ひもろぎ逍遥

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一宮神社・神武天皇の磐境神籬・岡田宮あと


一宮神社 
北九州市八幡西区山寺町
神武天皇の磐境神籬が現存していた
ここは岡田の宮あと

今日から北九州市を廻ります。
仲哀天皇は下関の忌宮神社に約6年も滞在して、いったい何をしていたのか。
記紀はその事情を語りませんが、その答えは北九州の各神社の伝承に残っていました。
その期間は軍船を造っていたのです。

その数は48隻というのが志式神社や他の神社に伝わっていますが、
北九州市では材木調達と造船をし、船団を整えていました。
山口県や大分県の海岸沿いなどでも船を造っています。
船の帆や幡など布製品は宗像市や福津市です。

これで分かるのは、最初から新羅との戦いを準備していた事です。
記紀では「熊襲よりも新羅を」と神々が託宣したように書かれていますが、
造船をしたと言う事は明らかに最初から新羅戦を前提としていた証拠になります。
何故なら戦った熊鷲たちは山に住んでいたからです。

戦争の準備のために要求された武器の朝貢の数は膨大になり、
羽白熊鷲や夏羽たちにとっては過酷なものになった事でしょう。
ここに熊鷲の反乱や田油津姫による暗殺事件などが生じる原因がありました。

造船に数年かかる間、神功皇后が木材調達に出掛けた伝承もありました。
(これは全く想定外だった)
また仲哀天皇は皇后を伴って神武天皇の足跡を辿って祭祀していました。
皇祖への祈願です。
神武天皇のゆかりの宮として、これまで紹介したのは神武天皇社でしたが、
今回参拝する一宮神社は日本書紀に出てくる「岡田の宮」跡でした。

北九州市にはもう一つ「岡田」の名を持つ岡田神社があります。
そちらに参拝すると「一宮神社が元宮です」と教えていただきました。
そこで日を改めて一宮神社に参拝しました。八幡西区にあります。
岡田神社はまた別の機会に報告するとして、今回は元宮の一宮神社です。

一の鳥居の右側に車道があって、上っていくと駐車場に出ます。
山の中腹に駐車場がある印象です。

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車を降りると、すでに拝殿の下の石段の所に来ていました。

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石段を上るとすぐに本殿です。
後ろには鬱蒼とした自然林が見え、空が広がっています。
ここは岬の上だったそうです。
案内板から(一部ひらがなに)
一宮神社
一 由緒
この地方の氏神、王子神社、大歳神社、諏訪神社の三社を昭和25年6月吉日に合祀し、社号を一宮神社と称します。

王子神社は神武天皇が日向の国より東征の途上、筑前のこのところにおいでになり一年間政務をみられた宮居の地で、境内には古代祭場など考古学的にも貴重な跡があります。

大歳神社は三代実録や続風土記にも表れている古くてかつ由緒深い神社であります。
諏訪神社は花尾城主麻生氏が信州の諏訪神社を御手洗池のほとりに分祀、厚く祭られた神社であります。

一 祭神
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) 神武天皇(じんむ)(元王子神社)
 大歳神(おおとし) 事代主命(ことしろぬし)(元大歳神社)
 建御名方神(たけみなかた) 仲哀天皇 神功皇后 応神天皇 (元諏訪神社)

一 祭礼
1月1日 元旦祭 4月17日 春季大祭 6月25日 道祖神祭 
7月21日 祇園祭 10月17日 秋季大祭 11月15日 七五三祭
この宮は三つの神社が集合したのが分かりましたが、
今回注目したいのは「王子神社」です。

これは神武天皇がまだ天皇に即位する前で、皇子だったのでその名が付いたそうです。
古事記には岡田宮に1年間滞在したと書かれていますが、それがこの一宮神社です。

祭神は天忍穂耳命神武天皇でした。
神武天皇が先祖を祀ったのだから、天忍穂耳命だというのは当然ですが、
ニニギの命ではない所にすごく興味を持ちました。またアマテラスでもありません。
天忍穂耳命って天孫降臨を遠慮した神です。

「天の忍穂耳命は英彦山に祀ってある神ではないですか?」
「そうです。しかも王子宮が英彦山とこの宮の線上に幾つも並ぶのです。」
「そうなんですか!」
凄い話だ。祭祀ラインとなるとつい興奮。
(遠賀川流域の皆さん、王子宮を探して教えて下さい!)
そうそう。忘れる所だった。

「神武天皇が祀った磐境(いわさか)神籬(ひもろぎ)が残っているという事ですが。どこにあるのですか?」
その場所を伺うと、駐車場から下った所にあるとの事でした。
教えていただいた方角を見ると鳥居と参道があります。
そう、車は中腹に止めたので降りて行かねばなりません。

やった~。石段だ~。降りて、また上るぞ~。
一旦、一の鳥居まで降りて、最初からの参道を上って行きましょう。

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一の鳥居です。
周囲は町ですが、一瞬で杜の中に入りました。植物相が豊かです。
扁額には「一宮神社」と書かれていました。

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杜が深まって来ると二の鳥居です。扁額には「王子神社」と書かれていました。

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潜ってすぐ左を見ると「神蹟山 王子本宮」という石碑が目に入ります。
この「王子」というのが神武天皇の事です。イワレビコ命(みこと)です。
奥に低い玉垣があります。

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正面に立つと本物の磐境神籬がありました!
初めて見ます。
こぶしより少し大きい石を積み重ねて円を作っています。
半径は一メートルより少し大きいです。奥にもう一つ。形や高さが微妙に違います。

今思えば奥の磐境の形の観察をよくしなかったなと思うのですが、
写真で見ると四角に見えます。円と四角なら、天神と地祇だと、
確か奈良の神社に書いてあった記憶があります。(かなり昔の話です)
説明板がありました。
古代祭場跡 由緒
神籬(ひもろぎ) 神代時代、神霊の憑依する所として、清浄な土地を選び周囲に常磐木(ときわぎ)を植えて神座となしたもの。
磐境(いわさか) 神を祀るため磐石をもって築きめぐらした場所。

この磐境は古事記によれば神武天皇、御東征のみぎり、豊前の国宇佐よりこの筑前の国のこの地に御滞在された旧蹟と言われています。天皇が御滞在中、磐境を設けて天神地祇をご親祭された神座神処です。

昭和30年代の始め、伊勢神宮の造営局長で、神社建築史の大家、国学院大学教授角南博士が参詣され、この形式の遺跡は全国でも極めて数少ないもので考古学的にも貴重なものであり、当社がいかに古代からの社であるかを物語るものであります。

このたび、氏子崇敬者の人々の浄財により、一宮神社の御修築事業が執行されるに当り、磐境の復元に合わせ、玉垣などの新設がなされたものです。
   昭和62年5月吉日


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露天の祭祀は古代の祭祀場の特徴です。
二つの磐境を作って、神々が降りて来る聖なる形を作ったのですね。

磐境と言う言葉はよく聞きますが、このような姿をしていたとは!
これでまた古代祭祀のようすがまた分かりました。

時を越えて古代の姿を留めた古代祭祀場。

古代からの森も守られていて、私たちは神武天皇が立った地に立つ事が出来ます。
玉垣があるだけで、一般人が直接拝観出来るのも、とても珍しい事です。

神武天皇がここに滞在して、格別に清らかな場所を選んで祭祀しました。
それから数百年たって、仲哀天皇も神功皇后を伴って来て祭祀をしました。

こうしてその場に立つことの出来る奇蹟。
一宮神社に参拝の折は是非とも、この神籬(ひもろぎ)をその目で見て下さいね。

宮司さんは、ここまで来たなら「皇后崎」に立ち寄って下さいと、
アドバイスしてくれました。
「皇后崎」と書いて「こうがさき」と読みます。
神功皇后が上陸した岬で、地名になっています。

最初に上陸したのはいつなのか、各神社で尋ね、よく分からなかったのですが、
この宮ではじめて「豊浦宮の時代に船を作る為に来た時」だと教えていただきました。

仲哀天皇と神功皇后が豊浦宮の時代に北九州市に来たのは、
記紀では省略されていたのが分かりました。

それでは次回は皇后崎へ行ってみましょう。

(遠賀川流域のみなさ~ん、出番です。
王子宮が見つかったらコメントでもメールでも教えて下さいね。)

地図 一宮神社





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by lunabura | 2012-01-19 19:59 | 神社(イ) | Trackback | Comments(6)
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Commented by のら at 2012-01-25 00:52 x
ルナさんお久しぶりです。
『王子神社』情報です。直方の「びっくり市」近所にあります。
一宮神社と英彦山の直線上になるかまでは判りませんが、線の近辺にはなっていると思います。
残念ながらココも興味はあったものの参拝せずじまいなのです。
ところで「王子宮」と「若宮宮」は同一?別物?
Commented by lunabura at 2012-01-25 09:16
のらさん。第一報、ありがとうございます!(^o^)/
さっそく地図で探してみます。「びっくり市」って産直販売所みたいな所ですか?
参拝したら、また教えてください。

「王子宮」と「若宮宮」は難問ですね~。
「王子宮」の祭神として今まで出会ったのは、神武天皇、応神天皇、竹内宿禰の子供たちです。
「若宮」はまだブログを始めてからお目にかかっていません。
時代ごとの有力者の子を祭っているのかな~ぐらいの知識です。
同一か別物か、研究の価値はありますね。(*^_^*)
Commented by よし at 2015-04-30 22:33 x
はじめまして。
地元のお宮さんの由来が知りたくて検索かけてるうちに、こちらにいきあたりました。いつも楽しく拝見してます。
いつもROM専門なんですけど、感田のびっくり市に反応して書き込みしてしまいました。
今住んでる所の近くなので。
王子神社さんは御祭神は五男三女神でした。
アマテラスオオミカミとスサノオノミコトがウケイ合戦して現れた神様達だったような?
創建は神功皇后の朝に随臣安曇麿、勅により飼雁料田を献じて松ケイ宮を創す。云々。とか書いてあったような。ケイは土へんに同みたいな字でした。
こんな近くに神功皇后のお話しが残ってるのがちょっと意外で楽しいですね。
因みに同じ直方市の新入にも王子宮って書かれた鳥居のある小さな祠がありました。
こちらは剣神社さんの近くで、お詣りはできなかったからよくわからないんですけど。
つい嬉しかったので書き込みしてしまいました。
これからも楽しみに覗かせて下さい。
失礼しました。








Commented by lunabura at 2015-05-01 00:07
よしさん、はじめまして♪
地元の情報ありがたいです。
これからもよろしくお願いします^^
Commented by 更夜 at 2016-07-05 04:23 x
初めまして

なんとなく小さい頃の遊び場だった一宮神社を検索してたら
こちらに辿りつきました

こちらのブログを拝見して初めてそんな由緒ある神社だったのかと
ビックリしてます
罰当たりなことしてたような

まだ全て読んだわけではありませんが
沢山知ってる地名が出てくるみたいで
楽しみに読ませて頂きたいと思います

神功皇后関連で一つ神社ではないのですが

八幡西区と東区の背後にあるケーブルカーの無い山は帆柱山と言って神功皇后が
征韓の時に船の帆柱を伐り出した山と言われています

ケーブルカーのある山は
神功皇后がその山に登り遠くを見渡され
山を下っている時に辺りが暮れてきて
更に暮れたと仰ったとかで皿倉山と名前が付いたと聞いてます
でも皿倉山のケーブルカーなのに何故か帆柱ケーブルと呼ばれるんです

既出だったらごめんなさい
Commented by lunabura at 2016-07-05 22:32
更夜さん、はじめまして。

小さいころの神社の由緒を大人になって知るとびっくりですよね。
私もそうです。

ケーブルカーのある山が何故帆柱山なのか、不思議で
北九州にの方に調べてもらったら、間違えてつけたと聞きました。

更夜さんの話のお陰で、本当の伝承がよく分かりました^^
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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