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高良下宮社(1)ここも御祭神に異伝あり


高良下宮社(1)
久留米市御井町
ここも御祭神に異伝あり

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高良大社の一の鳥居の脇から右へ。昔のたたずまいを残す参道を
100mほど入ると、高良下宮社の脇に着きました。

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広い境内は二段になり、拝殿が三つも並ぶ大きな神社でした。
このブログでは、このような構造は初めてです。
なんだか江戸時代にタイムスリップしたようで、わくわく。

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中央の拝殿です。昔はここに参拝してから上宮に向かったそうです。
御祭神について、説明板があったので、まずは書き写します。

高良下宮社
祭神(中央)高良玉垂命 (右)孝元天皇 (左)素盞鳴尊(スサノオ)
高良下宮社は上宮(高良大社)と同じく履中天皇元年(400)あるいは天武天皇の白鳳2年(664)の創建といわれています。
上宮を遥拝する位置にあり平安時代には国司のつかさどる名社で「高良宮下宮」と呼ばれていました。  (略)
高良山の自然と史跡を守る会 昭和58年2月

さて、この中央の御祭神は謎多き高良玉垂命(こうら・たまたれのみこと)でした。
この神さまについては上宮でまた考える事にして、
今回は左右の神さまについて見て行きましょう。

左にはスサノオの命が祀られていました。
スサノオの命は、流行り病や、牛馬の病などを助けてくれるので、
よく祀られています。ここもそうなのでしょうか。

驚いたのは右の孝元天皇です。なんで驚いたのかと言うと
神功皇后仲哀天皇の共通の先祖だからです。
しかも、竹内宿禰の先祖にもあたります。
系図を書いてみると、三人は孝元天皇から別れた親戚筋だったのが分かります。

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仲哀天皇と神功皇后と竹内宿禰が三韓征伐の為に筑紫に集まったのも
共通の利益を持っていたからだというのが分かります。

神功皇后が久留米の高良山神籠石味水御井神社で祈った伝承から、
彼女がこの地に来たようすが伺えるのですが、
それには竹内宿禰の軍事的な背景があってこその移動でした。
何しろ、彼女は筑紫の事は何も知らないのですから。

それに弥生時代の話です。この辺りは筑後川がしょっちゅう氾濫していて、
川の流れは一晩で変わり一夜川とも呼ばれていました。
船旅とはいえ、簡単ではなかった。野営をしながらの旅です。
この高良山の麓には武内宿禰の居城があって、
一息つけたのではないかと考え始めました。

歴史論を見ると、大和政権が九州を制圧した歴史のように捉えてあるのを
よく見かけるのですが、この時代はそうではないのが分かって来ました。
竹内宿禰こそ、筑紫の大王のような存在で、
仲哀天皇を招いて迎えたのではないかと考えるようになりました。

と言う事で、ここに三人共通の先祖の孝元天皇が祀られているのは
衝撃に近かったです。

孝元天皇の名前を古事記で調べると
大倭根子彦国玖流命(おおやまと・ねこ・ひこ・くにくるのみこと)でした。
都は軽の堺原の宮。ざっと見積もって弥生時代中期の人。

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弥生の中期って日本の遺跡はどうなってるんだろと、
2010年出版の、『邪馬台国 九州と近畿』の年表を見てみると、
考古学的な賑やかさは福岡が圧倒的で、近畿には大きなムラやクニがないよ…。
朝廷が近畿にあったというのは思い込みだったんだ。
福岡と大和地方の地名は重なり合ってるから、勘違いしてた。
これまでは孝元天皇の時代って、近畿の歴史だと思ってたけど、
思い込みだったんだ…。(けっこうショック)

御祭神はこの辺りで切り上げよう。念のためにと「御井町誌1」を
見ておこうと読んでみて、またまたオドロキ。

下宮杜の祭神は、高良玉垂命を中心にして、左右に物部膽咋連命武内宿禰命である。
平安時代には国司のつかさどる名社で「高良宮下宮」と呼ばれていた。

と書いてあったのです。そんなあ…。話が違う…。
気を取り直して、物部のイクヒを日本書紀から探すと、いたいた。
香椎宮で仲哀天皇が崩御した時に、その事後処理の会議に参加したメンバーで、
宮中警固に当たった人でした。
そうすると、左右に祀られる物部のイクヒと竹内宿禰は同時代の人。
じゃあ、中央の玉垂命は誰?
ああ、やっぱり高良の神さま探しは泥沼だ…。
御祭神についてはこのくらいにして、境内を見て回りましょう。
なんと、そこにも謎だらけ…。(汗)(面白すぎる…)

ブログ内お散歩
この話の背景を確認するには、神社なら香椎宮へ。
『古事記の神々』なら、竹内宿禰神功皇后へ。

今のところ神功皇后は未完成です。



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by lunabura | 2011-04-16 13:37 | 高良下宮社と周囲・久留米市 | Trackback | Comments(2)
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Commented by jumgon at 2011-04-16 22:31
唐古・鍵遺跡は、弥生時代の大環濠集落です。古墳時代が下るにつけ衰退していきました。銅鐸の土の鋳型が出ています。(石の鋳型より模様デザインを変化させ易い)
田中七郎氏は、村の繁栄は銅鐸の注文制作だったた、といってます。
Commented by lunabura at 2011-04-16 22:43
そうですね。唐子・鍵遺跡という大事なものがありますよね。
どうしたんだろ。年表に書いてない。あれ?「邪馬台国展」に関連したものだけを書き出したみたい。
済みません。不完全な資料をもとにしてしまいました。両方を網羅する良い資料だと思ったのに…。うかつでした。
やっぱり、九州と近畿と比べながら見て行きましょう。
情報ありがとうございます。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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