ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

鏡山稲荷神社(2)異世界は磐座の世界だった/イナリと鉄と悲恋


鏡山稲荷神社(2)
異世界は磐座の世界だった
イナリと鉄と悲恋



c0222861_13191645.jpg

細い山道の古びた赤い鳥居が私を誘う。
異世界への入口のように人の気配がない。
鳥居の扁額を見ると、鏡山神社、白玉神社、そして、荒熊神社。
ええ?なんと色んな名前がついている…。

c0222861_13195572.jpg

道は舗装されているけど、ずっと昔から信仰の対象になっている気配にドキドキ。
そして、参道がどんどん下り道になっていく。ええ?参道が下り坂?
途中、右の高台にも鳥居があったけど、今日は下へ下へと行ってみた。

c0222861_13203366.jpg
とりあえず荒熊神社と書かれた鳥居から左に入ると、またもや下り。え?急坂を下る?
祠が見えた。そして懐かしい巨岩を発見!盤座だ!

c0222861_13211146.jpg

祠の前に立って見上げると、「白玉稲荷大神」と書いてある。
でも、寸前の鳥居には「荒熊神社」って書いてあったんだよ。どうなってるの。
それに、この祠の建つ場所が半端じゃない。巨岩と巨岩の上に、またがって建てられているのだ。

c0222861_132146100.jpg

ガラス越しに覗くと、お稲荷さん。幟には、荒熊稲荷大明神と書いてある。
白玉なのか荒熊なのか、よう分からんけど、同じものを指しているのだろう。
ここはまさに稲荷信仰。
でも、みんなに見てほしいのは左右に迫る岩。磐座信仰の上に稲荷信仰が重なっているのだ。

稲荷と磐座…。同じ組み合わせがあった。そう、大嶽神社。
あの時、磐座の上に神社が建ってるんじゃないかと推測したけど、同じパターンだ。
ここはさらに原形を残してる…。

c0222861_13222989.jpg

あちこちのめぼしい岩の上には祠が置いてある。祠だらけと言っても過言ではない。

c0222861_1323936.jpg

斜度はかなり厳しい。石段が置かれていなければ、手をついて上り下りするような所なのだ。
下界を覗くと立岩が二つ、急斜面に立っている。人工的な気配がある。
巨石研究会のメンバーならあの岩を調べるだろう。
でも、完全装備で降りないと無理…。一人じゃやばい。
かつて、西日本各地の巨石・磐座を見て回った記憶が蘇って来た。
自然の造形を巧みに利用して、人の手をさりげなく加えた祭祀遺跡の数々。
ここも、そんな所だ。

前回の鏡山の写真を見直してほしい。私はあの台形の山の急斜面にいる。
下からはずっと風が吹いて来て、顔が冷たくなった。
上昇気流が絶え間なく吹きつけるのだ。
風とイナリ。ここは古代のたたら製鉄の場所だ!
そうか。こんな所なんだ。

今は分かる。
「イナ」は鉄の事。たたら製鉄には風が必要で、風の神を祭る。
でも、ここに祀られるのは白玉。「白玉」ももう分かる。「隕石」の事なんだ。

これは秘中の秘だったので、もう誰も分からなくなってしまって、
キツネを祀るようになったけど、キツネの口にくわえている
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
キツネという単語だって、語源は「日経」(ひつね)つまり「暦」のことなんだ。
平安時代にすでに狐と稲荷という形に変わってしまった。
成長したな…。我ながら。(涙)難解な眞鍋大覚さんの本が少し分かって来た。

魏志倭人伝にある。「倭人が伽耶に行って、鉄を買いあさる」と。
伽耶から倭国に帰って来るとしたら、この唐津・松浦か志賀島・新宮にまず
船をつける。そのどちらにも古代製鉄の痕跡があった。
特にこの鏡山の断崖絶壁は一般人を寄せ付けず、製造した武器の盗難の心配がない。
これが志賀島あたりでは、島に隠すしかなかった。

松浦佐用姫狭手彦を慕って涙の日々を送ったけど、
狭手彦は新羅と戦い、次には高句麗と戦った。その時の兵の数は数万と書いてある。
数万と言う数字がオーバーだったとしても、
準備する船と武器の数は少々のものではない。
それを支えたのが、この鏡山の可能性が高い。
誰か、ここの古代製鉄所を調べていないだろうか。
鉄滓で山になった所があるはずだ。

狭手彦は高句麗に勝って、宮殿の豪華な品々を持ち帰り、
二人の美女を連れて帰って、蘇我の稲目に貢いでいる。
彼は勝利に酔いしれて、佐用姫にはもう興味を失った事だろう。
戦に向かう時には鏡をくれるような優しかった男が、
戻って来ると佐用姫には目もくれなくなった。
そんな狭手彦の心変わりが理解出来なくて、佐用姫は泣き続けた。

と、ルナは想像するのでした。

帰りは、車道から浮嶽が見えるのを確認して一安心。
唐津もまた古代史の風景がそのまま残るいい所でした。

c0222861_1325587.jpg

向こうの山の富士山のような形の山が浮嶽です。


この物語を理解するために
狭手彦の訳はしていませんが、「蘇我の稲目」を読むと、「狭手彦」が出て来ます。
「鉄とイナリ」は大嶽神社へ。
「隕石」の話は古物神社へ。だったっけ…。
浮嶽神社もレポートしてます。


地図 鏡山





気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2011-03-03 13:34 | 鏡山稲荷神社・佐賀・唐津市 | Trackback | Comments(3)
トラックバックURL : http://lunabura.exblog.jp/tb/16001279
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by jumgon at 2011-03-10 11:25
イナリの起源は他の説も読んだことがあります。
「宇伽のみたま」が「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
のシンボルで、「巻き物」は暦の事。、、、という説は魅力的です。
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
「宇伽のみたま」が隕鉄のシンボルで、「巻き物」は暦の事。
隕石は黒いのになぜ白玉なのか少し疑問におもいます。
Commented by lunabura at 2011-03-10 13:16
そうですね。隕石の色は本物を見ていないので、もしかしたら色んな色があるのかもしれません。年輪のような筋があるのもあるそうです。
眞鍋氏によると、「黒い隕鉄、白い隕石」と書いてあります。
白い隕石から作った鉄が黒色というふうに、シンボル化しているようです。
「2000年前頃 椋の木の黒い果実は隕鉄の象徴とされた。
1500年前頃には真金、すなわち砂土を溶融して得た鉄を指した。
布留の御魂は隕鉄、布津の御魂は砂鉄を精錬した剣。」
ここまで、分別して表現してあります。
製鉄する人たちは、いわゆる「鬼」として、十把一絡げで言われていますが、いくつかの渡来人のようです。「里人が来ると、白玉と黒玉を使って、暦を教えてあげていた」とも書いてあります。
早く『儺の国の星』の全貌を知りたいのですが、何ともなりません。 (;一_一)
椋の実を見れば、少しイメージの助けになるのかなと思いまして…。
Commented by じゅんじゅん at 2011-03-11 11:55 x
椋の木を今日午後UPする予定です。
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー