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志賀海神社(5)山誉漁猟祭・「波が途絶えるまで伝えよ」と神功皇后は言った


志賀海神社(5)
山誉漁猟祭
やまほめかりすなどりのまつり
「波が途絶えるまで伝えよ」と神功皇后は言った  

志賀島には神功皇后の伝承が沢山あるのですが、
今回は皇后に披露したという「山ほめ祭」の神事を紹介します。
(2011年11月15日の祭)
資料は祭の時に渡された神事の次第書きで、青色で書き写します。

山誉(種蒔)漁猟祭 
やまほめ(たねまき)かりすなどりのまつり

「山ほめ祭」は古く「かりすなどりの御祭」と称され、
旧暦の2月15日と11月15日に執り行われており、
現在は春の4月15日にその年の五穀豊穣・大漁・事業繁栄・商売繁盛を願う「山誉種蒔漁猟祭」と、
秋11月15日には一年のご加護と収穫に感謝する「山誉漁猟祭」が行われています。


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本殿で社人(しゃにん)三人が祝詞を奏上する。左に控えるのは八乙女(やおとめ)四人。

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本殿の前に立てられた「事無し柴」を清める。

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神殿の扉が開かれて、宮司と社人によって、神饌が献上された。
祭神は
左殿 仲津綿津見神 (相殿 神功皇后)
中殿 底津綿津見神 (相殿 玉依姫命)
右殿 表津綿津見神 (相殿 応神天皇)

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八乙女の舞の奉納。
八乙女は八軒の家だけが代々受け継ぎ、しきたりは今なお厳しいという。
今回は四人によって舞われた。

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宮司の吹く笛に合わせて八乙女が鈴と太鼓を鳴らす。
簡素な四拍子のリズムが刻まれて、
舞手は歌を歌いながらその場で足踏みをして、ぐるりと廻る。
繰り返される歌とリズムは古代の日本の歌謡そのものだ。

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一連の神事が終わると、摂社の「今宮神社」でも同様に繰り返される。
祭神 宇都日金析命・住吉三神・阿曇磯良丸をはじめ神孫阿曇諸神

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その間に本殿前の事無柴に弓と矢、杖と犬の綱が置かれた。

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その前にはムシロが広げられ、櫓と稲ワラが置かれた。
いよいよ「山ほめ神事」だ。
春には宮司が籾種を育民橋より四方へ蒔く。今回は秋の祭。

社人(しゃにん)
神社に奉仕する古老。
大宮司・禰宜・別当・検校・宜別当・楽座の座があり、
それぞれ一良から四良と人数が定められている。
禰宜の座だけがエンジ色の装束を着ている。


「山ほめ神事」の流れ

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大宮司一良・禰宜一良・別当一良、
事無き柴の一枝を採り、志賀三山を三度ずつ払う。


(志賀三山とは本殿うしろの勝山・北側の衣笠山・西側の御笠山)
事無き柴の枝はその場で手で折り取られ、力強く払われた。

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大宮司一良・禰宜一良・別当一良、扇を執り、三山を誉めるが如く三度ずつ合わせうつ。

三人の社人によって同じ所作が繰り返される。

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別当一良、三山へ
「あゝらよい山 繁った山」
「あらふれる 正木のかずら いろまさる このこまに 水をかい はみをあたえよ」


別当は三山を誉め、
「荒ぶれる 正木の蔓が 紅葉した 馬に水を飲ませて、ハミを噛ませよ。」と告げた。

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禰宜一良・二良・杖・犬の綱を持って
一良「山は深し 木の葉はしげる 山彦の声か 鹿の声か
聞分けたりとも 覚え申さず」
二良「一の禰宜殿には 七日七夜の おん祭り ごしゅに食べ酔い ふせって候」
   「五尺の鹿 七かしら 八かしら まぶしの前の通る鹿 何となさる」
一良「その時は 志賀三社 志賀大明神の 御力を以て 一匹たりとも逃しはせぬ」
  (弓を執りて鹿を三度煎る)
  「エーイッ」「エーイッ」「エーイッ」


七日七晩の祭りの酒に酔っ払って寝込んでも、
志賀大明神のお蔭をいただいて鹿を一匹たりとも逃さない。
その意気込みで、弓は事無し柴の根元に向かって三度射られた。

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禰宜二良・別当一良は艪を執り対面し、他の社人は藁の鰭を持ち「ともがり」に鯛の形となる

禰宜二良「君が代は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」
    「あれはや あれこそは わが君の御舟なり うつろうがせ みがいに命 千歳という」
    「花こそ咲いたる 沖のおんづの 潮早にはえたらぬ つるおにくわざらぬ 潮は沖のむれんだいほや」

別当一良「志賀の浜 長きを見れば いくよへぬらむ
     香椎路に向いたる あの吹き上げの浜 千代に八千代まで」
    「今宵 夜半につき給う 御船こそ たが御船なりけるよ
     あれはやあれこそは 阿曇の君のめし給う 御船なりけるよ」
    「いるかよいるか 潮早のいるか 磯良が崎に 鯛釣るおきな」

禰宜二良「いくせで釣る」
別当一良「よせてぞ釣る」
禰宜二良「いくせで釣る」
別当一良「よせてぞ釣る」
禰宜一良「いくせで釣る」
別当一良「よせてぞ釣る」


最後の場面は「山ほめ神事」の代表的な場面としてよく紹介されている。
社人が二人で櫓を漕いで鯛釣りに出かけなら上記の対話をし、
手前に座る三人の社人はヒレに模したワラを後ろ手で盛んに震わせて、
鯛の豊漁のようすを演技する。

有名な「君が代」もこの対話の中に出て来る。
これら全体は口語体で節も無く語られた。
この「君が代」が香椎宮の木下美重宮司によって採取された。
また同様の歌が名島神社にも伝わっている。

山ほめ神事の起源は明らかではありませんが、
そのむかし神功皇后が三韓出兵した時、皇后の御前にて志賀の海人たちが
この古くより伝わる山ほめ神事をお見せしたところ、
実に面白い儀式であるとして皇后はこの神事を
「志賀の浜に打ち寄せる波が途絶えるまで伝えよ」
と厚く庇護され、今に伝えられています。


これによると、神功皇后がこの志賀島に立ち寄った時には
すでにこの神事が行われていたのが分かる。

阿曇氏についてはwikiでは
律令制の下で、宮内省に属する内膳司(天皇の食事の調理を司る)の長官(相当官位は正六位上)を務める。これは、古来より神に供される御贄(おにえ)には海産物が主に供えられた為、海人系氏族の役割とされたことに由来する。
という。

この神事は阿曇氏が内膳司の長官を務める背景を推察させるものである。
これ以外に、対馬の豊崎の浦で志賀の白水郎が皇后の御膳に奉仕した故事、
志式神社での早魚神事など、安曇族が皇后の食事に関わった伝承がいくつかある。
     (つづく)

地図 志賀海神社 






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by lunabura | 2012-03-07 23:10 | 志賀海神社・しかうみ・福岡市 | Trackback | Comments(3)
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Commented by csaオアシス at 2012-03-08 20:26 x
綿津見三神は、海の主宰神であることから、清浄なる”水”と”塩”を
司り、不浄を極度に嫌う、その神の厳粛な神事を
はじめて知ることができました!
どうも、ありがとうございました!^^

Commented by lunabura at 2012-03-08 22:36
志賀海神社の神事は古代の姿を伝える点でも、大変興味深いです。
沢山の神事があるので、少しずつ知りたいなと思っています。
この日は天気に恵まれてとても良かったです。^^
Commented by チャンルーブレス at 2013-10-28 12:01 x
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