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弓頭神社(3)竹内宿禰と皇子の軍議があった!


弓頭神社(3)
ゆみがしらじんじゃ(ゆがしらさん)
竹内宿禰と皇子の軍議があった!

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もともと弓頭神社の祭神については分からなくなっていたのが、
明治の初めごろに神官を兼務していた船曳鉄門によって
国乳別皇子と唱えられたものだという事が資料集で分かりました。

今回はその鉄門による縁起書を中心に要約しながら見て行きます。

弓頭神社と大善寺玉垂宮の関係が分かった
弓頭神社のある高三瀦地域には山陵が三か所あり、皇子から三代がここに埋葬されて、その後は大善寺の宮本山中に埋葬するようになった。そこにはおよそ47,8か所の墳墓があり、国造家の数十世代の墳墓だった。その中でも鬼塚、権現塚は今も全形が残っていて、さながら帝王の山陵のようである。鬼塚は王塚の転語である。

これで二社の関係が分かりました。
国乳別皇子から三代はこの高三瀦で治世をして、
四世代目から大善寺の方に移動したという事です。墳墓の分布から分かりました。

大善寺玉垂宮には韓半島から戻って来た船が帰着したことから、
中国あたりの大型船も直接停泊できる港があった事が推測できます。
国造家も繁栄した土地に転居したんですね。気持ちはよく分かるな。

鬼塚(御塚)、権現塚古墳は大善寺玉垂宮の近くの国道を走っていると、
すぐ目に入るような古墳です。
今回は行けなかったので、航空写真で覗いてみましょう。見事な円墳ですね~。

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高三瀦の地形はやっぱり高台だった
ここは長峰山の尾崎で地形が高隆だったので、高三瀦と言った。この地形があったから開国の都邑となった。

本来は高台だったのですね。それなら都となるのもガッテン。
そして圃場整備などで、周囲と高さが変わらなくなりました。

宗像神はどこ?
水沼の君と言えば有名なのが、日本書紀に出てくる、
宗像三女神は筑紫の水沼の君たちの祭神である」という話です。
ここが水沼の君の地なので、三女神を祭祀する設備があったはずなのですが、
どうやらこの神社には見当たらないそうです。

探索もこれまでか、と思ったら、
久留米市の赤司八幡宮の方にその伝承がありました。
その伝承でかなりの謎が解けたのですが、これはまた別の機会に。

水沼の君の領地は前回の予想地図よりはるかに広かった…。

弓頭大明神と竹内宿禰の会談!
神功皇后の征韓の時、弓葥の督将として渡航した事から、弓頭大明神と言うようになった。
今考えると、この時は100歳以上になっていだたろう。こんな高齢で軍事に参与することがあるだろうか。おかしいと思うが、当時は寿命が長くて、竹内宿禰はもちろん、公子の葛城襲津彦たちなども100歳200歳と出てくるので、あながち荒唐無稽だとは言えないのだろう。

そうそう。長寿なのは竹内宿禰だけじゃないんですよね~。
みんな100歳、200歳。
この辺の事を考えると頭がおかしくなるので、みんな困ってる。
日本書紀の編集者の大ミス。ねつ造がバレバレ。

大善寺玉垂宮の『建徳縁起』に武内大臣が高三瀦廟院で皇子と軍議している図がある。これは三韓攻撃の前に、皇后が本国の山門郡の田油津姫を征討する時の事だ。廟院とはお墓に付属するものなので、御所とは別のものである。

この「皇子と武内大臣の軍議」は縁起の中でも有名な事らしいです。
私も何も知らない頃だったら、唐突な話だと思ったでしょうが、
今では神功皇后の田油津姫攻略のルート上にあるという事でとても納得です。

国乳別皇子の父親の景行天皇が武力で抑え込んだので、天皇がいなくなると、
対岸の田油津姫の国なんかはすぐに息を吹き返して、
国乳別皇子と敵対するようになったと見えます。
竹内宿禰がやって来て作戦会議が行われた結果、
正面からの攻撃を避けて、いったん有明海の方に廻る戦略が立てられたのが
この先訪問する各神社の伝承から見えて来ます。

なお近くの個人宅の老樹に皇后の船をつないだという伝承がありました。

皇子の墓所まであった
皇子の墓所は烏帽子塚と言って、300mほどの所にあって、そこに高三瀦廟院という、いかめしい殿舎があったが、今は一株の老松があるだけである。

この神社の近くに国乳別皇子の古墳が現存するという事で、
氏子さんが案内してくれました!
次回はそこに行きましょう。

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神社の横にあるポッポ汽車の記念公園。
かつて久留米市から大川まで走っていたSLです。
汽車が走るという事はずっと平地だという事ですね。(つづく)


国乳別皇子の烏帽子塚古墳
http://lunabura.exblog.jp/16835462/



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by lunabura | 2011-09-06 20:34 | 弓頭神社・ゆみがしら・久留米市 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 筑後国造 at 2011-09-10 05:49 x
御塚古墳は前方部が短い、帆立貝式前方後円墳でしたが、前方部が道路に削られ、後円部のみが残っている状態です。
これから、登場するであろう田油津姫に縁の、旧山門郡の神社の境内にも古墳があったと思いますが、神社には全く関心がない時代でしたので、古墳の撮影しかしていません。
今後、古墳の再訪問とともに、神社も訪れてみようと思い、続きを楽しみにしています。
Commented by lunabura at 2011-09-10 08:49
御塚古墳は帆立貝式だったんですか!よくよく見るとくびれ部がなんとなく見えますね!
この弓頭神社は筑後国造さんのレポートで拝見して、綺麗な神殿だなと思っていたのですが、思いがけず参拝出来ました。
次回は烏帽子塚古墳をレポートしますが、あれを一人で見つけたなんてすごいですね。貴ブログの事を思い出しながら歩きましたよ。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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