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金山たたら製錬所跡・江戸中期以降・出雲よりたたら製鉄技術を導入


金山たたら製錬所跡
福岡県福津市津屋崎町渡
江戸中期以降・出雲よりたたら製鉄技術を導入

渡半島を訪れるきっかけとなった「つやざき」町誌にはもう一つ気になる名前がありました。
「金山製錬所跡」
恋の浦の北端、楢の葉浜の南端、金山国有林内にあって、松林の中に精錬による鉱滓がうず高く積まれて、一つの丘陵をなしている。

丘になるほどの鉱滓とは…。
いったいどこ?

これも福津市の文化財課に尋ねて、場所が特定出来ました。
示された昔の地図を見てびっくり。
四つの池があり、かつては砂鉄を選別するための池だったというのです。
まさか、こんなものまで残っていたとは。
グーグルアースで確認すると、地図通りに、みごとに残っていました。
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現地の地形を肌で感じたかったので、その足で行こうと思ったのですが、
スズメバチ、ヘビ、はては落石の恐れありと聞いて、ちょっとビビりながらも
恋の浦のそばとあっては、是非現地へ行きたい。

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恋の浦です。
最近は中国からの飛来物質で福岡はこんなふうに霞んでいます。
だから美しい海の色は撮れませんでした。(涙)
この写真の左の方に現場はあります。
しかし道路が封鎖?されているようなので、航空写真で迫りましょう。

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先ほどの四つの溜め池が上の方に見えます。金山1号~4号池です。
現在は水田を潤します。鉄滓はその下の方で見つかりました。
その横のピンクで囲んだ所に炉があったと推定されています。

これについて、たたらの専門家の論文があって、江戸時代のものと分かりました。

「津屋崎町恋の浦の鉄滓『鉄の考古学』」 窪田蔵郎 (一部改変)
樹齢100~150年程度の松の根の下に鉄滓の集合体がある。これは操業中に生じた鉄滓の捨て場である。鉄滓のようすから、相当高温で精錬し、よく鉄分を抽出して、経済的な操業をしていたことが判る。

炉壁の破片から、原料は真砂土に近いものであり、練った土を長方形の大型レンガ程度のものに木ベラで荒く成形して積み上げるようにして築炉していたことが推定される。この方式は出雲の江戸中期以降のタタラ製鉄における築炉法で、出雲地方から技術導入があったことを裏書きできる。

付近には松の木が非常に多く、燃料に欠く事はない。また砂鉄は近傍の海砂鉄も採集できるが、古老の話では子供の時、(明治年間)に近くの川に砂鉄船があったというから、余り遠くない地点で採集し、小舟で運んでいたものであろう。

炉跡は背後の山が土地造成で切り崩されているので、すでに破壊されたものと思われる。

この鉄山は黒田候が上八(こうじょう)金山をみて、カゴで、勝浦の鉄山をみて帰城したと伝えられているから、北九州の真名子鉄山と同時代かそれより少し以前に操業されたものであろう。

黒田藩の御殿様がカゴで岡垣の金山と津屋崎の鉄山を視察したんですね。
すごい行列だった事でしょう。
藩の経営に金と鉄は重要だったのが推察されます。

タタラについて、この文から読み取れるのは、
鉄滓を観察すれば、タタラの操業状況が推測できること。
タタラの築炉法で、時代や技術を提供した地方が分かる事。
燃料が近くに必要である事。
ここでは近くの砂鉄を材料としたこと。
などです。

津屋崎の砂鉄
この津屋崎の砂鉄はとても良品だったそうです。
ここの砂鉄が船で遠賀川をさかのぼって真名子川に運ばれて、
そこから牛馬で鉄山へと輸送されていたとも書いてありました。
鍛冶が行われたのは嘉穂郡の犬鳴の里だったそうです。
(おお。犬鳴で鍛冶をしていた!思いがけない所から傍証を手に入れたョ。
「イヌナキーイナキは製鉄の工人の隠れ里」などについては天照神社で
少し書いています。)
天照神社1~3 http://lunabura.exblog.jp/15581560/

「筑前続風土記」にも
玄海灘(遠賀郡~奈多)の海辺の砂の中に鉄砂が出る。これを鋳て鉄にする。当国の鉄砂は大変良質である。この鉄砂を博多の職人が京・江戸の釜屋に持って行って見せると、大変称賛して、「このような鉄砂で鋳たのなら、古作の芦屋釜が素晴らしいのも納得だ」と言った。鉄砂は小刀や包丁を磨くのにも使う。 

とあります。(意訳)

金山池
池をどのように利用したのかについては、
「鉄穴流し」(かんなながし)には「採取」と「洗鉱」の二つの工程があるそうです。
ここは砂鉄なので「洗鉱」の作業だけが必要です。(選鉱の字もある)
大池、中池、乙池、洗樋と順に下流に移送して行く時、各池では足し水を加えてかき混ぜ、軽い土砂を比重の差で砂鉄と分け、バイパスで下流へ吐き出しながら砂鉄の純度を高めて、最終的には80%以上の砂鉄純度にした。(和鋼スポット解説より)

これを金山池に当てはめると4-3-1-2号と流して行ったのでしょう。
各池には栓があります。
2号池が「ショウケ堤」と呼ばれて水が漏れる池になっているのも、
砂鉄を集めやすい構造にしたのが伺えます。

この鉄穴流しの方法は多量の土砂が下流に流れ出すので、
農業に悪影響を与えるそうです。その点、ここは海に流れ込むので、
環境への配慮の点でも選び抜かれた地形だというのが分かります。
時代はこのあと現代的な製鉄へと移行していきます。
ここは最後のタタラ遺構の形をよく残しているのかもしれません。

地図 恋の浦


今回の資料は福津市の文化財課から提供していただきました。
ありがとうございました。




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by lunabura | 2011-06-10 14:50 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(2)
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Commented by jumgon at 2011-06-10 21:38
さすがに文化財課ですね。わたしたちが知り得ない資料がたくさんあるのですね。
こちらでもそうですが、古墳なんかの周りでも人があまりいなくてなんとなく辺鄙な感じがするところも多く、一人で行くのはためらわれることもあります。
Commented by lunabura at 2011-06-10 22:03
文化財課の方には大変お世話になりました。自分ではとうてい見つけられない資料を提供していただいて、感謝感激です。
特に牧場とたたら跡は、人々の記憶から消える寸前でした。この津屋崎町は、博多と入れ替わりに繁栄して、大陸や半島からの文化がダイレクトに入って来たのが分かって来ました。
古墳も墳丘が遠方からも綺麗に見えるので、驚きの未破壊の遺跡群です。国指定なので、しばらくしたら記事にしますね。
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