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祇園山古墳(1)ピラミッド型の方墳に箱式石棺


祇園山古墳(1)
福岡県久留米市御井町高良山
ピラミッド型の方墳に箱式石棺

四角いピラミッド型の古墳が見つかったという話を聞いて、
何度か行った祇園山古墳。何十年前の事だろう。
いつかまた行きたいと思っていたけど、
久留米地名研究会のトレッキングに参加して、思いがけず再会出来ました。

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再訪すると、古墳は当時そのままで残されていました。
高良山の西の麓の小さな丘の上にあります。
右側に見えるフェンスの下は高速道路です。
高速道路からでも、助手席からなら一瞬だけ、ちらりと確認出来ます。

この高速道路を建設する為に、この古墳は破壊されかかったのですが、
古墳時代の初期の貴重な方墳と言う事で住民運動もあって保存されました。
方墳って珍しいですよね!ここ以外に訪れた方墳は平原遺跡でした。

さあ、頂上に登りましょう。頂上は10m四方ほどの平地になっています。
石棺がありましたよ!

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見ると露出したままで、かなり土砂が入り込んで、もうすぐ埋没しそうです。
この石棺の深さは90センチあるのですから、
そろそろ何らかの手を打つべき時が来ているようです。


何十年も前、初めて見た時の印象が蘇ってきます。
1.石棺が長方形というより、やや台形だったのが不思議だった。
2.頭の方には朱が結構残っていたので、また見たかった。
3.側面の葺き石が面によって出来栄えが違っていて、おかしかった。
4.周りにも沢山の石棺などがあったけど、どこにあったっけ。
5.確か男女の骨が一緒に逆さまに埋められていた話があったけど、どこだったっけ。

こんな記憶を確認できるチャンスが来ました。
今回はこのあいまいな印象を一つずつ確認して行きましょう。

1.石棺が長方形というより、やや台形だったのが不思議だった。
真横から見ると、左の石板が右より長いのが分かります。
資料(久留米市史)で大きさを確認すると、
底面の広さが内のりで長さ約200センチ×幅約75センチとあります。
細かい差は分かりませんでした。
深さは約90センチですから、かなり深いです。
側面の石の板は安山岩で一枚板です。加工するだけでも大変そうですね。

2. 頭の方には朱が結構残っていたので、また見たかった。
これは、全く確認出来ませんでした。露天なら仕方がないですね。
この石棺には石の蓋もあったのですが、バイクで割られたそうです。
その蓋の裏にも朱がありました。

出土物については、この石棺はすでに盗掘を受けていて、
人骨も副葬品も全く出ていません。
しかし高良大社に行くと、神社所有の三角縁神獣鏡
ここから出土したと推定されていました。
盗掘した者が畏れて神社に奉納したのかも。

3.側面の葺き石が面によって出来栄えが違っていて、おかしかった。
c0222861_22472714.jpg


今回、斜面の葺き石は確認出来ませんでした。
この写真は四隅の一か所です。
現代の手が加わっている感じがしますが、どうでしょう。

葺き石のイメージとしては、こんな石が斜面にびっしりと並べられていたのですが、
正面がきちんと並べられていたのに対して、
左面は適当に並べられていたのが、印象に残っています。
統一感がないのは請け負ったグループが別々に仕事をしたんだなと、
想像されておかしかったのです。
資料を見ると、「いくらかの作業集団が認められる」と書いてあり、
誰でも言及したくなるほどの出来栄えの差に、やっぱりニヤリとしてしまいました。

4.周りにも沢山の石棺などがあったけど、どこにあったっけ。
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看板の測量図を見ると、盛り土のすぐ周りに墓が沢山あります。
って事は…さっきの写真を撮った時、私の足元に棺があった? (・.・;)

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反対側に廻って盛り土を写したのですが、
この時も私の足の下に十個ぐらい棺があったみたいですね…。(;一_一)

調べると、この方墳の周りには合計62基の墓がありました。
ネットを見ると、この数字が魏志倭人伝の「卑弥呼の殉葬者の100」という数字に近い事から、卑弥呼の墓だと言う人がいるのが分かりました。

そこで、その62基の埋葬法を調べると、
甕棺墓3基、石蓋土壙墓32基、箱式石棺墓7基、竪穴式石室3基、不明墓7基
となっていました。ずいぶん多彩です。
殉葬なら同じ様式で埋葬するほうが合理的じゃないかな、
と現代人はついつい考えるのですが。
殉葬が0だとはもちろん言えないのですが、
ペアを意識した埋葬もあって、一族の墓の可能性も考えていいなと思いました。

1号甕棺墓
その中でも1号甕棺墓には副葬品が残っていましたよ。それは
半分に割った後漢の鏡、5センチほどの勾玉、二個の管玉刀子です。
この半分の鏡には紐が通せる穴が開けられていたので、ペンダントにした可能性があります。

この甕棺の内側には朱が塗られていました。
興味深いのは、この甕棺が「糸島地区の甕棺の末期と系譜的に繋がっている」点です。
甕棺なら古い時代に見えるのですが、そうではなくて同時期のものらしいです。
すると弥生時代と古墳時代が同居してるんだろうか。

糸島系の甕棺と鏡…。これが筑後地方に出ている…。

甕棺を「日本の古代遺跡34福岡県」で調べると、
「分布範囲は福岡県西半部、佐賀県東半部、熊本県北部が主要である。
1万基を超える甕棺があるが、鏡一面、あるいは銅剣一本、あるいは管玉類若干など
わずか1件でも副葬品を伴っているものは100例にも満たない。」
と書いてあります。

するとこの1号甕棺墓は100例の中に入る貴重なものなんだ。
鏡があるだけでも、すごいんですね。それに勾玉も管玉も入ってた。
鏡は誰かと半分っこしてる。大きさは10センチ。かなり高い身分の人です。

こりゃあ妄想推理したくなりますよね。

この筑後地方にやってきた1号甕棺の被葬者の出身地は鏡大好きの伊都国。
彼もしくは彼女は伊都国から出る時に、身分のある親に別れの挨拶に行った。
すると親は一族の証として鏡を取り出し、半分に割った片身だけを授けた。

それには紐通しの穴が開けられていた。
彼(彼女)はそれを受け取ると、大事に胸に下げた。
その胸にはその身分を示す大粒の勾玉と管玉が輝いていた。

そして船に乗って、この高良山の麓の邑にやって来て、何らかの重要な立場につき、
方墳の被葬者に仕えた。

(副葬品が盗掘されていず、武器が刀子だけとすると女性の可能性が高い。
まあ、女性としておこう。)

仕えた人が亡くなった後、彼女も亡くなったが、
筑後地方の石棺には馴染まず、故郷の甕棺の埋葬法を望んだ。

やっぱり妄想ですね~。
でも、甕棺から伊都国と高良山の一族との関わりが見られるなんて面白い。

そして、現場でこの石棺の問題点をメンバーから指摘されたのを思い出しました。

「古墳って普通、頂上に埋葬される?」
そ、そうだ。これは変だ…。                  (つづく)



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by lunabura | 2011-04-04 22:58 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(4)
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Commented by jumgon at 2011-04-11 15:46
今生きている時代にもどんどん変化していく遺跡。石棺に朱が残っていたのに、土砂に埋もれてしまっている!!
関西では前方後円墳がほとんどで、馬見古墳群にホタテ型古墳が多くみられるそうですが、古墳の形や分布、時代についてあまり知識がありません。又形についても意識してみていきたいと思います。
私のブログで取り上げた、近つ飛鳥資料館のある群集墓や高井田古墳群みたいに、保存されたらいいですね。立て札だけでもたてて、散歩コースを作るとか、、、。
でもそれも、予算がいるし、、、。高井田古墳群も30年くらい前は、今みたいに整備されていませんでしたよ。
Commented by lunabura at 2011-04-11 18:07
jumgonさんのブログを拝見していると、関西の保存への予算の大きさに驚いています。それも、やはり市民の関心の大きさが支えになっているのだと思います。
この古墳は筑紫の歴史に関心を持つ人が必ず訪れる古墳です。そんなすごい古墳だという矜持を、市民が持つことから変化が始まるのだと思います。
あちこちの歴史資料館を見るのが楽しみなのですが、久留米市では土日は閉館で、平日も鍵を開けて貰って見学ができるという事で、残念ながら見ることが出来ませんでした。
先々紹介する予定ですが、崩壊しかかった神社が夢にまで出て来て、「何とかしてくれ」と訴えられているようで、目が覚めました。
愛着がある町なので、皆さんの手で何とかしていただけたらと、思っています。 <(_ _)>
Commented by jumgon at 2011-04-12 00:30
確かに、関西は恵まれてると思います。
でも資料館だって資料コーナーといったほうがいいぐらいの規模のものも多いのですよ。写真にするとどんな立派な資料館かしらなんて思ってしまうけど~。
高松塚とかキトラ古墳なんて多分国のお金が出てるのでしょうね。
るなさんのブログを拝見すると、むしろかんさいより筑紫の方々の歴史への関心の高さを感じるのですが、、、。
Commented by lunabura at 2011-04-12 09:45
なるほど。隣の芝生は青く見えているのですね。
これまでは、古墳が出ても破壊されるのが当たり前だったのが、調査して破壊、調査して保存と流れが変わって来て、なんとか助かった遺跡を、これからどう日本の文化として大切にして関わっていくのか、新たな段階に入っているのですね。
このあたりは、資料館の方々も取り組んであるので、少しずつ面白い資料館が出て来ていると思います。
これからを期待したいです。 (^-^)
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