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古代は男も神懸かりをした・NHKの変てこりんなシャーマン像にモノ申す


古代は男も神懸かりをした
NHKの変てこりんなシャーマン像にモノ申す
 

今回は辛口るなです。

神懸かりと言えば神功皇后卑弥呼を思い浮かべます。
古代のシャーマニズムに対して
私はいつの間にか女性中心のイメージを作り始めていました。

吉野ヶ里遺跡で見かけた祭祀場のモデル像は
天の岩戸の前のアメノウズメの服装をしていて、
竹内宿禰が審神者だった神功皇后の神懸かりシーンを参考に再現されていました。

これが一般的な古代日本のシャーマン像になりつつあるのかも知れません。
しかし、これは大変偏った見方なのだと気づきました。

少し話がそれますが、一昨年でしたか、纒向遺跡から桃の種が見つかった時に
NHKスペシャルで放送された「邪馬台国を掘る」(2011・1・23)で、
髪を振り乱した白衣の女性が「桃」に囲まれてトランス状態になって
バッタリと倒れるシーンにとても違和感を覚えました。

最初に驚いたのは巫女の周囲には桃を盛った器がずらりと並べられている事でした。
前はもちろん、左右にも。後にも。
出土した2000個をすべて盛り付けたようでした。
下のテロップには学者の認定を受けているような文言も流れました。

そんなの有り?
お供え物をお尻の方にも置くの?

出土した2000個近い桃を体育館に並べてその数の多さを誇示したシーンがあって
その無駄な労力にも驚いたのですが、
それを一度に供えたという発想に疑問を持ちました。
神に供えるとしたら一皿で十分なのではないでしょうか。

例えば、毎年一皿ずつ供えた物を、例年同じ方角に埋めた結果、2000個になった
という発想は出来ないでしょうか。

また巫女とは髪を振り乱さないと神の声は聞こえないのでしょうか?
きっと東南アジアあたりのシャーマニズムを映像で見て
「神懸かり=髪振り乱してトランスになる」というパターンが出来たのでしょうが、
それが学者の意見を取り入れているとしたら、ちょっと淋しいです。

その変てこりんな供え方をした桃の中で
卑弥呼を連想させるような女性が髪振り乱して形相を変えて行ってバッタリと倒れる変てこりんさ。

倭国の祈りの姿とはそのようなものでしょうか。

纒向遺跡の再現図

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画像出典
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2011/0123/

この番組の一番の問題点は、纒向遺跡で大型の建物が見つかったからと言って
すぐに卑弥呼・邪馬台国に短絡した点にあります。
まずは天皇家やそれを支える氏族たちを検討するのが本筋じゃないでしょうか?

大型の建物で祭祀するのは天皇や皇后、皇太子ではないか?
纒向に都を造ったという景行天皇の記述(日本書紀)は検討されたのでしょうか。

もし天皇家の遺跡ではなかったと判明しても神懸かりをするのは女子だけではありません。
男子も神懸かりをするのです。
いきなり「邪馬台国だ」「卑弥呼だ」では困ります。

邪馬台国論に関しては、私は外野だけど「良質な論争」を楽しみにしているのです。
「おらが故郷の邪馬台国」という論拠で番組を作るのは勘弁してほしいです。

という事でずいぶん前のNHKの番組への不信を今頃になって書きました。

それというのも、そんな映像を見ている内に、
弥生時代のシャーマニズム=卑弥呼の鬼道という固定観念が
自分の中に刷り込まれ始めているのに気づいたからです。
これは誤りでした。


倭国の男子の神懸かり

神社伝承や文献を見て行くうちに
男子の神懸かりもまた倭国の祭祀の基本の柱なのだという事が分かって来ました。
今回はその古代日本の男子の神懸かりの例を少し見て行きたいと思います。

まずは日本書紀の神功皇后の巻の別伝
男子が神懸かりをしているシーンを読みましょう。(るな訳)
ある本に曰く、
足仲彦天皇(たらしなかつひこ=仲哀天皇)は筑紫の橿日の宮を宮処としました。その時、サバの県主(あがたぬし)の祖であるウツヒコ・クニヒコ・松屋種(まつやたね)に神が懸かって、天皇に教えました。
「天皇がもし宝の国を手に入れたいと望めば、実際にお授けしよう。」と。
すぐにまた続けて、
「琴を持って来て皇后に勧めなさい。」
と言いました。そこで神の言葉に従って、皇后は琴を弾きました。すると神が皇后に懸かって教えました。
「そなた天皇の所望する熊襲の国は、例えれば鹿の角のようなものである。実がない国である。今、そなたが乗っている王船と穴戸の直(あたい)ホムタチが献上した大田という名の水田を供えて、我をよく祀れば、美女の眉毛のようで金銀が沢山あって目もくらむような国をそなたに授けよう。」と。
その時、天皇は神に答えて言いました。
「いくら神といっても、どうして欺こうとされる。何処にそんな国がありましょうや。またわたしが乗る船を神に献上したら、私はどの船に乗ったらいいのですか。それに、どこの神とも分かりません。願わくば神の御名を承りたいものでございます。」
すると神が名乗られました。
「表筒男(うわつつのお)、中筒男、底筒男。」と。こうして三神の名を名乗ってまた重ねて言いました。
「我が名は、むかひつを・もおそほふ・いつのみたま・はやさのぼりの尊である。」
と言いました。すると、天皇は皇后に言いました。
「縁起の悪いことを言われる婦人だ。どうしてハヤサノボリ(速く天に昇る)と言うのか。」と。すると神が天皇に言いました。
「そなた天皇がこれを信じないならば、その国は手に入るまい。ただし、今、皇后が懐妊している御子が手に入れるであろう。」
この夜、天皇は急に病気になって崩御しました。 
 
このように別伝では、最初にウツヒコ・クニヒコ・松屋種に神が懸かっています。

松屋種に懸かった神は皇后に琴を弾かせるように勧めます。
当時は神懸かりの琴を弾くのは男性だったので、
これは大変特殊な話だったのだと思うようになりました。

その琴の弾き方は豊浦宮(忌宮)に残っていて、それを参考にすると
感興のおもむくまま、つまびく方法だったと考えられます。
それを弾くのは男子(神官)です。

囲碁も感興のおもむくまま白黒の石を置いて行くことで、
神の次元を碁盤に写し取って、それを分析して占うのが初原だと聞いています。

倭国の神懸かりは男女ともに起こるもので、
髪振り乱してトランス状態になるのとは少し違っているのです。

さて福岡の神社を逍遥する内に、男子の神懸かりあるいは神託を受けたという例に出会いました。
古遠賀湾流域の神社の過去記事から三社ほど紹介します。



八剣神社の田部人麿

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祭神 日本武尊(ヤマトタケル) スサノオの命 ミヤズ姫の命由緒 当社は人皇二十七代、安閑天皇の御代に田部人麿という者の神託によって、この山の上に斎き祀っています。
昔は近郷に比べるものがないほどの御社で、ご神徳はあまねく知られていました。

日本武尊のためにわざわざ宮を造って歓待したという伝承を持つ宮です。
それを祀ったのは田部人麿への神託が由来でした。

安閑天皇の御代だったという事なので在位を調べると531~535年でした。
磐井の乱(527)継体天皇崩御(531)という大事件の後の話になります。



天照神社の長屋山筒男

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祭神は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊。
(あまてる・くにてるひこ・あめのほあかり・くしたま・にぎはやひのみこと)

貝原益軒の書いた由緒書きの訳です。
この御神霊は垂仁天皇16年に初めて笠城山のふもとに降り、長屋山筒男という人に託宣しました。その人は大神の勅命を受けて、その笠城山のふもとの川でしばしば人に災いした大きなナマズを切って災難を除いたという事です。
八剣大神という神がこの辺り8か所に鎮座するのもこの時、大神が授けた剣を収めた所だからです。

垂仁天皇の在位を調べると紀元前29年~紀元後70年でした。(wikiなど)
この宮での神託は祭神のニビハヤヒが降臨した事で有名な笠置山の麓の災難を
防ぐ方法を授けられた話です。
その神託を受けたのが長屋山筒男でした。
彼もまた後には長屋大明神として祀られるようになりました。


正八幡神社・位登八幡神社の田麻呂

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田原麻呂という人がいて、仲哀天皇の進軍を聞いてただちに参軍し、
帰途には神功皇后を半年ほど屋敷に滞在させました。
その600年後にその子孫の田麻呂に神託が降りました。
その部分を過去記事から抜き出してみます。

川崎町誌から
祭神 応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
由緒 社伝。神功皇后が三韓の遠征から都に帰る途中、穂波郡大分(だいぶ)で軍隊を解散して将士を郷里に帰らせたとき、その中に田原麿という人がいた。この人は正八幡近くの城山に居を構え、この一帯を領していた。

そののち貞観18(876)年のこと、田原麿の子孫、田麿という人が、神託によって宇佐宮から神霊を勧請した。その神託は次のようなものである。

「田川郡位登郷の楠の森は、我が母・香椎明神(神功皇后)が三韓に出兵したときに従った田原麿が住んでいるところである。我はこれにちなんで、穂波の本宮(筑穂町大分八幡宮)に行き通うたびに休息し、また宿るところであった。なんじ田麿、我のために宮を造ってまつれば、我はそこに鎮まって領民の安穏を願うものである。」

この社伝には「田原麿と田麿」という、時代が違う二人が出て来ます。
時間順に並べ直してみると、
田原麿は近くの城山(もしくは位登郷の楠の森)に住んでこの地を治めていたが、神功皇后の三韓遠征の時に遠征軍に従って行って、(2年後には)戻ってきた。

それから600年以上経ってから、子孫の田麿に神託があった。それは応神天皇の神霊からのもので、「神霊は宇佐八幡宮から本宮の大分八幡宮に行き通うたびに、母と田原麿の縁にちなんで、旅の途中に位登郷の楠の森で休息していたが、自分のために神殿を建ててくれたら、領民を守護しよう」という内容だった。
そこで宮を建てて、のち1383年に現在地に遷宮した。

宇佐八幡宮に近づくと各神社はだんだん八幡宮に置き換えられて行くのが観察できます。
豊前に近づくほど顕著になります。

この正八幡神社の神託はそのような事情をよく表すものです。
八幡の勢力が広がっていく過程では、「神託」と言う名のもとで
無理に八幡に置き換えられた神社もあるのではないかと思っています。
(若八幡神社など)

こうして遠賀川流域では男子の神託の例がいくつか見られました。
考えてみると倭国の祭祀の中心は天皇そのものです。
それを物部氏が支えていました。
神託があるのは卑弥呼や神功皇后のようなシャーマンだけだとは限らないのです。

NHKの「邪馬台国を掘る」が偏った見方で作られたのがよく分かります。






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by lunabura | 2012-04-20 10:27 | にっき | Trackback | Comments(2)
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Commented by のら at 2012-04-24 02:27 x
あははは(笑)辛口のルナさんだ。
私はこの番組観たかどうかも忘れましたが(確か似たようなのが幾つかあった気もするんです。時事的に)、最近の歴史番組って何処も偏ってますからね~。突っ込みどころ満載!!てな感じに。
イラっとくる内容な番組もあったりして、辛口になるの分かります(>_<)
Commented by lunabura at 2012-04-24 09:24
時には辛口テイストもあり?
この番組は「邪馬台国を掘る」なのに纒向遺跡の話だったので、すごく変でした。
こうやって洗脳されていくのですね…。むむむ。

今月は忙しかったので、記事があまり書けませんでしたが、またペースよく書けたらいいなと思っています。
これからもよろしくお願いします。 (^-^)
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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