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ひもろぎ逍遥

壱岐神社・壱岐真根子を祀る宮・九州王朝三階松


壱岐神社
福岡市西区下山門1―9-3
壱岐真根子を祀る宮
九州王朝の三階松があった

福岡市は北が海なので住宅がひしめいていても開放感があります。
大都会に残る松林「生の松原」は「いきのまつばら」と読み、
それに接して壱岐神社があります。

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祭神は壱岐真根子。(いきのまねこ)

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そう、竹内宿禰の身代わりになって死んだ人です。
その経緯は織幡神社(3)に詳しく書いていますが、
織幡神社は玄界灘の東・宗像市の岬にあります。
そこには壱岐真根子も祀られていて、その末裔が代々宮を守っているそうです。
そして、壱岐真根子を主祭神として祀るのは玄界灘の懐(ふところ)にあります。

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驚いたのが手水舎の「三階松」の紋です。
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これは九州王朝の紋だそうです。
これまでに見たのは宮地嶽不動神社(福津市)、剣神社(鞍手郡木月)・高良下宮社(久留米市)・
松崎天満宮(小郡市)です。そしてここで五社目。
松崎天満宮以外は竹内宿禰の名が見え隠れします。
この五社だけでも地図上にプロットすると、大変広範囲だった事が分かります。

九州王朝は神功皇后が立ち去った後の話になると思っていますが、
彼女の移動ルートを押さえると
彼女を援助した筑紫の豪族たちがどこに居たのかが分かるので、
こうしてコツコツと歩いているのです。
そうすれば九州王朝の基盤が見えて来ると思っています。

それでは、この神社の由緒を見てみましょう。(一部現代語へ変更)
壱岐神社
御祭神 壱岐真根子命
創立 延宝8年 明治梧5年11月3日村社
御神徳 仁愛開運
例祭 10月15日・9月1日・7月28日
由緒 壱岐真根子命は武内宿禰の身代りとなり、無実の罪にて死亡。信仰篤き黒田藩主はその忠魂を称え、松林4128坪を安永4年5月寄附された。近くに神功皇后さまの植えられた逆松は有名である。(戦勝祈願)
鳥居 安永年午正月 従四位源朝臣継高公寄附
壱岐神社宮司 菊池友久

延宝8年は1680年。江戸時代です。この宮は黒田藩主によって創建されました。
この広大な松林もその時に寄進されたものだと分かりましたが、
その前にはここには何もなかったのでしょうか。

この生の松原という地名の由来は神功皇后が逆さに植えた松が生きたと言う事から
ついた名だといいますが、この神社には「壱岐」の漢字がついているので、
長崎の壱岐との関わりがないのか、疑問が出て来ます。

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境内は不思議に古木がなく、この松だけが時代を語ってくれています。

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御神木ですが、神功皇后のゆかりの松なのかどうかは分かりません。

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古式の鳥居に惹かれてそのまま松林の参道を辿ってみました。
ここの松は元気ですね!

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そして、海!この宮は海から参拝するようになっていました。

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浜に立つと能古島(のこのしま)が見えます。
右の岬は妙見崎。岬の根元には小戸(おど)があります。
神功皇后の船が出港した湊です。ここからはわずか2キロ。
この距離からすると、あの湊を経営していたのは壱岐真根子でしょうか。
ここは壱岐真根子の息がかかった場所?

伝承ではこれ以上は分からず、永井功氏の「神功皇后の戦略」を見てみると、
「姪の浜町の鷲尾山(蒙古襲来以後北條氏が築いた鷲尾城址があり、今愛宕山という)の東側浦山に、武内宿禰の出城があったという伝えがあり」
と書いてありました。

愛宕山の東に竹内宿禰の出城が?!
そうするとこの湊は竹内宿禰が経営していた?

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緑色の都市高速道が愛宕で曲がっているのは愛宕山を避ける為で、
計画では愛宕神社の上を通るようになっていたのが住民運動のお蔭で迂回するようになりました。

愛宕神社はもともと鷲尾神社と言い、景行天皇の時代に祀られた所だそうです。
その麓、川と海が接するあたりに竹内宿禰は出城を持っていたというのです。

竹内宿禰は壱岐真根子の娘の豊子を妻にしたという系図があります。
(妻はもちろん何人もいたはずで…)
そうすると二人は舅と婿の関係になり、壱岐真根子が見かけがそっくりだったというので、
同族の結婚ではないかとも思ったりしています。

近畿で竹内宿禰殺害を命じられた使者はどうやって彼を見つけ出すのでしょうか。
やはり出城や居城をまずは目指すでしょう。

壱岐真根子の死の現場を見つけると、そこに竹内宿禰がいたことがわかります。
その伝承は武雄市若木町の伏屍(ふし)神社(伏尺神社)にあります。
壱岐真根子の遺体を壱岐に運ぼうとしたが遺体が重すぎてそこに葬ったのだそうです。

竹内宿禰の本拠地で事件があったのかも知れません。
地図で確かめると「御所」という地名もあります。
この辺り、なかなか面白そうですね。またいつか探索したいと思います。

壱岐真根子は壱岐の直(あたい)の真根子。
壱岐真根子は壱岐国から百済や倭国(小戸や武雄)を自由に往来していた人で、
竹内宿禰は彼の情報を頼りにしていたと考えています。
愛宕山の麓の出城は留守の間は壱岐真根子に貸していたかも知れませんね。

織幡神社(3)祭神・壱岐真根子の悲劇
祭神・竹内大臣と壱岐真根子臣

http://lunabura.exblog.jp/14790197/



地図 壱岐神社 伏屍神社








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by lunabura | 2012-02-17 17:25 | 神社(イ) | Comments(0)

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