ひもろぎ逍遥

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高祖神社・五十迹手が祀る宮


高祖神社
たかすじんじゃ
福岡県糸島市
五十迹手が祀る宮

今日から糸島シリーズです。

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糸島のどこからでも目に入る秀麗な山。これが高祖山です。標高416m。
山には城があり、麓には神社や古代の遺跡がたくさん残っています。
平原遺跡三雲遺跡細石神社日向峠も緑の田んぼの向こうにあります。
縄文人も弥生人もこの山を見ながら暮らしました。
その山の名を戴く高祖神社に行きましょう。

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麓を走る56号線にある案内に従って山を少し上ります。
駐車場から降りたらすぐ横に参道が。別にここを通らなくてもいいんですけどね。

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苔ファンとしてはこのような道は通らずにはいられません。

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そして大きな石垣の上の本殿へと出ました。
大きな神鏡があります。木漏れ日で見えにくいですね。
深山の趣を残して緑陰が深いのです。

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拝殿は昔のままに開放的です。
ご祭神は天津日高彦火々出見命、玉依比売命、息長足姫
彦ホホデミ命と玉依比売の神社は初めてですね。
息長足(おきながたらし)姫はもちろん神功皇后です。

このお宮は神功皇后(いぬい=北西)に向かって社を建てたと言います。
どんな物語があるのでしょうか。今日は福岡県神社誌を現代語にして行きます。
社説に曰く、当社の創立の起源ははっきりしないが、怡土県(いとのあがた)の鎮土の社として上代から鎮座していて、怡土県主(いとのあがたぬし)の崇敬が厚かったことがはっきりしている。

怡土県主・五十迹手(いとて)の勤王ぶりはひとえに当社を尊崇しているからだと思われる。神功皇后が三韓を征伐する時、香椎宮からここまで御幸があって、高祖の神に異国降伏の御恵みを祈願されて、その通りに神助が深くあったので、皇后は帰還ののち、報恩のお祭りとして新たに御宮を造り、乾に向かって御社を建てられた。

時代が下がって、奈良朝の孝謙天皇の御代に吉備真備に命じて怡土城を築かせたが、その時、当社を怡土(いと)城の鎮護の神とされた。当社は城内の中央の岡の上にある。
三代実録に(略)高磯比咩神従五位下とある。
五十迹手といえば仲哀天皇が香椎宮に遷宮するとき、
下関の彦島まで船で迎えに行った人です。
彼もまた熊鰐と同様に三種の神器を飾って正装して迎えに行きました。

「勤王」と書いてありますが、彼の皇家への忠誠ぶりが記憶されていたのですね。
神武天皇が東征してしまったあと、五十迹手の一族は
ここでヒコホホデミと玉依姫を祭祀し続けてくれていたのです。
この二神はどういう系図だったっけ。

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久し振りに系図のストックから探し出して来ました。
(何度見ても忘れるので、いつも新鮮な気持ちで見られます…。)

ホホデミの命は「ホの一族」で、(と勝手に呼んでます→馬見神社)
玉依姫は海神の娘であり、神武天皇を生んだ人です。
五十迹手はどうしてこの組み合わせで祀ったのか理由が分からないのですが、
天皇家との関係が深い事はよく分かりました。

だから仲哀天皇たちは香椎宮で一段落したあと、この五十迹手の奉斎に報いる為に
糸島にやって来て祭祀したと思われます。
そして五十迹手の軍備の状況も視察したと思われます。

神功皇后は凱旋後、神恩に報いようと神殿を建てますが、
それを乾(いぬい)北西に向けたといいます。
北西は糸島の遺跡の銀座通りです。
五十迹手の屋敷があったのかもと想像するだけでも楽しいですね。

この五十迹手(いとて)を調べて行くと「筑前名所図会」にその出自が書かれていました。
五十迹手(いそとて)は高麗国意呂山より天降って来た日拝の苗裔であると筑前風土記に書いてある。
高麗国とは高句麗の事です。
五十迹手は高句麗のウルソンから天下って来た日拝の末裔だそうです。
「日拝」はネットで調べるとどうやら「日鉾」という事になっています。
誤植でしょうか。手元に筑前風土記がないので確認出来ません。
どなたか風土記が手元にある方、「日拝」か「日鉾」か確認してコメントで教えてくれませんか!!
「日鉾」なら新羅なので話が全然変わってしまいます。

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この高祖神社は神楽が有名です。拝殿の前に神楽殿が設置されています。
春の4月26日と秋の10月25日に舞われているそうです。

(高祖神社は奥が深いですね。高磯比咩は高祖の神ながら女の神さまだし…。
このつづきはもう少し勉強してチャレンジします。

地図 高祖神社






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by lunabura | 2012-02-18 22:26 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(2)
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Commented by at 2012-02-19 10:51 x
はじめまして。
わたしの手元に「天日槍と渡来人の足跡」という写真紀行本があります。
「高祖神社」のページに、旧糸島教育会編『糸島群史』が紹介されています。

「天日槍は、まず、白羅往来の要津たる伊都を領有しここに住して五十跡手の祖となり、更に但馬(兵庫県)に移りて但馬家の祖となった。雷山に存する神籠石は天日槍が築いた古跡である。長野村宇美八幡神社気比大神は、越前大社気比神宮の祭神と同一の神にして、天日槍を祀れるなり」

わたしは天日槍に興味があるので、先日も「出石神社」に参拝してきたところです。
神功皇后のことも気になっているので、こちらの記事は大変興味深いです。
Commented by lunabura at 2012-02-19 12:59
桂さん。はじめまして。
出石神社に参拝されたのですか?
私も、そちらの事について知りたくて仕方がないのです。

天の日槍について教育委員会が書いているとは。
重要な情報をありがとうございます。
確かに宇美八幡神社には気比大神が祀ってあります。
この祭神が唐突なので、謎だったのです。お蔭で意味が見えて来ました。
この先雷神社と共に記事にします。

これからもいろいろと教えてくださいませ。 (^-^)
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