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高良大社(7)九躰皇子と『高良玉垂宮神秘書』

高良大社(7)
九躰皇子と『高良玉垂宮神秘書』


本殿の裏手にまわると高良御子神社がありました。

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摂社 高良御子神社
御祭神 高良玉垂命の御子神九柱(九躰王子
由緒 阿志岐(山川町鎮座の王子宮(高良御子神社)を明治六年に勧請)
例祭 11月13日
月次祭り 毎月13日
御神徳 無限の勝利、厄除け、農産牛馬守護、安産、病気平癒

九躰皇子。この不思議な名前。
「くたいおうじ」と読んで、九人の王子という意味です。
高良玉垂神の9人の御子の事です。
今回はこの九躰皇子についての伝承を調べましょう。

その手掛かりは、くじらさんが教えてくれた『高良玉垂宮神秘書』
という本の中にありました。
その本の冒頭の部分だけ読んだのですが、
内容は高良玉垂宮の神の系譜と縁起を書いたもので、
古事記と同じように、天神七代から書き起こしていました。
が、そこにはあのタカミムスビの神(高木の神)の名前はありませんでした。
そして、古事記や日本書紀とは少し違う神話が語られていました。

今回はこの「九躰皇子」の出生に至るまでの部分だけ、
るな流に解釈してまとめたものを紹介します。
(解釈に間違いがあったら、どんどん指摘して下さいね。)
ヒコナギサタケ・ウガヤフキアエズの尊住吉大明神であり、明星天子の垂迹である。
(垂迹とは、菩薩が人々を救済するために仮の姿をとって現れること)

叔母のオバキ玉依姫と夫婦になった。二人の間には5人の御子がいて住吉五神という。
内訳は女子が二人で、男子が三人である。
女子の名は表津少童命(ウワツフカタツミの命)、中津少童命(ナカツフカタツミの命)。

男子は嫡男が表筒男の尊で、大祝(おおはふり)氏の先祖であり、日神の垂迹である。
二男は中筒男の尊で、このクニに留まって初代天皇の神武天皇となった。
三男は底筒男の尊で、高良大菩薩の事である。月神の垂迹である。

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普通は「表・中・底筒男の神」の事を住吉三神と呼びますが、
ここでは少童(わだつみ)2姉妹を含めて住吉五神と呼んでいます。

この住吉五神の父はウガヤフキアエズで、この神が住吉大明神です。
彼が明星天子の垂迹という事は、星の化身という事です。
明星といえば、普通は金星を指しますが、ここでは一般的な星なのか、
金星なのか、あるいは他の星なのか分かりません。
(ちなみに、高良山の隣に明星山がありますョ。)

「九躰皇子」を理解するために、ここで押さえておきたいのは、
高良の神は高良大菩薩と呼ばれ、底筒男神であり、月の神だという事です。

さて、続きを読みましょう。
15代神功皇后の時、イルヰが日本を責め立てた。
その時、神功皇后は筑前国の四王寺の峰に登り、虚空に向かって祈った。
東の空に白雲が現れて、四方に開き光をはなち、月神が20歳の若者の姿で現れた。
四方に分かれた白雲には四天王が現れ、四つの鉾が見えた。
月神の次に、明星天子の垂迹である住吉の神と、日神の垂迹・表筒男の尊が現れて、
三人で皇后の前に立った。
そして、月神と住吉神は大将軍となり、日神は両副将軍となって力になる事を約束した。
ほどなく三韓を降伏させたのち、住吉神は虚空に戻った。

『神秘書』では突然、神功皇后の話になりました。
「イルヰ」が国の名か、人の名前かが分かりません。
(別の縁起には新羅軍5万人が襲来とあります。新羅はハングルでは「シルラ」です。)

このイルヰと戦うために、神功皇后は太宰府の四王寺山に登って祈ったのですが、
その時、月神が出現し、その四方には四つの鉾とともに、四天王が出現しました。
続けて、明星天子、日神が出現し、皇后を助ける約束をしました。
戦に勝利すると、明星天子だけが去り、二人の若者は留まりました。

神功皇后の祈りに応えたのは住吉の神々でした。
両者の深い縁はここから始まっています。

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(「筑前国四皇寺山」=四王寺山の写真のストックを探したら、
ちょうど太宰府政庁跡がドンピシャと来ました。これって?!!!)

さあ、続きを読みましょう。
嫡男の日神・表筒男の尊神功皇后の妹・豊姫と夫婦になった。
地上での名は太政大臣玄孫(ひまこ)大臣物部の大連天照大神のひまごという事から付いた名である。二人の間の御子は大祝日往子(おおはふり・ひゆきこ)という。
(玄孫って「やしゃご」と読むのが正解。ひまごは「曾孫」と書きますよね。)

三男の月神・底筒男の尊神功皇后と夫婦になった。
地上での名は物部の保連藤大臣。高良大菩薩
藤大臣と呼ぶのは、干珠満珠を借りた時の仮の名前。

皇后には九人の御子がいた。
四人は仲哀天皇との間の御子で、五人は高良大菩薩との間の御子である。
合わせて九人の御子を九躰の皇子と言う。

残った月神と日神は、神功皇后姉妹とそれぞれ夫婦になったんですって。
なるほど、だから20歳の若者の姿で現れたんだ。

この二組の夫婦は仲が良くて、一緒に皇宮に住んだそうですよ。
場所はどこだろ?文脈からは、高良山の麓なんでしょうね。
それとも、四王寺山の麓?(どちらも九州王朝の都の候補地だ!)
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長男の日神は豊姫と結婚して、生まれた子供に大祝日往子という名をつけました。
この大祝家は神官を務める家系です。物部氏なんですね。
この日往子のお墓が、祇園山古墳だという伝承もあります。

さて、メインの月神は神功皇后と夫婦になり、二人の間には5人の子供が生まれます。
仲哀天皇との間の4人の子供と合わせて九人を九躰の皇子と呼びます。

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どれもこれも、記紀とは全く系譜が違っています。
記紀に洗脳された頭には、何が描かれているのが理解に苦労しました。

この九人の御子の名前は『神秘書』には書かれていませんでしたが、
宝物殿に、それを書いた縁起書がありました!
1 斯礼賀志命(しれかし)     
2 朝日豊盛命(あさひとよもり) 
3 暮日豊盛命(ゆうひとよもり)
4 渕志命(ふちし)
5 谿上命(たにがみ)
6 那男美命(なをみ)
7 坂本命(さかもと)
8 安志奇命(あしき)
9 安楽應寳秘命(あらをほひめ)

9人の名前が伝わってるとはスゴイです。

さて、これも系図にしてみようとして、はたと困りました。

これが生れた順に書かれているなら、最初の四人は仲哀天皇の御子たちになります。
高良大菩薩の子供じゃないんです。
単純に考えるなら、シレカシ命は仲哀天皇の嫡男になってしまいます。
(宇美神社で生まれたホムタワケの命はどうなる?)
どうしよう。辻妻を合わせられない。そうだ。
神功皇后は元夫の子供を4人連れ子にした。
だから、高良大菩薩にとっては、子供が9人になった。
そうだ、別に変じゃない。それで、いいのかな…。
(違う気もする…。とりあえずスル―しよう…。)

神功皇后はこの後、東征をせずに、高良山の麓で幸せに暮らした?
そうなると、記紀とはかなりの違いですね。むむむ。
続きを読まなきゃ。          (つづく)




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by lunabura | 2009-12-30 15:44 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(6)
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Commented by jumgon at 2011-04-25 16:42
もうここまで来ると、わたし頭がついていきません!(ゴメンナサイ)
古代史の迷路にはまると時々こんな気持ちになります。とにかく昔の話。謎が多すぎます。
Commented by lunabura at 2011-04-25 17:05
そうですね。この先は迷路ですね。
地形が分からないと全くイメージが湧かない世界ですし。このあたりは、福岡県の人にしか楽しめないかも。それに1000年以上のフィルターがかかってるし。
まあ、ぽちぽちとやって行きます。懲りずに遊びに来て下さいね。
Commented by massy at 2011-10-17 10:31 x
ほんとに迷路だね。おもしろいけど、理解に苦しむ。ブログを順序立てて見ようとするけど、訳がわからなくなってくる。バカなのか、頭が固いのか、根気がないのか、これってその地方に伝わっている伝説?
Commented by lunabura at 2011-10-17 16:00
ブログを最初から読んで下さっているのですか?ありがとうございます。
でも、このブログは順序がありません。行き当りばったりに書いています。ただ、私だけにはあとでその順序でないと理解出来なかったというものがあります。

高良山はヤパイです。筑紫の国魂でありながら、御祭神が全く分からないのです。それで、江戸の御殿様が「竹内宿禰」に決めた事から、そうなっていますが、ずっとその前から存在する訳で。

特にこの高良玉垂神秘書は近年活字になった本で、粉飾が多く、それを取り除かないと見えない世界です。
ただ、粉飾の中にその時代の人にしか知りえない事実が見え隠れしています。例えばイルウィが攻めてくるという話を聞いて記紀と全然違うとあきれたのですが、忌宮神社に行って塵輪が攻めて来たのが分かったので、やはり見直しが必要だとか、考えたりしています。
ここはパスしてください。私も理解するのをあきらめました。
Commented by 諸葛Akira at 2013-03-12 17:53 x
神功皇后の時代には、まだ仏教など伝わっていないのに、
四天王が出て来るなんて、
随分いい加減な『書』ですね。
Commented by lunabura at 2013-03-12 23:12
諸葛Akiraさん、はじめまして。
多くの時代を経たものは何層もの飾り付けがされていますね。
それを原型に戻すのも楽しみの一つです。
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