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小郡「黄泉の道」の古墳巡り(1)横隈山古墳


小郡「黄泉の道」の古墳巡り(1)
⑤横隈山古墳

福岡県小郡市

小郡市内歴史の道マップを手にしながら「黄泉の道コース」を廻ってみました。
思い立った理由は夢の中に「生掛遺跡」という張り紙が出て来たから。
「生掛(しょうがけ)古墳」の事だとすぐに分かりました。
確か小郡市だったはず…と地図を見ると
「津古(つこ)」のすぐ傍ではないですか。

「津古」と言えば、老松神社の伝承に、
「神功皇后が津古から船に乗って老松神社に行って行在所とした。
武内宿禰に祀らせた。そこから田油津姫を攻撃した。」
とあって、気になっていた所です。
物部軍の拠点があった所になるからです。

「津古」―駅名としてはよく知っているけど、
古墳が集中して見つかってる所だとは知らなかった。
丘陵地帯の古墳群。御原国のエリア内です。

これが「黄泉の道」コースのマップです。
c0222861_21251530.jpg

①津古1号墳
②津古生掛古墳
③三国の鼻1号墳
④井の浦1号墳
⑤横隈山古墳


九州歴史資料館で手に入るこのマップは歩く人のためのものなので、車で古墳巡りをしようとすると信号機の名前などが載っていないために、2~3種類の地図を見比べながら走らないと分からないです。


神社と違って古墳は地図に載っていないので緊張の連続。
今回の目的は5つの古墳を完走して地形を掴むこと。
マップのお勧めとは反対に左回りで見学する事にしました。
出発地点は小郡埋蔵文化財センターです。


⑤横隈山古墳

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埋蔵文化財センターから東へ。並走する車道と電車路線を超えて宝満川方面へ。
整然と区画整理された坂道の住宅地へ入って行きました。
古墳なら自然林があるはずと見回すと早くもこんもりとした丘が見えました。
あわてて左折すると、入口がない。
人に尋ねて、反対側にありそうだと聞いて廻ってみると、ありました。
案内板がちゃんとありましたよ。

c0222861_2127501.jpg

石段までついているので、墳丘に登ってみましたが、樹木があるだけでした。
案内板を写しておきます。
横隈山遺跡
現在「みくに野東団地」の名で呼ばれる23万平方メートルに及ぶ範囲を横隈山遺跡という。

1973年3月より実施された発掘調査により、この遺跡が旧石器時代から縄文、弥生、古墳、歴史時代と、間断なく生活の場であったこと、特に弥生時代の遺構群はほぼ全域にわたって存在することが明らかにされた。

現在地は横隈山遺跡第一地点で、保存されているのは前方後円墳である。墳丘は全長約35.6m、後円部南側は盗掘などで原形をかなり壊されている。石室など、内部主体の確認はされていないが、円筒埴輪の破片は採集されている。墳丘の形態は帆立貝式前方後円墳に近い。5世紀から6世紀にかけての築造と考えられる。

横隈山遺跡は標高20~50mの丘陵地帯に位置しているが、この古墳が最高地である。見晴らせば、東に花立山、西北に津古遺跡、原田五郎山古墳と続き、筑後平野北部の古墳時代前~後期の変遷を知る上で重要なばかりか、筑前、肥前、筑後三国の境界として歴史的要所であり続けたことと併せ、この遺跡のもつ意義ははかりしれないものがある。

北部九州には稲作農耕を基盤とする国家の成立をうかがわせる有名な遺跡が多いが、福岡平野では新幹線、高速道、団地建設などの開発により、須玖岡本はじめ殆どは破壊され尽した。植物生態学的にも、シイ、カシ等を中心とする照葉樹林体の相をみせるこの一帯は、いわざ「弥生の森」そのものであり、これだけの歴史的環境を残している所は県内でもきわめて稀であるといえよう。

昭和56年3月10日 小郡市教育委員会
          小郡市郷土史研究会

ここは横隈山遺跡というんですね。
23万平方メートルの広さがあるというけど、どの範囲なんだろう。
すごい広さみたい。住みやすさは旧石器時代から。
標高が20~50mあるので、宝満川の氾濫の心配がない所なんだ。

この古墳の長さが35.6mというのは結構大きいみたい。
帆立貝型の前方後円墳って、福津市の奴山古墳群にもあったよね。
縫殿神社の祠があった所。このブログでは2例目になるんだ。

円筒埴輪はなかなかお目にかからない。仙道古墳で見ただけ。
石室がまだ調査されてないから、未来の人のお楽しみ。
この周囲は全部団地になってしまったので、
この頂上の大型古墳だけ残されていた。
そして、目の前の森は照葉樹林体という。
そうそう、足元の落葉は雨に濡れるとつるつるすべるタイプ。
そして、これが「弥生の森」なんだ。

そして、時代は5~6世紀。
413~478 倭の五王が宋に使いを出した
479 雄略帝が末多王を百済王に任
479 倭国は高句麗を攻撃
507 継体天皇26代 即位
512 任那4県を百済へ
512 倭国は高句麗に勝利
515 倭国は伴跛国に敗北
527 磐井の乱
531 安閑天皇・27代 即位
538 百済聖明王が仏像献上
552 蘇我稲目vs物部尾輿
562 伽耶諸国が滅亡

こんな時代。ずいぶん韓半島や中国大陸との交流や戦いがあってる。
この横隈山古墳に眠る権力者も、行き交う武人や船を見たのかな。
さあ、基礎知識が出来たので、次の井の浦1号墳へ行きましょう。
       (つづく)








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by lunabura | 2011-08-05 21:33 | 小郡「黄泉の道」古墳巡り | Trackback | Comments(2)
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Commented by じゅんじゅん at 2011-08-03 15:18 x
横隈山古墳古墳の時代は5~6世紀、ということで年表を出してもらって分かりやすいです。
「黄泉の道コース」ミステリアスな名付け方ですね!
Commented by lunabura at 2011-08-03 21:11
「黄泉の道」は、私でなく、小郡市がつけたコースの名前なんですよ!
この南には「いのりの道」「まほろばの道」なんていうのもあります。
前月に紹介した「御勢大霊石神社」や「竈門神社」や「隼鷹神社」が一本のラインを描いています。
月に一度歩きながら御原国というのを体で感じたいなと思っています。
年表を見ると、謎の5世紀であり、倭の五王とか磐井の乱とかなので、この辺りの軍事力とか文化とか、時代を理解するのに欠かせないエリアですね。
わくわくしています。
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