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豊山八幡神社・熊鰐は皇子の御衣を献上した


豊山八幡神社
とよやま
北九州市八幡東区春の町
熊鰐は皇子の御衣を献上した

豊山八幡神社はJR八幡駅から500mの所にあります。
国道三号線もすぐ近くを走っているのですが、周囲は静かな街並みです。

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一の鳥居です、石段で分かるように、この宮は丘の上にあります。

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深く茂った杜の中を上っていくと思いがけず広い境内に出ました。

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拝殿です。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后です。
相殿に宇遅和紀郎子命(応神天皇の子)。
応神天皇のファミリーが祀られていました。

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重厚な趣の拝殿です。

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神殿は高くて屋根がようやく撮れました。
さて、ここも熊鰐と神功皇后のゆかりの宮でしたよ。
境内にあった由緒書きを写します。
御由緒 
御祭神 右殿 帯仲津日子命(仲哀天皇)
    中殿 誉田和気命(応神天皇)
    左殿 息長帯比売命(神功皇后)
    相殿 宇遅和紀郎子命
(略)
神功皇后、三韓を従え給いし御弓矢を山中に納め、天下が豊かなる事をお祈りされ、この山を豊山(ゆたかやま)と名付ける。
由緒によると神功皇后がこの山に弓矢を奉納して
天下が豊かになるように祈ったということですが、
ここに来た縁は、熊鰐が皇子の為に御衣を献上したためだと言われています。
熊鰐は神功皇后が洞海湾を船で通る時に道案内した人です。
二人は既に面識があるのですね。
初対面の時、神功皇后には背の君の仲哀天皇が健在でした。
しかしわずか一年後に仲哀天皇の亡骸が竹内宿禰に送られて豊浦宮に戻ってきました。
関門海峡は熊鰐たちでないと渡す事ができないはずなので、
彼も亡骸の搬送に関わった可能性があります。

それから2年ほど経って神功皇后が再び戻って来ました。

皇后は未亡人となってしまいました。しかし男の赤ちゃんが生まれていました!
熊鰐は皇后が一番喜んでくれる物は何だろうかってずっと考えたんでしょうね。
皇子の為の可愛い御衣は母になった皇后には何よりの贈り物でした。
何よりも熊鰐の心が一番うれしかったでしょうね。
熊鰐へのお礼に祝福の祈りを捧げたのが、この山の中でした。

さて、その間、多くの軍船の修理をしたのですが、
その現場の仲宿八幡宮の由緒にこの豊山宮の事が次のように出ていました。
その時、神告があって「三韓を従えたが、行き先に謀反の者がいる。厚く慎み給え。」と告げられました。そこで当宮(仲宿八幡宮)の地に中宿りされて豊山の宮を造らせ、皇后みずから中宿(なかやどり)で忌み慎んで斎籠されて、豊山の宮ともどもに皇祖の神の教えのままに天神地祇を祀られた。
ここに出て来た「豊山の宮」がこの「豊山八幡神社」と思われます。
御神託で山頂に遷宮した事が由緒に書かれています。

この豊山の麓には鬼ヶ原遺跡があって、熊鰐の住まいがあったという伝承があるそうです。
また、小川があって神事の斎庭とし、御手洗の池があったという事なので、
この山の麓に皇后たちのための宮が造営されて、
皇后が去ったあと、熊鰐一族の住まいになったのかもしれないなと思いました。
詳しく調べると、もう少し当時の状況が見えてきそうですが、
現地の方が調べるのが一番なんですよね。

豊山宮の宮司さんは熊鰐の末裔だとネットに書いてあったのですが、
このブログでも豊山宮と仲宿八幡宮の宮司さんたちは御兄弟だとコメントを頂きました。
熊鰐の末裔は営々との八幡の宮を守り続けたという事になります。

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豊山八幡神社は丘の頂上なので見晴らしがよく、帆柱山などが見えます。

さて、由緒書きの続きには「八幡(やはた)」という地名の起こりが書いてありました。
光孝天皇の御代、大宮司岡県主・年麻呂に御神託が有り、現在地に御神体を遷し、太宰府官人奉行のもと荘厳なる神殿を建立する。
宇佐神宮寺弥勒寺より京都石清水八幡宮管轄の荘園となり小倉庄六ヵ村(尾倉、前田、大蔵、枝光、鳥幡、中原)の総鎮守として隆盛を極めたが、文禄2年枝光村、慶安元年前田村、寛文7年大蔵村へ当社御分霊を遷し、それぞれの氏神とする。

明治22年、市町村制実施により尾倉、大蔵、枝光、三村合併の折、三村の氏神様が「八幡神社」の為、八幡村と称しましたが、当社が「やはた」地名の発祥地と言われる所以である。

大正12年、八幡東西区では最初に「村社」から「県社」に昇格され、昭和5年、八幡製鉄所と共に八幡の繁栄した時代に氏子崇敬者の浄財により総檜造りの現社殿が竣工に至る。
「八幡(やはた)」という地名の起こりは、三村が合併する時名前を考えて、
三村とも氏神が「八幡(はちまん)」だったから
「やはた」になったというユニークな理由がありました。
その「はちまん」とは神功皇后と皇子や熊鰐の物語が始まりでした。

この近くにはきっと古代製鉄所があるだろうと思っているのですが、
そこに「八幡製鉄所」が出来るのも土地の持つエネルギーのためでしょうか。
不思議な御縁ですね。

「小倉」の地名についても、ここはもともと小倉でしたが、
近くに「小倉」が出来たので「尾倉」に変えたそうです。
地名というものは歴史を伝えてくれるので、本当に興味深いものだと思います。

地図 豊山八幡神社





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by lunabura | 2012-04-05 21:41 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(7)
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Commented at 2012-04-05 23:08 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lunabura at 2012-04-05 23:37
非公開さん、はじめまして。
私も一歩ずつ学んでいる所です。
一緒に古代の旅をしましょう。
こちらこそよろしくお願いします。
Commented by YUKI at 2012-04-08 08:10 x
はじめて書きこみます。YUKIと申します。
神社巡礼に興味を持つようになり、地元の事を調べているうちに、こちらへ辿り着きました。

写真も素敵でイメージしやすくて、自分も一緒にお参りしているような気がしてきます。細やかな説明が嬉しくて、私が住んでいる地元の地名の由来などはじめて発見できて、ありがたい気持ちでいます。

そして、お願いがあるのですが、私は神社巡礼のSNSに入っていまして、そちらのほうで時々参考になる箇所を引用させてもらっても構わないでしょうか?
(引用は、神社の説明書きだけで、あとはこちらのブログではこういったことが書かれていました・・という形で説明していきたいです)

どうぞよろしくおねがいします。
Commented by lunabura at 2012-04-08 08:44
YUKIさん。はじめまして。
どんどん引用してくださって構いません。
ただ、お願いがあります。
神社の引用文は私が勝手に訳していたり、省略したり、現代語に変えたりしているので、間違いがあったのが独り歩きすると迷惑を掛けるので、
「一部省略」「現代語に」「口語訳」などの一文と、
出典、たとえば「福岡県神社誌より」「境内の由緒書きより」などを明記してくださいませ。
また「by 綾杉るな」「by 『ひもろぎ逍遥』」などと責任の所在を書いておいてください。
それで、問題はこちらで引き受けます。

これからもよろしくお願いします。(^-^)
Commented by YUKI at 2012-04-08 09:36 x
丁寧にありがとうございました。
上記の事を明記して、引用させていただきたいと思います。

これからもこちらで勉強させていただきたいと思います。
どうぞよろしくおねがいします。
Commented by Kyo at 2013-02-13 12:56 x
はじめまして、Kyoと言います。豊山八幡の御手洗の池は、今でも残されていますよ。神功皇后の時代のものかわかりませんが、一の鳥居を背にして鳥居正面の道を20mほど進むと、右手にあります。機会があれば、訪れてみてください。
Commented by lunabura at 2013-02-13 20:57
Kyoさん、はじめまして。
分かりやすく教えていただいてありがとうございます。
地図を拡大してみると、マンションの前に池がありますね。
それでしょうか。
残されているとしたら、嬉しい限りです。
どうもありがとうございます。 (^-^)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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