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大宰府・神籠石コメントまとめ2

大宰府・神籠石コメントまとめ2

続きです。

ところで、大野城は四王寺山でしたっけ。


厳密には、大城(おおき・おおぎ)山=四王寺山ではありません。
四王寺山にある峰々の最高峰が、大城山で、
四王寺山全体に、大野城(おおののき)があります。

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四王寺山と水城(大野城市に行くと貰える資料)


これは研究した方でないと答えられないほど深い話なのですね。


四王寺山は、すり鉢状になった山で、
山全体の周囲の峰々を土累や石垣で補強して山全体を守る山城として
大野城(おおののき、おおのじょう)が造られています。

太宰府の都府楼の真北標高約410メートルの大城山を最高峰に
大原山などの峰々の総称が四王寺山と呼ばれている感じですが、
地図によっては、「大城山(四王寺山)」と記載されているものもあり、
このあたりは曖昧になっています。

四王寺山には、尾根をつたって延々6.5km以上に及ぶ土塁が馬蹄形に延びており、
土塁が谷にかかるところでは石垣が築かれ、巨大な大野城が形成されています。

四王寺山の名前の由来は、奈良時代に立てられた「四王院」に由来するとされています。
四王院は、774(宝亀5)年に新羅の宗教的呪詛に対抗して呪詛返しをするために創建された寺院で、
現在、大野城の 土塁線上には四天王である毘沙門天、広目天、増長天、持国天 と呼ばれる地域があり、
それぞれの地域から礎石建物や井戸なども見つかっています。

ですから、歴史的には四王寺山より大城山の方が、古い呼び名となります。
もともとは、「大城山=王城の山」、だったのかなと個人的には思っていますが。

大宰府政庁(=都府楼)の真北にある大城山は、
風水で言うところの玄武にあたる山でもあります。

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(大宰府政庁跡から見た四王寺山)

確かに北=玄武だ。

大野城跡は四王寺山にあるんだ。
よく近くを通っているはずなのに、未だにどの山がそうだと言えない。(・.・;)
何度か登った事もあるのに、よく分からない。
ここも土砂崩れの復興が数年かかって最近ようやく見学できるようになったというが、
今年の豪雨には耐えられたか?

この山は神功皇后が登って祈った時、イケメン住吉神が降臨して新羅攻撃を援けてくれ、
その後二人は結ばれたと、『高良神秘書』には書いてある。
(記事は高良大社(7)に詳述)
訳(わけ)が分からなかった。
しかし、その後のるな探偵の調査では確かに住吉神の待遇は格別になっている。

が何度調べても、霧の中に戻ってしまう。
そうか、呪詛が今も効いているのか…。  (-_-;)


大野城跡については、大野城市のHPに詳しく書かれています。
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/edu/kyoiku/rekishi/shitei/onojoato.html



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by lunabura | 2012-07-07 14:59 | コメントまとめ | Trackback | Comments(0)
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