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太刀八幡宮・神功皇后は太刀を磨かせて奉納した


太刀八幡宮
たちはちまんぐう
福岡県朝倉市大庭
神功皇后は太刀を磨かせて奉納した 

寺内の美奈宜神社から下って来ると広い平野に出ます。
太刀八幡宮はその中の集落の一角にあります。

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こんもりとした森に一本だけそびえる大木。
これがくるま座さんが教えてくれた神社の見つけ方。

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左に廻り込むと鳥居がありました。
(後で分かったのですが、右に廻ると駐車場があります。)

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いかにも古社の風情で、大木の根が石段を持ち上げています。

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参道には沢山の灯籠や狛犬が並んでいます。
御祭神は 神功皇后、応神天皇、三女神です。

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神殿です。一部に彩色が施されているのは珍しいです。

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境内には大木が沢山あって、木陰と光が心地よい空間を作り出しています。

ここにも神功皇后の伝承がありました。
今回は福岡県神社誌を読んでみます。(現代語に改変します。)
由緒
神功皇后の勅命により、熊襲討伐のため、西国に軍兵を進められた時、羽白熊鷲と土蜘蛛田油津姫などの頑強な敵を討伐するために、大庭村上の原で軍兵を訓練し、また刀剣を磨かされた。

この時、皇后は帯びていた御剣を抜いて磨かせて「この太刀を天神地祇に捧げてお祈りしよう。」と言われて、太刀を納めてその上に大石を置き、これを太刀塚と称し、今も境内にある。碑には摂政元年辛巳年(201年)と記している。

御奉納の太刀の銘は乙王丸との古老の口碑により、この地を乙王丸村と名付けた。皇后が剣を抜かれた所を上原村の内抜剣区と呼んで、剣を磨かせたところを磨次と言い、どちらも今は人家が建っている。
「太刀」という神社の名前は神功皇后が太刀を奉納した事から付いていました。

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その太刀塚を捜すと参道の右側にありました。

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正面です。石は平べったく見えますが奥行きがある大きな石です。

いつ神功皇后はここに来たのでしょうか。
いくつかの伝承と位置関係を考えあわせると、
羽白熊鷲を滅ぼしたあと、次なる田油津姫攻撃のために軍勢を整えて、
刀剣を磨かせた事が分かって来ました。

そして自分が帯びていた太刀を抜いて磨かせると
それを天神地祇(天地の神々)に捧げて、次なる戦いの戦勝を祈願しました。
剣を納めると大石を積み上げてそのしるしとしました。
今なおその現場が残っている事に驚かされます。

戦いの前に刀剣を磨かせたという話は砥上(とがみ)神社にもありました。
ここでも兵卒たちは石剣を、武将たちは鉄剣を磨いたことでしょう。
そして漆を塗ったという話も伝わっています。

刀剣に漆
変な話だと思ったら、たまたま韓国ドラマの「キムスロ」で、
「黄漆」が「錆び止め」だというワンシーンを見ました。
前後は見ていないのですが、それは大きな情報でした。

「漆・刀」で検索すると、日本でも刀剣に漆を塗っていました。
薄く塗れば錆び止めとなり、切れ味は変わらないとか。
弥生時代にも刀剣に塗った例があるそうです。

日本刀を持つ人に尋ねたら「真剣」は手入れが大変で、
特に梅雨時は錆に対して気を使うそうです。

この太刀八幡宮にはそんな古代の「太刀」の手入れについての伝承が
地名にもなって残っていました。

乙王丸は太刀の銘。
内抜剣区は皇后が剣を抜いたところ。
磨次(もしくは徳次)は剣を磨いたところ。
ほかに、塗器は漆を塗ったところ。
上に並べてみると、伝承が混乱しています。
地元の方でないと分からない古い地名です。どなたか教えて下さいませ。

さて、
もともと「太刀社」だったのが「八幡宮」になった事情も伝わっていました。
土民らは小祠を造って太刀塚を祀っていたところ、嵯峨天皇・弘仁の世になって、村人らが集まって協議して、八幡神をお祭りしようと豊前国宇佐宮に御分霊を謹請し、弘仁14年に宮殿を建てて、応神天皇、神功皇后、三女神の三座を斎き祭った。皇后の神剣にちなんで社号は「太刀八幡宮」となった。(略)

天正15年、豊臣秀吉が九州平定に軍馬を進めた時、当社は兵火にかかり、社殿一切を焼失したので、文禄元年氏子中で社殿を再建した。
これを読むと、神功皇后と三女神を祀っていたのが、
皇后の子であり八幡神である応神天皇を後に加えたのが分かります。

三女神とは宗像三女神の事です。
ここに宗像三女神というのが意外だったのですが、
筑後川流域を廻っていると、古くから各地に祭られているのが分かって来ました。
今は広大な平野ですが、入り海だった時代の祭神なのでしょう。
明らかに宗像市の宗像神社より古い時代になります。

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さて、境内をぐるりと廻ると正面には福岡には珍しい「子持ち鳥居」がありました。

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黄金の稲穂の向こうは、かつて入り海でした。
ここから見える範囲は沼地だったのかも知れません。
一日に二回は波が洗った事でしょう。

次なる敵、田油津姫の根拠地「山門」はこの向こうです。

調べて行くと神功皇后は近くの福成神社に参拝していました。
準備の合間を縫って訪れたのでしょうか。
そこは忙しい合間でも行くべき神社だったのです。



地図 太刀八幡宮





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by lunabura | 2012-01-06 17:30 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(0)
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