあきらめませんでした。縄文・弥生時代の水田が重なっていたこと、そして弥生人の足跡がそれを物語ってくれます。その後、縄文水田は西日本を中心にどんどん発見されています。
(略)
また、縄文水田が多く見つかっていることから、弥生時代の始まりをさらに遡らせるべきだという考えも強まってきています。

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これが石包丁。二つの穴に紐を通して、指を入れて稲穂だけを刈り取ります。
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炭化した米も出てます。さざえの蓋とか魚の骨。右にはスプーンも。
(けっこうおいしそうな煮込み料理が食べられそう。)

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これが出土した板付式土器。弥生式土器ですね。
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これが夜臼(ゆうす)式土器。縄文時代の終わりのものです。
確かにあの派手な文様はついてません。
これらが出たので、弥生と縄文が一緒だという訳です

弥生時代が遡った
ちなみに弥生時代って、紀元前3世紀から紀元3世紀かなと思っていたのですが、
最新の考古学の本では紀元前10世紀から弥生時代に遡ると書いてありました。
すると、3000年前は弥生時代と縄文が混在なんだ。

3000年前から弥生時代だとすると神話の解釈も変わる?
神武天皇が2600年前と書いてあって、(縄文時代の話になるので、)
日本書紀は嘘を書いているという説があるのですが、
3000年前も弥生時代だとすると、その問題が無くなります。
最近は日本書紀などの年号をそのままに読もうという動きがあるのも、
こんな考古学の裏付けがあるのでしょうね。

ルナは、なにせ知識がないから、記紀はそのまま読むしかないです。
取り敢えず、まずは素直に読んでみたい。
それから、後で考えようというスタンスです。

そして振り向くと、何、これ?
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2300年前の水田に残された足跡でした!
え~。現代人と全然違う。
土踏まずがあまりなく、指の間がしっかりと開いている。
かかとと少し小さめ。
水田とか砂浜とか、難なく歩けそうなたくましさです。
寸法とか書いてない。これは足を乗せて比べられるようになってます。

これって、この弥生館のメインじゃない?
死角になる所に置いてある。うっかり見過ごす所でした。
ジオラマの前とかにあれば見逃さないのに…。

もしかしたら、ルナは反対廻りした?(・.・;)今頃、気づきました。
でも最後にこんな弥生人の足跡が見られて、けっこうテンションが上がりましたよ。

それじゃあ、次回は実際に水田と弥生のムラを見てみましょう。
                     (つづく)

板付遺跡弥生館
福岡市博多区板付3丁目21-1  電話 092-592-4936
(利用案内)
開館時間 午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)
休館日  年末年始(12月29日~翌年1月3日)
入館料  無料   
  

地図 福岡空港 板付遺跡




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by lunabura | 2010-11-09 20:26 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(2)
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Commented by jumgon at 2010-11-10 12:01
麻は生成り色ですね。あの万葉歌のように、波の真っ白の泡を連想できるくらい、白く出来るものか疑問に思っています。葛はきらきらしていますね。
農具の復元品はよいですね。だって、腐りかけた、一部を見てもどう使ったのか分かりませんものね。
次ぎ楽しみにしてますね!
Commented by lunabura at 2010-11-10 18:26
植物の繊維の綺麗さに驚きました。とても艶やかですね。これをどう、神の依り代のアイテムにしたのか、研究した論文にでも出会いたいものです。
農具は、出土状態が分からなくて、残念です。写真でもあればよかったのですが。放置されていたのか、一緒に大切にされたまま、出土したのか、そんな事が分かればまた推理が楽しくなります。福岡埋蔵物センターに現物がありました。黒くなっていましたが、きちんと形がありました。でも、そこにも説明がなかったです。
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