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羽白熊鷲塚・熊鷲は矢で倒された


羽白熊鷲塚
 

福岡県朝倉市矢野竹
羽白熊鷲は矢で倒された 

ついに羽白熊鷲の墓にやって来ました。
そこは前回の矢埜竹神社からわずか400mの所でした。
墓は寺内ダムの付属施設「あまぎ水の文化村」の敷地内にあります。

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「あまぎ水の文化村」は広大な公園。その中にある「せせらぎ館」に向かいます。

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流れる水をデザインした広大な長い階段を上って行きます。
ゲート前で既にテンションが上がったのに、この壮大さに感激。

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次々に現れる水のモニュメントを楽しみながら高みに登って行きます。

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そしてラストのゲートに入ると円墳らしき塚がありました。
これが「羽白熊鷲塚」です。
ただし、これは最近、移転されて造られたものです
説明書きがあるので読んでみましょう。(一部 変更)
羽白熊鷲の碑
仲哀天皇御代、木免(きづ)の国(筑紫の国)に未だ皇命を奏ぜぬ部族あり。その長(おさ)を羽白熊鷲(はじろくまわし)という。荷持田(のとりだ)に盤拠し権力遥かに想像を絶す。
 
神功皇后 新羅征討の途次、橿日宮(かしいのみや・香椎宮)に出陣中なりしが、かかる形勢を関知し、まず内患を断つ事の急務なるを悟り、従駕の臣・武内宿禰(たけうちのすくね)等と審議の末、巨魁羽白熊鷲を征討する事に決せり。

神功皇后ただちに軍容を整え、仲哀天皇9年(西暦391年)3月橿日宮を経て松峡宮に至り、激戦死闘の結果、ついに層増岐野において強敵羽白熊鷲の軍勢を殲滅(せんめつ)、この時聡明かつ沈着な神功皇后、左右を頼み「熊鷲を収得し我が心即ち安し」とのたまう。

羽白熊鷲の覇権の強大さここに歴然たり。
おもうに古代、我が郷土に一世を風靡せし人物を知らず。いま彷彿として羽白熊鷲の勇姿脳裏に去来す。われらはここに永遠に不滅の羽白熊鷲をねんごろに顕彰し碑を建立して辞となす。
平成14年12月  山本辰雄 謹選

引用文献
「日本書紀」「太宰管内志」「第二本時代志」「古事記」「延喜式」「筑前志」「筑前国続風土記」「考証三代実録」「筑後志」「朝倉風土記」など
香り高い文語体で書かれていました。
そう、羽白熊鷲は郷土の誇りなのです。
日本書紀なんかに、さんざんに書かれているのは、負けた者の宿命。
この矢野竹の地に散った弥生の王を愛さずにはいられません。

このクニは二度と立ち上がれないよう徹底的に滅ぼされたのでしょう。
地元の神社の伝承にわずか名を残しただけで、
日本書紀にも書かれた強大な王が居たということも忘れ去られていました。

この「あまぎ水の文化村」建設にあったってその墓が再発見され、
世に出て来たのも、不思議な流れです。
説明板の裏に由来が書かれていました。(一部変更)

羽白熊鷲の塚 由来記
「水の文化村」建設時、ここに羽白熊鷲の遺跡あり。
せせらぎ館の建設地と重なりし為に70m南に移転せり。
平成14年4月 甘木商工会議所施設運営の委託を受けし後、羽白熊鷲の存在を知る。
仲哀天皇の御代、領土を統治せし豪族 羽白熊鷲の塚とは余りに貧弱、不敬に亘るとし、ここに再度移転せるものである。
これを読むと「せせらぎ館」を建設する時に熊鷲の墓が見つかって南に移転したが、
郷土の皆さんが羽白熊鷲の存在を知って、郷土の豪族として改めて認識し、
移転した墓を問題視して、この目立つ場所に再度移転したのが分かります。

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彼の墓は、もともと何処にあったのだろう?
スタッフや地元の方々に伺ってその様子が分かりました。
写真に「せせらぎ館」と熊鷲塚を同時に撮りました。
本来の場所はプールの下辺りだという事なので、この写真の範囲内かも知れません。

もともと、ここは畑だったそうです。
墓は丸い石が置かれているだけだったそうです。
塚はなく、発掘した時も何も出て来なかったそうです。

建物の下になるので墓は一旦、上の写真の右奥の方に移転されました。

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この写真は塚の奥を撮ったもので、遊歩道があってアズマヤがあります。
その裏手に枯山水があって、さらにその裏側に廻り込み
榊が2本植えられた所に移されました。

現場の写真も撮ったのですが、これは一時期に移転された場所なので、
後の混乱がないように、写真は掲載しません。
確かに裏の裏というさみしい場所でした。

だから今のような堂々とした場所に移されたのは本当に良かったと思います。
本来の墓は無くなったのですが、開発のために再発見されて世に出たのは
多くの遺跡と同じように不思議な運命を感じます。

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このロケーションこそ、熊鷲の墓にふさわしいものでしょう。
墓石は塚の上に置かれたそうですが、写ってませんね。

「熊鷲の最期の場所」というのも伝わっていました。
それは「せせらぎ館」の裏の階段あたりだそうです。
熊鷲は矢で射られたそうです。
「近くの雑木山から矢で射られたと言うが、あんなに離れていて、
はたして矢が届いたのだろうか」と地元では話したりしているそうです。

電話だったので、その雑木山がどれかは分かりません。

「はたして矢が届いたのだろうか」という言葉がずっと気になっていました。

そして先日、忙しい中に無理して行った吉野ヶ里の出雲展で、思いがけない矢を見たのです。
  (つづく)

地図 羽白熊鷲塚










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by lunabura | 2011-12-20 22:18 | <古墳>手光は宮地嶽へ | Trackback | Comments(0)
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