ひもろぎ逍遥

lunabura.exblog.jp ブログトップ

老松神社と蜘蛛塚・女王塚と呼ばれていた古墳ー被葬者は田油津姫か葛築目か


老松神社と蜘蛛塚
おいまつじんじゃ と くもづか
福岡県みやま市瀬高町大草311
女王塚と呼ばれていた古墳ー被葬者は田油津姫か葛築目か

田油津姫(たぶらつひめ)の古墳と言われる蜘蛛塚を目指しました。
老松神社の境内にあるというので、杜を探しながらです。
田園の中の集落の曲がりくねった道の所にありました。

c0222861_16131425.jpg

いかにも古社です。

c0222861_16133163.jpg

みごとな楼門が建っています。

c0222861_1630725.jpg

内側から。

c0222861_16152434.jpg

拝殿は新しく建造されたばかりのようです。


さて、目的の蜘蛛塚の方は一の鳥居のすぐ左にあり、その上に御堂が建っていました。

c0222861_16161720.jpg

石段の高みがそのまま墳丘の高さになります。
古墳の名は「蜘蛛塚」と言いますが、もともとは「女王塚」と言われていたそうです。

c0222861_16164345.jpg

御堂の真裏に廻ると墳丘の姿がまだ残っています。
雨が降ると血が流れると言われている事から、
石棺の中の朱が流れ出していると考えられています。

町指定文化財 蜘蛛塚(大塚) 瀬高町大字大草字大塚
昭和56年2月23日指定
この塚は、瀬高町大字大草字大塚の南東、老松宮入口に位置し、ここ大塚という部落の名の起りでもある。今は石室の中心部のみ残り、塚上に地蔵尊を祀ってある。昔は雨が降るとこの古墳から血が流れると言われていたが、これは石棺内の朱が流れていたのであろう。

伝説によると景行天皇の西征の時に、この地に朝廷に従わない者がいたので、天皇は之を征伐して首長を葬った所だとされている。又、土蜘蛛の首長田油津姫の墓であるとも言う。

この墳の南約18mの田の中に小墳があった。これも大塚といい、もと一緒の前方後円墳であったが道路作りの時、二分されたものと思われる。

大正二年春、田の中の小塚を崩してその上に新道が作られた。往時は女王塚と言っていたが 後世にはばかって大塚(蜘蛛塚)に改めたと言う。
瀬高町教育委員会

説明板を見ると、被葬者には二人の候補がありました。
一人は景行天皇に殺された首長で、葛築目(くずちめ)と言う名も伝わっています。
もう一人は神功皇后に殺された田油津姫です。

葛築目は男か女か
「葛築目」の「目」は「め」で「女」の可能性があるのですが、
蘇我の稲目と言えば「男」なので、男女どちらかは表記からは分かりません。
しかし、ここが女王塚と呼ばれていた事、子安観音が祀られている事から
被葬者はこのクニの女王の可能性が高いと思われます。

いづれにしろ、この古墳には「天皇家に殺された女王の記憶」が残されています。

またこの古墳が前方後円墳だったとすると、通説の論理で行くと、
この地域を支配するようになった畿内の権力者が権力を誇示して
前方後円墳を作ったという事になって、時代は下がります。

どうも、伝承と古墳の形式が合いません。

神功皇后の時代を古墳時代に引き下げるか。
前方後円墳の始まりを引き上げるか。(大胆すぎる?)
結論は将来の発掘を待たねばなりません。

同時代の人たちの古墳を見回すと、
国乳別命(くにちわけ)の前方後円墳(久留米市)の周りからは
弥生時代のものが出土してましたが、
仲哀天皇の古墳(藤井寺市)は5世紀後半の築造。
息子の応神天皇陵(藤井寺市)は5世紀初頭の築造と、親子で逆転しています。
まだまだこの世界は研究の途上にあるようです。

熊襲や土蜘蛛って誰なんだ?
そもそも、この戦いの発端は何でしたっけ?
そうそう、熊襲が朝貢しなかった事が始まりでしたよね。

日本書紀では「熊襲」については、鴨別(かものわけ)に攻撃させたら
おのずから降服したと、チョコっとだけ書いています。
流れからは不自然で、辻妻合わせに後で挿入した印象を受けます。

そこで、これまでに登場した国々の場所を書いて見ました。

c0222861_16213742.jpg

神功皇后軍に殺された王・女王たちを青色で書いてます。

関西で生れて関西で育った日本書紀の編者が考える熊襲の実態は、
羽白熊鷲や田油津姫など、「敵対した国々」を総合した漠然としたもののようです。

「土蜘蛛」とは、かなり早くから入植した渡来人で、
山の中で鉱山を掘っていた人たちで、中東系だから手足が長いので、
イメージから蜘蛛の漢字を当てられました。
田油津姫もそんな種族の誇り高い姫だったと思われます。

この田油津姫の国の呼び方を考えました。
ここは数年前まで山門郡だったので山門(やまと)の国と呼びたいとおもいます。

この山門の国の朝貢品は何だったのでしょうか。
香春岳は銅、羽白熊鷲は鉄だったので、この山門国も金属関係と予測しました。

手掛かりは、この神社の名前が老松神社という事にあります。
老松神社といえば菅原道真(すがわらみちざね)です。
もちろん平安時代の人なので、関係ないと思ったのですが、
道真公の祖は天穂日命(あめのほひ)で、熔鉄の神です。
もともとここは鉄の神が祀られていて、
のちに悲劇の道真公もまた祀られるようになったのでしょう。

ここは有明海と筑後川に近く、豊かな葦原だったので
スズ鉄の生産をしていた可能性があります。
そばの女山(ぞやま)あたりの鉱物なども調べると全容が見えてくるでしょう。

るなの推理コーナー
景行天皇は帰順しなかった山門の国の女王・葛築目(くずちめ)を殺して、鉄製品を朝貢させるようにすると、それを支配、管理するために子供の国乳別命を近くの高三潴に封じた。国乳別命は地元の豪族と結びついて水沼(みぬま)の君の祖となる。

一方、葛築目を殺された山門の国では、次の王、もしくは二代目かに香春岳の田油津姫を迎えて女王か妃にした。

こうして再び力を取り戻した山門の国は国乳別命に朝貢するのが理不尽で、朝貢を取りやめた。

その報告を国乳別命から聞いた仲哀天皇は下関に遷都して、景行天皇が残した筑紫の支配権を確立するために乗り出した。

こんな感じかな…。
手に入ったコマを並べると、こんな仮説が生まれました。

調べて行くと、この老松神社はクニの聖なる場所というのが分かって来ました。
山門国の都造りについて興味深い記事があったので、資料が揃ったらまた報告します。

さて、続けてもう一つ有名な権現塚古墳に行きましょう。

地図 蜘蛛塚・老松神社






気が向いたら、ポチっと応援してくださいね。
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村
c0222861_15184581.gif


[PR]
by lunabura | 2011-09-25 16:35 | 老松神社(各地) | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://lunabura.exblog.jp/tb/16895784
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
line

綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


by lunabura
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー