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松尾宮と永岡八幡宮・神功皇后はお腹が痛くなった

松尾宮と永岡八幡宮
福岡県筑紫野市永岡587
神功皇后はお腹が痛くなった

ここは宝満川の右岸。筑紫野市の丘陵地帯に目指す松尾宮があります。
ここは二度目のチャレンジで見つかりました。
住宅街の中にあるので、わかりにくいのですが、隣に「永岡公民館」というよい目印がありました。

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分かりにくい原因はもう一つ。「松尾宮」は「永岡八幡宮」の中に合祀されていたんです。
地図で探す時は「永岡八幡宮」で探して下さい。
正面の鳥居にも「永岡八幡宮」と書いてあります。

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境内に入ると、この楠!! でっかいな~。
ここにはかつて城があったので展望も抜群です。背景の右に見えている山は宮地岳です。

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参道の正面にある拝殿は永岡八幡宮です。
まずはその由来を。
永岡八幡宮
祭神 応神天皇・神功皇后・玉依姫命
   応神天皇 第14代仲哀天皇の第四男。母は神功皇后。第15代天皇。
   神功皇后 いわゆる三韓征伐のあと、現在の粕屋郡宇美町で応神天皇をお産みになられた、と言われている。
  玉依姫命 豊玉姫命の妹で、初代天皇神武天皇の母。(以上は『日本書紀』による)
社格村社(明治5年に定められる)
由緒 不詳 当社がいつごろ建立されたかについては、分かっていませんが、古くから永岡村の産土(うぶすな)神として祭祀されていたようです。 (略)
八幡宮なので応神天皇が祀られていますが、皇后軍がここを通った記憶があって、
神功皇后も祀られ続けたのかも知れませんね。

さて、目指す「松尾宮」は、すぐ左にありました。

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これがその神殿です。

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カメラを挿し入れてみると、男神が祀られていました。
その由来が書かれていました。
松尾宮由来
祭神 大山咋命(おおやまくい)別名を山末之大主神という。大年神の子。須佐之男神の孫。
社格 無格社(永岡八幡宮の境内神社)
由緒 不詳 現在の地に祭祀されたのは大正9年で、それ以前は裏側の道路を隔てたお茶畑のある所にあったそうです。

江戸時代後期に編纂された『筑前国続風土記付録』には
「松尾宮 マツヲヤマ 神殿方5尺・拝殿2間三間半
           祭礼 6月29日・奉祀福生坊
産神也。大山咋命を祭る。鎮座の初詳ならず。社地に神木の松一株有り。」
と記述されています。

この本以外は、永岡村の産土神を八幡宮にしていますが、ここでは松尾宮が産土神となっています。

由緒は不詳ですが、明治初期に編纂された「福岡県地理全誌」には、
   村の北一町。木殿(きのどん)山の上にある。
   里伝に、大変古い社で、神功皇后が熊襲征伐の時、ここで腹痛したので、
   この神に祈られて癒えたと言う」(口語訳・るな)
と、その当時この地に残されていた伝説が紹介されており、松尾宮がかなり古い歴史を持つことをうかがわせています。

 この松尾宮の宮司をしていた「福生坊」は宝満山の山伏です。石段の上にある鳥居は福生坊が寄進したものです。安永3年(1774)の銘があります。 (略)
松尾宮の元宮はここから一町(約100m)北の木殿(きのどん)という山の上にあったのですね。
神功皇后が来た当時は大山咋命が祀られていた訳です。
神功皇后が腹痛を起こしてその神に祈ったというのですから珍しい伝承です。

熊襲征伐の時にここを通ったというので、どの時点で通ったのか、考えたのですが、
ここに立つと羽白熊鷲攻撃のルートは「中つ海」(ここでは古宝満川)の向こう側に見えました。
だから、ここは「津古」へ行く途中、田油津姫攻撃の時になるのが分かりました。

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これは神社のある丘陵から下りた所から撮影しました。
向こうの山々の麓を通って羽白熊鷲の拠点に行軍しています。
手前の田んぼが当時は海で、かつて層増岐野とも呼ばれていた所です。

左は宝満山。右は宮地岳
くるま座さんの調査で、どちらも三笠山だったことが分かりました。
確かに笠を伏せた姿をしています。現在は宝満山だけを三笠山と呼んでいます。

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境内を歩いていると、東側に「松尾宮」の鳥居を見つけました。
ここは入り口によって鳥居の名前が違ってますよ。

さて、神功皇后の移動ルートに戻ると、皇后軍はここから津古の湊に行き、船で老松神社に向かいます。

老松神社はすでに下記のページに書いています。
  http://lunabura.exblog.jp/16567541/

老松神社から南下すると赤司(あかじ)八幡神社に伝承が出て来ます。

次回は赤司八幡神社(久留米市)に行きましょう。

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地図 松尾宮(永岡八幡宮)







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by lunabura | 2012-01-08 23:07 | (マ行)神社 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 筑後国造 at 2012-01-09 20:06 x
松尾宮の由緒書にある、裏側の道路を隔てた茶畑には、銭塚古墳という円墳があります。
これを見に行くため、昨秋に永岡八幡宮と松尾宮を訪問しました。その時は、神功皇后についてよりも、その前に訪問した、巨石のある浮羽の松尾神社との繋がりで酒の神様ことぐらいしか注意していませんでした。
銭塚古墳があるはず、の所にはビニールハウスがあり、消滅しているのかもしれません。
当時、草が繁茂していたため、入るのをためらった場所があったので、再訪問と思っていました。
古墳の墳頂には石塔が建立されていますので、そこに何が書かれているのか、楽しみになってきました。
松尾宮や神功皇后とは無関係でしょうが、古墳が残っていることを期待しながら、改めて、松尾宮に参拝したいと思います。
Commented by lunabura at 2012-01-09 20:31
確かに、茶畑は高度が残っていて、まだ古墳の石など残っているかも知れませんね。
この記事に出している地図を、「写真」モードにして最大にすると、まだ地形が残っているのがよく分かります。

浮羽の松尾神社の巨石って、筑後国造さんのブログで、ずっと登って行かれたところの神社でしたっけ?
えらく気になる石でしたが…。

松尾神社とか老松神社とか若松神社とか。
松の付く神社が多くて、これまた気になり始めたところでした。
ここの松尾宮は確かに酒の神様の事が書いてあったのに、ついつい省略してしまいましたが、どこにヒントがあるか分かりませんね。
これからはちゃんと書こうと思います。

山の神さまの所に古墳があるとなると、これまた興味深いです。
レポートを楽しみにしています。
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