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ひもろぎ逍遥

竈門神社(玉母宮)竹内宿禰の母・山下影姫の墓所だった


竈門神社(玉母宮)
かまどじんじゃ
福岡県小郡市力武宮の脇
竹内宿禰の母・山下影姫の墓所だった

小郡市は福岡県の南北・東西を走る大動脈の中央付近にあり、
古墳などの史跡も多く、古代から交通の要衝だったと思われます。
今回は小郡市の歴史の道マップを片手に、竈門神社に出掛けました。
西鉄三沢駅の近く、こんもりとした杜をキョロキョロと探し、
曲がりくねった水路沿いの昔ながらの道に入ると神社に出ました。

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年代を思わせる参道には藤棚が作られていました。

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境内は周りより少し高い位置にあり、ぐるりと田園風景を見廻す事が出来ます。

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瀟洒なつくりの拝殿です。

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中を見ると、昔の木材を活かしながら補修をしてありました。
木のカーブをそのまま活かした横木を見ると、昔の匠の技がしのばれます。

参拝を済ませて境内の由緒書きを読みましょう。
竈門神社
1.鎮座地 小郡市力武字宮の脇1の63-1
1.御祭神 玉依姫命(主祭神)  
        山下影姫命(副祭神)
1.創建  承平元年9月勧請(931年)
1.御由緒 藤神社の御創建物については、小郡市史編集にも記載にある小郡市でも一番古い建物であり、江戸時代当神社や拝殿、福童神社(寺福童)の本殿と三棟にすぎないと記載してある。

『寛延記』に、「玉母宮、氏神、山下影姫命の神廟也。御跡の経塚と申し伝え候」とあり、この神社の境内は大きい古墳であった。梵字を刻んだ大きな石がある。これぞ先輩の方々や地域の皆様の行き届いた管理の賜物であると理解出来る。
近年は建物にも老化が進み、一部補修。拝殿の向かい柱の取り替えや拝殿、幣殿の瓦葺きを桐朽化葺きかえの工事を氏子一同で決定し取り組む。
平成21年12月吉日をもって、改修工事も無事完了する。

祭礼 1月1日 歳旦祭
    7月16日 夜渡祭
    10月17日 例祭   氏子一同

ここは玉依姫の宮だったのですね。考えてみると、竈門神社は玉依姫でした。
玉依姫は海神の娘であり、初代天皇・神武天皇の母という事で
筑紫の人々の信仰がかなり篤かったようすが見えて来ました。
前回の王子八幡宮も、もともとは竈門神社でした。

実は、今回は山下影姫を探してやって来たのです。
山下影姫について関心を持ったのは日本書紀の景行天皇を訳し始めた時でした。
天皇の話が始まったばかりの所で竹内宿禰の出生の話が出て来て驚いたのです。
次は日本書紀のその場所です。
景行3年の春2月1日に景行天皇は紀伊の国に出かけて、もろもろの神祇を祭祀しようとして占いましたが、吉ではありませんでした。そこで行幸は中止になりました。

代わりに、ヤヌシ・オシオ・タケオ・ココロの命を遣わして祭祀させました。ヤヌシオシオタケオココロの命が詣でて、阿備(あび)の柏原で、神祇を祭祀しました。そこに9年間住みました。その時、紀の直(あたい)の遠祖ウヂヒコの娘の影姫を娶って、武内宿禰が生まれました。  (日本書紀)

影姫については古事記の方では、
ヒコフツオシの信の命が木の国造の祖であるウヅヒコの妹、山下影姫を娶って生まれた子供は建内宿禰

となっています。微妙に系図が違っていますが、
山下影姫が竹内宿禰の母だという点では一致しています。
そこで彼女の方を調べれば何か手掛かりがあるかも知れないと思って、
くるま座さんに話すと、
「山下影姫を祀る神社が小郡市にありますよ。」
と教えてくれました。
それがこの「力武の竈門神社」だったのです。

「玉母宮、氏神、山下影姫命の神廟也」について

この竈門神社は、かつては「玉母宮」と呼ばれていたそうです。
小郡市史誌には「高良玉垂宮の母宮・山下影姫」とあるので、
「玉母」とは「垂宮の」という事かも知れません。

そして、「山下影姫の神廟である」とも言い伝えています。
「この神社の境内は大きい古墳であった」ともあります。
境内には古墳の石らしきものも祀られていました。

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どこかよそから持ち込まれたのだと思ったのですが、
ここで出土した可能性もあるのですね。

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神社の周囲を歩いてみました。なるほど境内は数mの高さがあり、
周囲は円墳か前方後円墳を思わせるカーブがありました。
(時代的には円墳でしょうが。)
古墳の被葬者が山下影姫とは短絡的に決められないけど、
影姫の伝承が濃厚に伝わる点で大変興味深く思われました。

夜渡祭
ここでも夜渡祭が毎年行われています!
昭和28年の筑後川の氾濫の時には、竈門神社の奥まで水があふれたそうです。
そういう事が二度と起こらぬように祈るお祭りですね。

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上の地図は昭和28年の大洪水の浸水地を表わしたもので、
竈門神社のそばの宝満川も氾濫しています。
これがいみじくも、古代の海進期の地図と重なります。

この地図はブログ「くじら通信」から写真を頂いて改変しました。
「くじら通信」
http://blogs.yahoo.co.jp/koujigleat



地図 竈門神社


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Commented by jumgon at 2011-06-06 22:29
「大洪水の浸水地が古代の海進期と重なる」のですね。
竈門神社の境内は大きい古墳だった。関西でも、だいたい古墳には神社が建てられたいたみたいです。
Commented by lunabura at 2011-06-06 22:44
神社のラインなどからも、この洪水の浸水ラインは古代の水域と考えられます。これは、これから論証していく資料になるのだと思うのですが、
この洪水に着目したくじらさんの発想がユニークです。

古墳と神社ーそう言えば、関西のレポートにもよく見られますね。福岡ではありそうで、珍しい印象を受けました。
by lunabura | 2011-06-04 09:39 | 竈門神社・玉母宮・小郡市 | Comments(2)

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