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ひもろぎ逍遥

到津八幡神社・神功皇后の御座船が着いた


到津八幡神社
いとうづ
北九州市小倉北区上到津
神功皇后の御座船が着いた 

さて、神功皇后の足跡を辿るコースもいよいよ終盤です。
神功皇后は飯塚市の大分宮で倭国連合軍を解散すると、福岡県を横断して周防灘に出ます。
そして、再び北九州市に戻って来ますが、この経過は記紀には書かれていません。

今回の「到津」(いとうづ)という神社の名前は神功皇后が「津に到った」という事から付いた名でした。

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ここは内陸部にあるのですが、やはり当時は海が迫っていて、船を付ける事が出来たそうです。
神社のすぐ前には板櫃川が流れていて、そこから上陸すればこの坂が待っていただろうと思われます。
と言いながら、石段上りがだんだん快感に…。

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御祭神は
息長帯比売命(神功皇后)・品陀和気命(応神天皇)・宗像三女神・豊日別命(豊前国の守り神)
です。
豊日別命がついに出て来ました。ここは豊の国なのですね!
豊日別命は豊前国の国魂なので、ここが重要な津だった事が伺えます。

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神殿が少し見えます。
境内にあった由緒書きを写します。
御事跡
神功皇后は御征韓の後、宇美の里で応神天皇をご出産なさいました。長門豊浦宮に遷幸の際、御船をこの所の津(港)にお寄せになりました。これが到津(津に到る)という地名の起源であり、千古の霊跡を伝えるものでございます。

後に一祠を建て、皇后の和魂をお祀りいたしましたのが当社の始めでございます。
神功皇后は身重のまにまに戦場に赴かれましたが、その大いなる御神力にて胎中の応神天皇を守護され、お導きになられました。以来人々は安産を祈り、社前の川の水を産湯として汲み用いてきました。
因って川名は産川(ウブカワ)とも呼ばれています。(現在の板櫃川)

文治4年(1188年)宇佐神宮より宇佐八幡大神を勧請しました。
『豊前国誌』には次のように記されています。
「宇佐八幡宮御分社中においては第一の御社柄といひつべし」
また細川氏、小笠原氏の尊崇も厚く企救郡大社と称せられ、現在に至ります。
神功皇后の和魂(にぎみたま)を祀ったという宮なのですね。
ですから、安産を願う人々に篤く慕われました。

宇佐神宮の分社の中でも第一だと書いてありますが、『福岡県神社誌』の方にも、
天慶2年(939)の頃、藤原長光が宝鏡を宇佐宮と当社両方に奉納したとあるので、
両社は深いかかわりがあるのが分かります。

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境内社です。背景が空で、小高い所に立地しているのがよく分かると思います。

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稲荷社もありました。これはまた華麗ですね。

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御神木です。

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地形図を見ると、神社の鎮座地は岬の上に当たるようです。
すぐ南の入江なら大きな船も入る良港のように見えますね。
さて、ここに神功皇后の御座船を招き入れたのはどんな氏族でしょうか。
その伝承は南西部の篠崎八幡神社に伝わっていました。
次回はそちらへ行きましょう。

地図 到津八幡神社









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by lunabura | 2012-03-22 20:18 | 神社(イ) | Comments(0)

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