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宇美八幡宮(3)応神天皇と竹内宿禰


宇美八幡宮(3)

応神天皇と竹内宿禰

再び境内に戻って来て、時計回りに廻りました。

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これは武内宿禰社
御祭神 武内宿禰(たけのうちのすくね)
神功皇后応神天皇の母子を大臣としての補佐をはじめ、五代もの天皇に仕えて、さらに長寿を誇ったという伝説より、延命長寿、武運長久、厄除の神としてお祀りされています。

竹内宿禰神功皇后が筑紫で過ごした3年間、つねに力になった人です。
300歳以上長生きしたと言われ、白髪と白髯のおじいさんの姿で描かれる事が多いのですが、
他の人もみんな100歳200歳です。
この時代は竹内宿禰だけが長寿ではないのですね。
(日本書紀の捏造の失敗とにらんでいる。)

白髪の竹内宿禰が赤ん坊のホムタワケ皇子(応神天皇)を抱いて、
神功皇后と共にいる絵をあちこちで見かけますが、彼はその頃はまだまだ若かった。

社の向こうから、「いいかげん老人にするのはやめてくれ」と聞こえてきそうです。

不可思議なのは応神天皇との関係。

噂では二人は親子です。神社の奉納絵にはそう解釈できるものがたくさん。
(でも、本当の事は誰にも分からない。)

神功皇后が亡くなった後に即位したホムタワケ皇子(応神天皇)は
竹内宿禰が筑紫で謀反を企てていると聞いてあっさりと殺害を命じます。
(こんなにフクオカでは君のために苦労したのに、知らないの?)

この誤解は解けたのですが、代わりに佐賀の壱岐真根子が亡くなりました。

そののち応神天皇の子供と竹内宿禰の子供が同じ日に生まれるという偶然が起こると、
「これは吉兆だ」と言って、互いの子供たちの名前を交換したりしています。
応神天皇の子供って、あの有名な仁徳天皇だよ。
(う~ん。どうなってるの?)

竹内宿禰について、これまでの逍遥で分かったことを並べてみます。

竹内宿禰の和魂荒魂は宗像市の織幡神社に祀られている。
竹内宿禰の母は山下影姫で、小郡市の竈門神社に祀られている。
竹内宿禰屋敷が香椎宮の裏手にある。

宮地嶽神社の近くにも竹内一族がいて、
宮地嶽古墳と手光古墳はその一族と関連があるという伝承がある。

高良の神とは竹内宿禰だという伝承がたくさんある。
(高良の神と高良玉垂神は別の神)
などなど。
竹内宿禰については日本書紀の現代語訳をしています。
読んでみるとやっぱり、日本書紀さん、しっかりしてよ、と言いたい。
(サイドバー『古事記の神々』武内宿禰)

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韓石(からいし)
神功皇后が向こう(朝鮮)から持ってお帰りになったものだと古老から言い伝えられているが分からない。石の質が変わっているので、いずれにしてもこの地方の石ではないことは分かる。

船のいかり石でしょうか?
このような石はあちこちの神社にあるので、比較すると分かるかも知れませんね。
この石に岩刻文字(ペトログリフ)があると言われますが、それは分かりませんでした。

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左の祠は恵比須社です。
御祭神 事代主命
「事を知る神」として、善悪を判断する力があるとされ、一般的に「えびすさま」と称されて、商売繁昌・開運の神としてお祀りされています。正月には「宇美三日恵比須まつり」が斎行されます。
事代主命が神功皇后社に寄り添うように祀られています。

小山田斎宮での神託の時にも現れた神です。
気になるけど、またいつか。

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聖母宮(母の社)です。
御祭神 神功皇后
主祭神・応神天皇の安産にちなむ信仰から、その「母后・神功皇后」に対する特別の崇敬を以って、宝永3年(1706)当時の藩主・黒田綱政公により寄進されました。
今から約600年前の室町末期の作と伝えられ、県下の代表的秀作とされる。福岡県指定文化財(民族資料)聖母宮御神像が奉安されており、「25年に一度」御開帳の神事が斎行されています。
次回は平成30年に行われます。

黒田の御殿様が寄進したんだ。江戸時代の拝殿です。かやぶき屋根が美しいですね。

なお、宇美八幡宮の祭神は
応神天皇、神功皇后、玉依姫命、住吉三柱大神、イザナギ尊です。

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湯蓋(ゆがい)の森
御降誕の時、このクスノキの下で産湯(うぶゆ)をお仕えした時に、枝葉が茂って湯槽(ゆそう)の上を覆った事からこのように名付けた。

思う存分枝葉を広げて見事な姿です。
このクスノキの下で産湯をつかったんですね。そうすると、この樹も2000歳?

石垣を見ると、これがまた、どうも珪化木の囲いなんです。
巨木の化石がずらりと並んでいて、なんだかすごいんです。

クスノキは腐りにくくて浮力が得やすいので、船の材料にもなりました。
古代の日本の森はこんな巨木がいっぱいだったんでしょうね。

では、そろそろ宇美八幡宮を後にして、下関市に行きます。
神功皇后が出産する2年前に住んでいた所です。
いったいそこで何が起こったのでしょうか。




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by lunabura | 2011-10-01 15:02 | 宇美八幡宮・うみ・粕屋 | Trackback | Comments(4)
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Commented by csaオアシス at 2011-10-02 22:40 x

竹内宿禰の和魂と荒魂が、お祀りされている織幡神社には、行ったことがあります。
もう、ずいぶん前のことですが・・^^;

韓石のペトログリフは、こんど宇美八幡宮にいったときに、よく観察してみます。
私も、「船のいかり石」だと思います。

また、事代主命がお祀りされているとは、知りませんでした。
やはり、海洋と関係が深いのでしょうか。
住吉三神もお祀りされていますし・・
玉依姫命も、そうですね。

次の下関には、住吉神社がありますし
次回の記事が楽しみです。。♪ ^^


Commented by lunabura at 2011-10-03 08:20
事代主命は表舞台に出て来ないけど、ここで聖母社の横に寄り添っているのを見て、関心を持ちました。江戸時代に置かれたのかも知れないので、まるまる参考には出来ないかもしれないけど、社の配置が気になります。
もしかしたら、気比から皇后が下関に出てくる時に支えた海人族かなと思いました。おいおい調べて行こうと思っています。

住吉三神なんかは現人神社のあとはずっと一緒ですよね。その密着性も気になるんです。
Commented by massy at 2011-10-20 05:21 x
忌宮さんから住吉さんにゆくのに通った道は、逢坂越えと呼ばれる道です。狭くてカーブが多く、事故の多い道です。広い道に出たところは、国道2号線です。交通量が多くて、横断するのは大変、困難なところです。地元の人間は、この場所では横断しません。大変だったでしょう。事故を起こさなくてよかったですね。国道を越えて、住吉さんまでのゆるい下り坂は「天神坂」と呼ばれています。地元の年寄りしか知りません。住吉さんなのに、なぜ「天神坂」なのか理由は知りません。この辺りは鍛冶屋が多くて、毛利元就に200挺の鉄砲を納品したと古文書に残っています。
この近くの小高い山は竜王山です。近くの福王寺は竜王山福王寺です。国土地理院の地図には、山名が記されています。一般に知られている竜王山はもっと北のほうです。
Commented by lunabura at 2011-10-20 10:16
「鍛冶屋が多くて、毛利元就に200挺の鉄砲を納品した」とは。やはり住吉神社の稲荷神社のあたりは鉄関係で、その伝統が受け継がれているのでしょうね。
ところで、かつて忌宮神社と住吉神社は年に一回、逢うと言うことで「逢坂越え」というのもそれに関連したのかなと思うのですが、途中に御旅所があるのではないかと思った次第です。場所は御存じですか?
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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