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大善寺玉垂宮(4)高良玉垂神とはアントンイソラか


大善寺玉垂宮(4)
高良玉垂神とはアントンイソラか

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クスノキと湊
この宮にやって来たのが神功皇后です。
上のクスノキは境内の中でも一際古いものです。
神功皇后の船をつないだクスノキというのがあると聞くのですが
この樹の事でしょうか。しめ縄も張ってあって御神木になっています。
この樹は川にも一番近い所にありました。

皇后の船をつないだという故事から、ここは「御舟山」と言われるようになりました。
それが「大善寺」が出来た時に名称が変わりました。

皇后の伝承について『飛簾起風』より抄出したものを、現代語に訳してみます。
祭神 高良玉垂命
いにしえは御舟山大善寺と言った。この神は神功皇后の征韓の役の時、将として殊勲を上げ、凱旋の時、船をここにつないだ事から、御舟山の名がついた。境内の古いクスノキは皇后の船をつないだものと伝える。

クスノキについた「にな貝」は神功皇后が三韓との戦いの時、海上で戦い、干珠を海中に投げた時、海面が見る間に干潟となり、敵の船がひっくり返り、皇后の船もひっくり返ろうとした時に、不思議にも、たくさんの「にな貝」が船を囲んで守ったお蔭で無事に帰国して、船をここに納めた。「にな貝」はなおも、この樹に残るという。

クスノキについた「にな貝」の話がここにも書いてありました。
生立(おいたつ)神社では「にな貝」は歯痛の薬になっていましたが、
ここでは津波の引潮でひっくり返りそうになったのを守った貝として伝わっています。

海上の戦いでは引潮になれば敵もひっくり返るけど、自分も危険なんだ。
よく考えると、何ともリアルな伝承です。

この湊に入港してきた時、この船にびっしりとついた「にな貝」は
当時の人々に強烈な印象を与えたのでしょう、
あちこちに変形しながら伝わっています。

船の大きさを考えると、
韓半島と倭の間の大海を渡るような船は、浅い川は渡れません。
その大型船が直接乗り付けたとしたら、この宮の所までは水深があって
良い湊があったという事になります。
その点でも水沼の君はかなり栄えていたのでしょうね。

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祭神の高良玉垂神について考えた
「この神は、将として殊勲を上げ、船をここにつないだ」とあります。
神功皇后の船を操縦したのは安曇(あずみ)の磯良(いそら)です。
「船をここにつないだ」のを采配したのは「安曇の磯良」だと思われます。

玄海灘には海底火山の稜線が海面下にあって、
火口の内に入ると波が穏やかで、稜線の外は波が荒いそうです。
そんな潮の道を知っているからこそ、安曇の磯良に援助を頼み込んだのです。

磯良のお蔭で海神から干珠満珠も手に入れました。
新羅の国土に一気に船が入り込んだという話も、
数年前までは津波だと解釈する人は余りいなかったでしょう。

「玉垂神―玉を垂れた神」(津波を起こした神)は本来「海神」ですが、
「海神を斎き祀る磯良神」も昇格して「玉垂神」と同神となりました。
前回の「水沼の巫女」が「女の神さま」となったのと同じケースです。

「安曇磯良」を音読みすると「アントン・イソラ」となります。
この読み方は『高良玉垂宮秘密書同紙背』に書いてありました。
アントンイソラと申すは、筑前国にては志賀、常陸の国にては鹿島大明神、大和の国にて春日大明神と申すなり。一躰分身、同体異名である。

志式神社の神楽「磯良舞」では
磯良神は大和で40万年、常陸で40万年、勝馬(志賀島にある)で40万年過ごされた神。

と言う事で、やはり「安曇磯良」は、「アントンイソラ」です。

大川市の風浪宮では「吾瓫磯良丸」という字が当てられています。
「瓫」は「ホン」が音読みです。発音により近い漢字を選んだと思われます。

繰り返しになりますが、
「玉垂神」は厳密に言えば「津波を起こす玉を垂れた綿津見神」ですが、
のちに「綿津見神と、それを祀るアントンイソラ」と同義になりました。

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外洋は安曇族なしには渡れませんでした。
常陸の鹿島神社や奈良の春日大社にも拠点を持ち、
そして九州では志賀海神社を中心に、
大川市の風浪宮、門司の和布刈(めかり)神社
と主要な水門に湊を構えていた安曇族はこの後、水沼のクニの神となり、
筑紫の中心の高良山の頂上神となったと思われます。

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だから高良山の拝殿には波と龍神(海神)が正面に据えられているのです。
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「高良玉垂神」と「高良の神」は別の神で
後者は「竹内宿禰(ちくしうちのすくね)」で、
それが混乱して伝わっているのではないかと推測しています。

神功皇后
そうそう、神功皇后の田油津姫攻撃のルートを探していたのでした。
伝承を並べて行くと、
神功皇后は高良山の麓の旗崎に旗を立てて陣営を構え、
国分町に船をつけ、この大善寺玉垂宮に来て、
それからさらに南下して弓頭神社に行きます。

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それでは、ようやくここを後にして、弓頭神社に出掛けましょう。




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by lunabura | 2011-09-01 18:34 | 大善寺玉垂宮・だいぜんじ久留米 | Trackback | Comments(4)
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Commented by はな at 2013-10-05 14:33 x
だんだん難しくなってきました。
でも引っかかるとこだけみると、
女神が神功皇后だったら、「地元の寄り合いで」ヒソヒソ言われることはないのでは?
何処かに知られてはまずいからヒソヒソになるんだから
Commented by lunabura at 2013-10-06 20:14
はなさん、こんばんは。
女神、探求は難しいし、興味深いですね。
水沼の君が祀るのは三女神なので、水沼とどうつながるのか、
もう一つ、伝承が欲しいです。
Commented at 2016-02-24 01:33 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2016-02-24 23:12
非公開さん、こんばんは。
奥深いところが見えて来たんですね。
まとまったら、また教えてください。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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