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乳山八幡神社・神功皇后は皇子に乳を与えた


乳山八幡神社
ちやま
北九州市八幡東区大蔵
神功皇后は皇子に乳を与えた

乳山八幡神社へ行くのにナビは離れた所から山に登るように指示をしてきました。
急な山に住宅が密集していて、舗装はされていても離合するのに気を使います。
最後の登りのカーブを曲がり切ると、社殿の裏側から駐車場に入りました。

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ナビの案内がおかしいのではないかと思ったのですが、
一の鳥居まで石段を下りてみると、商店街の間に参道があり、
車はまったく止められません。やはりナビが正しかったのです。

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この急な石段を数えると合計145段!このブログの中でもダントツの石段の数でした!

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そして広い境内に出ました。

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拝殿です。
御祭神は応神天皇・仲哀天皇・息長帯比売命です。
これまでと同じ組み合わせですね。子と父と母です。

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神殿です。

ここは神功皇后が皇子に乳を与えたという伝承の宮です。
由緒書きを見てみましょう。(一部変更)
乳山八幡神社御由緒
祭神(主殿)誉田別命(応神天皇)
      帯中津日子命(仲哀天皇)     
      息長帯比売命(神功皇后)
(相殿)速須佐之命・奇名田姫命 事代主命・伊古那姫命
由緒 小倉(尾倉)庄(尾倉村・前田村・大蔵村・枝光村・戸畑村・若松村)の宗社たる豊山八幡宮に参詣するに程遠き大蔵村(大蔵・中河内・田代・中尾・猪倉)の産土神(うじがみ)を御創建せんと、寛文2年(1662)8月21日祟祭す。
前回、豊山八幡神社を紹介したのですが、
この乳山八幡神社は、その豊山宮を江戸時代に勧請した宮でした。
参拝するのが遠かったのですね。続きを読みましょう。
この地は1700有余年の往昔、御祭神、神功皇后が更暮(さらくれ)山にて国見し給いし後、乳山(ちやま)の山麓にて皇子(後の応神天皇)に御乳を与え給いし聖地を産土神様御創建の佳き地と選びて創建し今日に至る。

想うに、この高所にて朝鮮半島出兵、九州および半島の平安無事を祈られ給うとともに、皇子の幸多からんを祈られつつ、御乳を与え給うを測り思えば、実に縁深かりし所に鎮座ましまされたと拝される。
この険しい山に勧請した訳は神功皇后がここで御乳を与えたという聖地だったからでした。
更暮山は現在は皿倉山と言ってケーブルカーで登る事が出来ますが、
地名の由来は神功皇后が国見をして下る時に夕暮れになって
「更に暮れたり」と言った事から付いたと伝えられています。
「更暮れ」「さらくれ」「さらくら」「皿倉」と変化した訳ですね。

皇子をこの地に待たせていたのでしょう。
すっかり暗くなって、皇子は元気にしていたのでしょうか。
眠くて、ぐずってたかもしれませんね。
乳母から皇子を受け取って乳を含ませる皇后の気持ちはどうだったのでしょうか。
すでに香坂王たちと戦う決意をして、皇子を竹内宿禰に預ける決意をしていたとすると、
その心境はいかばかりか。
そのまま眠ってしまって、ずっしりと重くなった皇子の寝顔を見ながら
この子のためなら何でもする。
そんな母としての皇后の哀しみが伝わってきます。

皿倉山まで登ったのはこれからの戦いの進路を目視したのでしょうか。
「国見」という言葉が気になりました。
それは「豊山の宮」がわざわざ造営されたという事を知ってから急に重みを増しました。
「国見」という言葉からは、一旦「八幡」で治世を試みようとしたのではないか。
そんなあらたな疑念が生まれた伝承でした。

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これは奉納されていた「御神徳絵図」。竹内宿禰の神徳を称えたものです。
皇子を抱いているおじいちゃんが竹内宿禰ですね。
竹内宿禰はこの皇子が成人してからも生きていたので、その頃にはお爺さんになったでしょうが、
この乳山では、まだ壮年だったと思うけどなあ。
この赤ちゃんが成人してから竹内宿禰の殺害命令を出すのも変だな~と
るなは思うのでありました。

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その絵図の横に竹がありました。
この竹を見た時、旗竿に使うのにピッタリだと思いました。
勝山勝田神社で刈り出された竹と同じ品種じゃない?

この乳山八幡神社の麓には大蔵川(板櫃川)が流れていて、
その対岸にかつて紹介した勝山勝田神社があります。
勝山勝田神社では神功皇后は戦勝を祈って竹竿を刈り取っています。

撃鼓神社では帰途に八本の白旗を奉納したように、神功皇后の祭祀アイテムとして
凱旋後には「八本の幡」が加わっていきます。
「八本の幡」が「八幡」です。
神功皇后と八幡の深い縁が三韓攻撃の時に築かれたのでしょうか。

「八幡」と言えば宇佐神宮なのですが、
織幡神社・旗頭神社など「旗」が付く神社の主祭神は竹内宿禰です。
竹内宿禰とはいったいどの氏族なのだろうか。
どうやって竹内宿禰は全体の軍事的統率者になったのだろうか。
ここまで来ても、まだイメージがつかめないでいます。

私は今こうして神功皇后を追い掛けているのですが、
一番関心があるのはそれを支えた倭人たちの出自や分布なのです。
各神社の伝承にその手掛かりが沢山残されているのですが、まだまだ道は半ばです。

話を戻しましょう。
大蔵川を隔てて東は豊前になるそうです。
この乳山八幡神社は筑前で、勝山勝田神社は豊前なのですね。大倉彦の所領でした。
この乳山も、皇子を預けていられる程ですから、警護が十分な屋敷があったはずです。
地名はどちらも大蔵。
熊鰐の一族と大倉彦(多分、物部)との住み分けの境界がこの川(入り海)あたりにあるようです。
掘り下げるともっと詳しく分かりそうな、歴史的に興味深い地域でした。

地図 乳山八幡神社 勝山勝田神社 皿倉山








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by lunabura | 2012-04-09 00:06 | (タ行)神社 | Trackback | Comments(2)
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Commented by カメサクハハ at 2012-04-09 08:34 x
乳山八幡神社に伺いました。
本当に急坂の細い道で、あってるのか不安になりました。
隣が保育園で、なにか、お名前とぴったりだなと思いました。 どなかの文章に、八幡さまはバリアフリーという事をお考えにならないのですか、高い山にばかりいらっしゃるとありましたが、本当にと
石清水八幡宮に伺った折りは、特にそう思いました。
Commented by lunabura at 2012-04-09 16:41
参拝されたのですね。
北九州市は特に勾配が激しいので、参拝前に地図をよくよく見て行かないと難しいなと思いました。
それでも境内は杜が深いところが多くて、神社があるから都会の中でも自然が守られたんだなあ、とも思いました。
八幡様の立地ですか。なるほど。
古代の安全な地域がこんな山なのでしょうね。
福岡の場合は地元の有力者の住まい跡が神社になったケースもあるから、こんななのでしょうね。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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