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高倉神社(2)弥生の風景そのままに・伊賀彦は水銀産出の国から来て、ここに留まった


高倉神社(2)
弥生の風景そのままに
伊賀彦は水銀産出の国から来て、ここに留まった


伊賀彦社
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本殿の左の方に歩いて行くと、いくつもの祠があります。
一つずつ辿って行くと、「伊賀彦社」という扁額が目に留まりました。
わあ、すごい。ここに祀られている!
この伊賀彦は「舵取りで、倭国の莬田の人で祝として祭らせた」
と日本書紀に書いてある人、そのものです。

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由緒書きに「伊賀彦命の古墳跡」と書いてあることから、
伊賀彦はここで亡くなったと考えられます。それが、神として祀られていました。
この裏の森の中にその古墳があるのでしょうか。
神社にお尋ねしたかったのですが、あいにく今日は七五三の参拝があっていました。

もし、この古墳が伊賀彦のものだと明確になれば、
日本書紀の名前と古墳が一致するという大変価値のあるものになります。
未盗掘だとすれば、西暦200年の頃の古墳の副葬品はどんなものだったのか、
年代特定の史料になります。よく考えると、すごい事だ…。

毘沙門天の銅像
そんな事を考えながら、山の中腹を縫うような小道をさらに先の方に辿ると、
思いがけない銅像がありました。
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銅製毘沙門天立像  福岡県指定文化財227、5cm
総高  193,5cm
制作時期 1491年(室町時代後期)
須藤駿河守行重を願主とし、大工大江貞盛により造られた。
とあります。ここは昔は鉄や銅などの生産が盛んな地でした。
そして、その後ろにある赤い鳥居は、もしかしてお稲荷さん?

稲荷社
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まさか。こんな所にイナリが…。そう、稲荷と言えば、志賀島の大嶽神社で調べたように、
イナ=鉄器。
武器や農具の鉄器庫の跡を表す可能性があるのです。

これを見て、ルナの頭の中に仮説が生まれました。
ここは高倉命とツブラ媛の住まいがあったクニの中心部で
稲荷社の所には武器庫があったのではないか。
ここのクニの王たちが仲哀天皇と神功皇后の船を止めて、
舵取りだったウダの伊賀彦を所望したのではないか。

じゃあ、ウダの伊賀彦にはどんな価値があったのだろう。
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その場で立ち尽くしていて、もと来た方向を振り返ると、神殿の屋根が見え、薄日がさっと差しました。
さっきまで、ポツリポツリと雨が落ちていたのに。神々しさに感動です。
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赤い鳥居を降りて行くと、最初の広い境内に降りて来ました。
振りかえって配置を考えると、細長い丘陵の中腹にずらりと神殿や伊賀彦社・稲荷が並んでいました。
やはり、この丘陵は古代の国王の住まいがそのまま神社になってる…。

ウダを調べなきゃ…。
まとまらない興奮を抱えて、家に帰って、ブログ「徒然なるままに、、、」
を訪問すると、「宇陀の水銀」の話がUPしてありました。
「ウダ」の隣は「伊賀」まである…。
そうか、ウダは水銀を産出する所なのだ!辞書を引くと
宇陀 奈良県北東部 古くは水銀の原料辰砂を産出していた。

辰砂とは水銀の材料の事です。
宇陀の伊賀彦は実際は金属加工技術者ではなかったか
という思いを裏付けるものでした。
それというのも、この神社をさらに西に行くと、
孔大寺(こだいじ)山があり、そこには金の採掘跡があるのです。
採算が取れないので、今では閉山されています。

金と水銀の組み合わせ
古代社会の金と水銀ってどう関係があるのか、理解を助ける例がテレビであっていました。
南米の金採掘のシーンです。

赤土の崖に大きなホースで水をかけて、土を崩し、それを川に流し、
フルイを使って、砂金を土砂の中から選り分けていました。
その時に、水銀を使っていました。水銀と金は簡単に結合するので、
小豆ほどの大きさになって、発見しやすいのです。
それを熱すれば、簡単に金が取れるとか。
しかしその時、水銀の毒を吸い込んでしまって、何人もの人が亡くなって、
ドラム缶の棺に埋葬されていました。
かれらは密入国のために、人知れずそこが墓となるのです。

これは現代の金の採掘現場のレポートです。
数分のシーンでしたが、金と水銀を理解するのに十分でした。

この高倉神社の近くでも金が採れるが、それを効率よく採掘したい。
あるいは、採掘者の水銀中毒があって困っていた。
そんな所にウダの伊賀彦が来たものだから、
金の採掘技術者として留まって指導するように依頼したのではないかと思いました。
その代償として、これから熊襲と戦う天皇への軍事援助を約束した。

この日は考えもまとまらないまま、もう少し、この地について調べようと、
郷土史を捜しに岡垣町図書館に向かいました。

(つづく)


鉄と稲荷⇒大嶽神社(5)



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by lunabura | 2010-12-02 15:27 | 高倉神社・遠賀郡 | Trackback | Comments(8)
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Commented by jumgon at 2010-12-02 15:58
「南米の金採掘のシーン」はBSでやってたのですか?私も見たかった。
ドラム缶がそのまま棺になるなんて、痛ましい気がします。
大仏のメッキのときも、水銀の毒で犠牲者がイッパイでたそうです。それが呪われた平城京から平安京への遷都の大きな理由だそうです。
Commented by lunabura at 2010-12-02 18:17
10日ほど前だったでしょうか。たまたま、見かけたので、どこの番組かも分かりませんでした。大佛のメッキを松明で熱したことは、じゅんじゅんさんのブログで初めて知りました。あれは、金と水銀と簡単に混ぜ合わせて出来るそうですね。奈良のお水取が、「水の安全宣言」のデモンストレーションだと、NHKでずっと昔やっていました。
平安京への遷都の理由にもなったのも、うなずけます。
Commented at 2011-05-17 02:24 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2011-05-17 08:46
非公開さん、初めまして。そのような歴史があるのですか!どちらに伝わっているのでしょうか。素晴らしい歴史ですね。
この神社では地元の方の篤い信仰がいまも続いています。
御縁があって、嬉しい限りです。
Commented at 2011-05-17 14:14 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2011-05-17 15:16
まさに1800年近くの歴史が生きていたのですね。感動しています。
日本書紀の記事を裏付ける、途方もない記録です。
この神社の御祭神たちも、真実が明らかになるのを望んであるのでしょう。
この記事を書いている時の共時性はただならぬものでした。高倉参拝をされれば、きっと御祭神もお喜びの事でしょう。
コメントいただいて感謝しています。
Commented at 2016-10-07 18:51
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2016-10-07 21:03
でしょうね。^^
沢山コメントありがとうございます。
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