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鹿部田淵遺跡・「粕屋の屯倉」の候補地


鹿部田淵遺跡
ししぶ・たぶち・いせき
福岡県古賀市美明(みあけ)
「粕屋の屯倉」の候補地に行って来ました

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「粕屋の屯倉」の候補地の鹿部田淵遺跡が公園化されたと聞いて出掛けてみました。
名称は「みあけ史跡公園」となっていました。
大地に実物大の直径の柱が立っています。列柱のようすがよく分かります。
よけいな屋根などもなく、シンプルでエコで、分かりやすい復元ですね。
この写真は「建物3」をほぼ北から南に向かって撮りました。

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これは「建物2」を西から東に撮りました。「建物2と3」は直角になっています。

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現地の説明板です。緑で描かれた部分が、その建物の配置図です。

遺跡の特徴は建物群がL字型に配置されていて、機能的な事。
中央には広場がありますね。
中心的な建物は一番大きい「建物3」で、海に面する方向にはひさしがついています。作業をする所で、また政務が執り行われた建物だと考えられています。

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「建物3」の復元模型です。ひさしがあると、雨天でも大丈夫ですね~。

その他の柱跡は倉庫群と考えられています。
この建物群を挟んで東西に12.4m~16.68mの幅の2本の広い溝があります。
深さが1.32m~1.96mとなっているので、船が通れるようになってたのかなと想像しました。
川も海もすぐそこにあるんです!

出土物は何かな?
土や石で出来た網のおもり。
祭祀に使われた舟形の土製品や滑石製品(古代~古墳時代)。
大量の白磁や青磁(日宋貿易)。
その中かには五芒星☆が描かれた白磁が出土。
伏せられていて、中には7枚の宋銭が重ねて置かれていました。
移動式カマド。

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一番上のコシキを上からのぞくと、穴が。蒸し料理が出来る!
すぐそばで獲れる魚や貝を蒸せば超ごちそうですね。

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これは一番下のカマド。持ち運びできるなんて!
どこでも省エネで調理が出来たんだ。すごいな~。

粕屋(かすや)の屯倉(みやけ)の価値とは?
筑紫の君の葛子が命乞いのために継体天皇に差し出した倉庫が「粕屋の屯倉」です。
これで命が助かるのですから、かなりのものです。
日本書紀にその話が載っているので、一部だけ訳を書きます。
継体天皇21年の夏、6月3日に、近江の毛野(けな)の臣は6万の軍勢を率いて、任那(みまな)に行って、新羅に占領された南加羅(から)・トクコトンを取り返して任那に合併しようとしました。
この時、筑紫の国の造(みやつこ)磐井(いわい)は、密かに背く計画を立て、協力せずに、ぐずぐずして年月が経ちました。実行が難しいので、つねにチャンスを伺っていました。
新羅はこれを知って、密かにワイロを磐井のもとに送って、勧めました。
「毛野(けな)の臣の軍勢を防ぎ止めてほしい。」と。

そこで、磐井は火の国、豊の国、二つの国に勢力を張りながら、朝廷の職務を遂行しませんでした。外は海路を通って高麗(こま)・百済(くだら)・新羅・任那などの国からの、毎年の貢物(みつぎもの)を持ってくる船を自分の所に誘導し、内には任那に派遣した毛野臣の軍勢を遮って、無礼な言葉で、
「お前は、今は朝廷からの使者になっているが、昔は私の仲間として、肩を寄せ、肘をすり合わせて、同じ釜の飯を食ったではないか。どうして、急に使者になって、私にお前なんかに従えというのか。」
と言って、ついに戦って、受け入れませんでした。

(略)
22年の冬、11月11日に、大将軍、物部の大連・アラカヒは自ら、賊軍の磐井と筑紫の三井郡で交戦しました。軍旗や軍鼓が向き合い、軍兵のあげる砂ぼこりが入り乱れました。この戦いがすべてを決する事が分かっているので、両陣営は決死の戦いをしました。物部のアラカヒはついに、磐井を斬って、ついにその境を定めました。
12月に筑紫の君、葛子(くずこ)は、父の罪に連座して殺される事を恐れて、粕屋(かすや)の屯倉(みやけ)を献上して、死罪を逃れるように願い出ました

この528年の磐井の乱は筑紫の人間にとっては歴史上、大事件だったんだけど、
「粕屋の屯倉」だけに注目すると、青色の部分が該当します。
継体天皇側の言い分は難癖に聞こえるな~。磐井は治水工事で忙しかったのにね。

湊は何処にもあるんだろうけど、ここは特に安曇族の中心地的な湊で、
周囲では鉄器の生産もしていたので、この倉庫群は輸入品もさることながら、
武器が沢山備えてあったんだろうと思います。

負けた磐井の君の息子の葛子が倉庫群を差し出すと言う事は、
武装解除であり、制海権の放棄を意味していると思っています。
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この時代の武人はどのような姿をしていたのでしょうか。
すぐ近くから、これより200年ほど前の永浦古墳から、
鎧兜が出土して、こんな恰好をしていたのが分かっています。
(イラストは古賀歴史資料館にあります。)

200年経っても、ほぼ同じようなものでしょう。
古代って何だか戦いばかりで大変な時代なんですね。
少しずつ古代の人々の営みが見えて来て、面白いやら、哀しいやら。
なんとも微妙な気持ちです。


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これは屯倉の周囲の出来事マップ。ブログで紹介したのは
皇石神社 
永浦古墳の鎧兜(⇒古賀市立歴史資料館)  
新宮町の神功皇后伝説  です。

※上のリンクが切れていました。接続しなおしました。 

出土品は古賀市立歴史資料館に展示してあります。(マップをここで貰って行こう。)

地図 鹿部田渕遺跡 古賀市立歴史資料館 宮地嶽神社


 



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by lunabura | 2011-06-20 18:32 | <遺跡・史跡> | Trackback | Comments(6)
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Commented by jumgon at 2011-06-20 23:02
[粕屋(かすや)の屯倉(みやけ)],聞いたことがあると思ったら、「筑紫の君、葛子(くずこ)は、父の罪に連座して殺される事を恐れて、粕屋(かすや)の屯倉(みやけ)を献上して、死罪を逃れるように願い出ました。」の記事だったんですね。
粕屋(かすや)の屯倉(みやけ)周辺マップのおかげで、各時代の遺跡のイメージがつかめました。ありがとうございます。力作ですね。
あれって、グーグルアースを使って作ったのですか?


Commented by lunabura at 2011-06-20 23:09
バラバラで出会っていた神社や古墳をこうしてまとめて見て、私もようやくイメージが出来て来ました。
この地図はグーグルの「航空写真」を使いました。白山神社や福津市なんかはグーグル「アース」を使いました。山がある時は、グーグルアースの方が迫力があって、地形がよく分かります。
この辺りは古墳群ごとに部族が違うのが分かるらしいので、そんなのも、資料館に習いに行きたいと思いました。
未盗掘の古墳は出土物で、暮らしが伺えるので、本当に大切ですね。
Commented by まぁ坊 at 2011-06-23 00:23 x
粕屋の屯倉の候補地の遺跡があったんですね。知りませんでした。
古賀市一帯は7年ほど前に仕事のついでに寄ったぐらいでほとんど回っていないので、勉強になりました。
宗像大社に、もう一度行きたいのもあるので、また計画を立てて見ようと思います。そう考えると高速道路料金上限1000円の廃止は痛いです。
今年は担当している仕事の日程的な問題で、九州遠征はかなりの確率で断念せざるを得ない状態になってきました・・・。
Commented by lunabura at 2011-06-23 09:21
まぁ坊さん、コメントありがとうございます。
この古賀市はもともと粕屋郡で、ここの字名が「みあけ」なんですね。
地名通りに、遺跡が出土した例になります。
各資料館で出されたパンフレットの地図なんかを見ると、ここに「粕屋の屯倉」と描かれているものをいくつか見ました。
それでも、まだ福岡市内の方にも巨大な倉庫群が発見されているので、それも確認したいなとは思っています。ただ、一般人にはその手の資料とか、地図とかは手に入りにくいので、難しそうですが。
この福岡市から北九州市までの玄界灘エリアは、古社と地形が変わらずに残っているのが一番の魅力です。お魚がおいしいですよ。海も抜群。またいつかお越しください。 (^-^)
Commented by ゾロ at 2015-01-10 23:03 x
九大農場跡地でも最近それらしきもの発見されておりますが興味深く拝見させていただいております。大昔のことなので、推察しかできせんが、とにかく歩いて感じることしかないですね。
Commented by lunabura at 2015-01-11 23:19
ゾロさん、はじめまして。
九大農場跡地は阿恵遺跡(糟屋官衙遺跡群)のことですね。
レポートしているので、検索欄に上の字を入力してみてください。
阿恵遺跡の近くに葛子の墓と噂される鶴見塚古墳もあり、屯倉は当時はまだ統一されておらず、各地にあったと考えています。
「粕屋の屯倉」はその全体を指すと今では考えています。
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