ひもろぎ逍遥

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宮地嶽神社・よみがえる筑紫舞


宮地嶽神社 7月
 よみがえる筑紫舞




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緑陰の美しい梅雨の宮地嶽神社。
3年前までは、ここで誰に祈っているのか、分かっていなかった。
ここは神功皇后が主祭神の宮だ。
正月に参拝する数十万人の人たちも殆どが誰に祈っているのか知らないだろう。

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主殿の裏につづく木漏れ日の中の参道を辿ると特異な地形に気づく。
山の斜面にいくつもの平地があって道がある。
ここは多くの古代人が代々営んでいた聖地なのだ。

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参道の奥の神社は古墳だ。
開口しているこの古墳は日本でも二番目の巨大さを誇る。
そこには抱えられないほど巨大な金銅製の頭椎(かぶつち)の太刀が埋納されていた。

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この提灯の紋は三階松。九州王朝の紋だという。

数年前、私はたまたま主祭殿の前で奉納されている舞を拝観した。
その中にコサックダンスのような動きの舞があった。
それがルソン足という事を知ったのは二年後だ。
筑紫舞だ。

かつて、この古墳の中で、その筑紫舞が菊村検校によって奉納された。
筑紫舞には被葬者の蘇りを祈る舞いが含まれていたという。
それを「棺の舞」という。
それが天皇家の血を引き継ぐともいわれる検校とどうつながるのだろうか。
まだ謎のままだ。

そしてこの光寿斎を支えた人の中に、もと光少年の祖母がいたという。
光少年はこの古墳の周りでムーダンの舞が奉納されたのも目撃している。
ムーダンは韓国から、舞手が名取になる時に舞を奉納しに来るのだという。

キャンプをしながら宮地嶽で奉納した後、名島神社でも奉納する。
どうして、韓国人がこの古墳を知っているのだろうか。
それも謎のままだ。

そんな話をしてくれた、もと光少年は亡くなる前に、もう一度私に会ってくれた。
「長い夢を見た。3000年前の夢だった。」

それは縄文人と弥生人の出会いの夢だったと言う。

「縄文人は滑稽な踊りを披露してくれた。
それを弥生人たちは見て笑ったね。音曲が演奏された。
弥生人の足元はサンダルだった。3000年後にまた会おうと約束した。」
それが今の時代の事だったのだろうか。

私はその時、ムーダンの存在について尋ねた。
どうして韓国人が宮地嶽不動神社の存在を知っているのかと。
もと光少年は答えた。

「つい最近、ムーダンの協会の人がパーティーをするからと呼ばれたけど、
行かなかった。その人の名前はなんだったかな。電話帳に載っているんだが。」
福岡にその協会(教会?)があるそうだが、わからず仕舞いになった。

筑紫舞の事をもう一度尋ねた。
「弟子が『棺(かん)の舞』を『神(かん)の舞』と曲げて解釈したから、私は証言を止めた。
古田武彦さんも話を聞きに、2,3度、来られたね。」
往時の筑紫舞の伝承者は池に身を投げたという。

私はその時点で筑紫舞は消滅したのかと思っていたのだが、
幸いな事に宮地嶽神社で、その舞が継承されていた。
神社の方にもいくつか伝えられていて、認可された舞だけを舞っているそうだ。

その舞を舞う浄見宮司から聞いた話では、
かつて春日大社で十年間奉職した時に担当したのが偶然にも舞だったと言う。
しかも舞っていたのは「細男(せいのう)の舞」で、これは白布を顔に付けて舞うものだ。
白布を顔に付けた神といえば、志賀海神社の神と同じだ。
それは安曇磯良(アントンイソラ)。

志賀海神社の阿曇宮司が数年前に急逝されたが、
宮地嶽神社は志賀海神社をお助けする立場にあるという。
海人族として深い縁があるのだ。

宮地嶽神社の浄見宮司は筑紫舞を舞うために
春日大社で舞をとことん身に付けさせられたのではないだろうか。
こうして神仕組みはまだ生きているのだと思った。

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名島神社でも筑紫舞が舞われたという。
それは二人で舞うものだったそうだ。
聖洲さんによると、衣裳を着せられると、神が乗り移ったかのように舞えるものだという。

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そして、恵蘇八幡宮でも筑紫舞を舞うように神示が降りたと電話があった。

それは伝承者がまだ他にもいたという事だ。
その人は引退していたのだが、子育ても終わって、時期が到来したという事らしい。
実際に舞われたのかどうかは分からない。

筑紫舞は蘇ろうとしている。
神仕組みが働いている。

これは私には救いだった。
私たちは神々に見捨てられていない。

今、日本は窮地に立っている。
私たちは国土を失うかもしれない。

かつて新羅と言われた浜にある古里原発と伊都国の横の玄海原発。
そして福島原発は危機に瀕しているのだ。

日本政府は原発を止めようとしない。
十数万人が首相官邸を取り囲んで大飯原発の再稼働を反対しても、
ニュース報道もされない日本になってしまった。

日本政府はガレキを拡散して、放射能で国土を汚染させる政策を取っている。
神々が造ったこの奇跡の列島を。

日本の神々はそれでも私たちを守ろうとしてくれている。
神々もまた私たちが必要なのだ。
人間の祈りと清らかな大地が。

筑紫舞が復活しようとしているのはその表れではないかと思った。
少なくとも私は勇気を得た。
まだ神々に見捨てられていない。

私たちは神々に応えられるだろうか。
私たちは大地なしには生きていけないのだ。






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※ コメント欄で、一時、西山村光寿斎を西村検校氏と間違えたと書いてしまいましたが、やはり西山村光寿斎氏でOKでした。
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by lunabura | 2012-07-15 12:09 | 宮地嶽神社と古墳・福津市 | Trackback | Comments(26)
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Commented by 隠居 at 2012-07-22 09:25 x
おはよう,ございます。

◆宮地ダケ神社で舞が継承されていたというのは,表現が正確ではありませんね。

そもそも,宮地ダケ神社には筑紫舞は伝承されておらず,

現在同社で舞われているのは,
全て西山村光寿斉氏が姫路から福岡(香椎)に拠点を移されて以後,
宮地ダケ神社の神官たちが,西山村氏から伝承されたものを,“新たに”舞い始めたものであって,
同社に,古くから伝承されていたのではないのです。
(つづく)
Commented by 隠居 at 2012-07-22 09:37 x
◎この記事を読みながら,さらに以下5点が気になりました。
(1)もと光少年の祖母が光寿斉を支えた。
(2)もと光少年と聖洲はいとこ。
(3)天皇家の血をひきつぐ西山村光寿斉。
(4)名島神社でも舞われた。
(5)恵蘇八幡宮でも舞うように,という神示があった。

・筑紫舞を扱った古田武彦氏また鈴鹿千代乃氏の著作には,以上の(1)や(3),(4)のような事柄は登場しません。初耳です。
これらは,どのような事実(根拠)に基づくものなのでしょう。
Commented by 隠居 at 2012-07-22 09:41 x
・さらに,あなた様の本記事に登場する“もと光少年”とは,いったい何者なのかが気になり,過去記事を探し,やっと名島神社についての記事に手がかりを得ましたが,

あなた様が(A)いつ,(B)どのような経緯の下に,もと光少年と出会われたのかが知られません。どこかに記されているのでしょうか。

(5)の“神示”の主語は,どなたなのでしょう。どなたに,どのような形で神示があったというのでしょう。

以上について,どうかお教えください。よろしく,お願いいたします。
Commented by lunabura at 2012-07-22 09:58
おはようございます。
隠居さん、燃えてますね~。室内もすでに33度越えてますが (・.・;)

「継承されていた」というのは「現時点で」という事です。全体をゆっくり読みなおして下さい。「古くから伝承されていた」とは書いてません。
完全に消滅していたかと思っていたので、どういう機会か、宮地嶽神社にも指導されたのですね。

後半の話は、古田武彦氏が事件の全容を書かれたいう思い込みがありませんか?
当時は新聞にも載ったらしく、かなりセンセーショナルが事件が起こっているようですよ。古田武彦氏も、九州王朝論と関係ない部分はきっと書かれなかったでしょう。
私も、ブログに書ける内容ではないので書いていません。
(1)については、過去記事にちらりと書きましたが、衣裳を毎年作って差し上げたと。その時の家紋は菊の紋なので、京都にわざわざ送って縫ってもらわなければならなかった、その程度で。

(4)(5)は現代の話です。御自分で、尋ねていってもよろしいかと。
生き生きとした筑紫の人々の伝承が聞けますよ。 (^-^)
Commented by lunabura at 2012-07-22 10:10
あちこちでお話を尋ねていますが、一つの聞き取りの為に、数時間、話を聞く事はよくあることです。
あちこちに話が飛ぶのは当然で、何度も何度も尋ねて、全容が分かるまで、私も書く訳にはいかないものが沢山あります。

また個人が特定できる部分はあえて伏せているので、読んでいる方はもどかしいかもしれませんね。

でも、個人情報を書かないのは私の信念です。
許可していただいた人だけは、書いてますが。 (^-^)



Commented by 隠居 at 2012-07-23 06:09 x
・なるほど!
「神社の方にも伝承されていて」というのは,宮地ダケ神社のことではなくて,「(他の)神社の方にも」という意味だったのですね。

・しかし,私がなぜあのような質問(指摘)をしたかというと,

本来,神社に奉納される芸能は,神社に附属する“宮座”をも含め,外部からの奉仕が本来の形であって,それを,主祭神を祀るお宮の宮司が,自ら伝習して奉納するなどという在り方は,考えられないという事なのです。

これが,権宮司や禰宜であるというなら,まだ分からないでもありません。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 06:15 x
◆したがって,縦令(タトイ)それが継承,或いは伝承であれ,【現在の宮地ダケ神社での保存?の在り方】が変ではないか,と私は思っているのです。

そういった不審が,宮地ダケ神社の方々が初めて(伝習して)舞った,10数年以上前の福銀の地下ホールでの筑紫舞の公演以来,近年?の神社側の説明に現れているように思われるのです。

◎いかにも神社に“古くから伝わっていた”ものを,近年再興したかのような印象を,人々に与えるような説明になっているのです。
(※問題は,なぜ神社側が,筑紫舞を伝習しようとしたか,という点にあるように思われるのです。)
Commented by 隠居 at 2012-07-23 06:23 x
◆さらに,初めて舞ったのを見た時の印象が,
男性が舞っているにもかかわらず,女性の舞い手よりも女性的。
つまり,様になっていないのです。(※お世辞にも,上手とは言えません。その背景にあるものは,何か。)

しかし,現宮司が春日大社に奉仕され,長年春日若宮の御(オン)祭りで舞われる“細男(セイノウ)の舞”を伝承し,実際に舞われていたとなると,話はまったく違ってくるのです。

そして,その時の印象は,この度あらためて見た,昨年の祭典の映像でも変わっていないのです。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 06:43 x
◆また,いくら古田氏他の研究者が全貌を語らないと言っても,
名島神社でも舞われていたという情報は,これまで報じられたことがなく,筑紫舞の世界に於いては,大変重要です。
・したがって,その事をこれまで,誰も口にしなかった?というのは,あまりにも不自然なのです。

◆さらに,韓国からのムーダンが名島神社でというのは,ひとまず了解されましたが,

なぜ,朝鮮の人々が宮地ダケ不動神社(古墳)の存在を知っているのか。

この件は,なお考えてみる必要があります。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 06:49 x
◆名島神社との関係で,或る王に従っていた舞い人が亡くなりというのは,記録には登場しないものの,何らかの史実に基づいたものと,思われます。

・その参考になるのは,近くに今も残る“和白(ワジロ)”という地名です。

この地名は,古代の朝鮮語で“会議”を意味する言葉[wapek]だと言われています。

・さらに,福岡市早良区の“早良”,佐賀県の脊振山脈の“脊振”という地名も,朝鮮語の都を表す言葉(ソブル,ソウル)の変化したものと考えられます。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 06:59 x
◆こういった朝鮮語地名の残存は,何を物語るのか。
そして,その来歴はどこまで遡れるのか。

・天孫邇邇藝命の降臨時点ではないと思われますが,それはあまりにも古すぎ,のような気がします。
(※天孫降臨の舞台は,日向(宮崎県)だと言われていますが,古田武彦氏が言うように,筑紫(福岡市)の日向[ヒナタ]峠のことと思われます。)

◆より有力なのは,百済の王子(皇太子)が九州倭国に人質としてやって来ていて,正月に倭国王筑紫君の前で“犬の舞い”を披露したという伝承です。(『古田史学』のホームページ)
Commented by 隠居 at 2012-07-23 07:34 x
・この舞いは,単なる舞いだと思っていましたが,ムーダンによる伴奏を伴っていたのでは,と思われます。

◆『古田史学』のホームページでは,正月の“獅子舞”の原型と考えているようですが,確かに太鼓による伴奏を伴っています。
そして,正月の獅子舞は全国に分布しています。

・しかし,太鼓の日本的なリズムを考えると,両者を直接結びつけるには,無理があります。
それでも,神社の“狛犬”は全国に分布しています。

◎狛犬が“高麗犬”である事を考えると,獅子舞も共に“犬の舞い”との関係で考えるべきものかもしれません。」
Commented by 隠居 at 2012-07-23 10:46 x
・おはようございます。
今朝の,私の冒頭の文章,どうも誤解があったようですね。

◆あなたは,以下のように記しています。
「私はその時点で筑紫舞は消滅したのかと思っていたのだが,幸いな事に宮地ダケ神社で,その舞が継承されていた。
神社の方にもいくつか伝えられていて,認可されたものだけを舞っているとのことだ。」

(1)筑紫舞は消滅したのかと思っていた。
(2)幸いな事に宮地ダケ神社で,その舞が継承されていた。
(3)神社の方にもいくつか伝えられていて,認可されたものだけを舞っているとのこと。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 11:03 x
(2)には,誰から継承されたかを記しておりません。

・池に身を投げた往時の伝承者からだったとも,受け取る事が出来ます。(※事実は,西山村光寿斉氏から。)

その事を記さぬまま,
「神社の方にもいくつか伝えられていて,認可されたものを舞っている」
とあるために,曖昧な内容となり,私が誤解した。

(3)の“神社の方にも”というフレーズは不要でしたね。
Commented by lunabura at 2012-07-23 11:07
隠居さん、おはようございます。
今回のお話は沢山の課題があって、一挙には答えられないのですが、
福岡の奉納舞について、私が知り得たことをいくつか。

飯塚の撃鼓神社では、神職のみが舞われていたが、継承者の人数の問題などもあって、氏子さんたちが伝承しようと努めている状況があります。

宗像大社の高宮祭の奉納舞も、古代の祭りの形態を研究して、数年前から大宰府天満宮から巫女さんたちによって舞われています。

一方、志賀海神社の八乙女の舞は八軒の家だけで継承されています。
鞍手の舞は室町時代だか、神職が京都で習ったのを伝承していると(うろ覚えですが)いう事です。

志式神社ではそこだけに伝わる舞がありますが、廃絶して、宇美神社の神楽の方々が奉納しています。

中世時代や世界大戦の後の荒廃を乗り越えて、各神社で工夫して復興しようとしていると理解しています。
神社における舞は、こうだという形はないのではないかと考えています。

Commented by lunabura at 2012-07-23 11:13
名島神社も、筑紫舞が継承されていた訳ではなく、舞われたというだけです。
各神社でお話を伺えたとしても、伝承なのか、御自身の論が混じっているのか、区別するために、他の方からも聞き取りをしたりしている状況です。

推理をするには、私にとってはまだまだ駒不足です。 (^-^)

古田武彦氏が出会われたもの、他の方々が出会ったもの、各人が出しあって、九州の古代史の全容が明らかになればいいですね。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 11:32 x
・奉納舞についての,くわしい情報ありがとうございます。

鈴鹿さんの『神道民俗芸能の源流』は読まれましたか。

◆現在の民俗芸能とそれぞれの神社における祭祀が,どの程度古体(古態)を留めているかは,大きな問題です。

・そして,その発祥となると,さらに問題です。

現在残っている伝承は,それはそれでまた重要です。(つづく)
Commented by 隠居 at 2012-07-23 11:36 x
・中小路氏が書かれたものの中に,次のような言葉がありました。
「在るものをあると言い,無いものをないと言う」

・なかなか出来る事ではありませんが,それを実践できればと,いつも思っています。

○筑紫舞の文章,まだ続きがありますので,残りを送らせていただきます。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 11:44 x
★本来,次のようにあるべきでした。

「私はその時点で筑紫舞は消滅したのかと思っていたのだが,
幸いな事に宮地ダケ神社で,その舞が継承されていた。
これは,現在福岡市で筑紫舞を伝承している西山村光寿斉氏から伝授されたものである。
いくつかの曲目が伝えられていて,(宗家西山村氏から)認可されたものだけを舞っているとのことだ。」
Commented by 隠居 at 2012-07-23 11:48 x
◆しかし,私が先のように誤解したのは,

近年,いくつかの神社の神職が,筑紫舞を伝習しているという事を聞いたことがあったからである。

・したがって,それぞれの神社で,お許しの出た曲目を舞う事があってもおかしくはない。

と理解したために,
【宮地ダケ神社以外の神社】でも,という理解になったのです。(ひとまず終了)
Commented by lunabura at 2012-07-23 12:31
隠居さん、ありがとうございます。
大変だ~。
菊村検校と書くつもりが、西山村光寿斎と書きそこなってます。

大変済みません。
のちほど書き換えます、。
Commented by 隠居 at 2012-07-23 12:56 x
◆別に,あわてた事ではありませんよ。

『過ちは人の常,赦すは神の業』と申します。

・ただ,単に訂正するのではなくて,本文にその痕跡を残された方が,読者には親切です。

例えば,以下のような形で。

[★訂正:西山村光寿斉→菊村検校]
Commented by lunabura at 2012-07-23 21:11
そうですね。
コメントと絡めると、それが筋ですね。

でも、ま、いいか。
ブログです。
論文ではないので、これも有りでしょう。
Commented by 隠居 at 2012-07-24 04:32 x
でも,私があなたに望むのは,アマチュアとしての“真摯”な態度です。

・これが,学術論文ではないからなどと言い始めると,水は一気に逆流してしまいます。

▼以前,それに類した事を,或る出家のブログで見て驚きました。
一度失なった信用は,元には戻せません。

したがいまして,くれぐれもお間違えなきよう。

▼ブログには,自らの過去の言動が,すべて残っているのです。

もちろん,都合の悪い部分は,後日削除してしまう事は,可能でしょう。

しかし,それを読んだ人の記憶には,残っているのです。
Commented by lunabura at 2012-07-25 08:39
隠居さん、おはようございます。

ブログは生き物です。思考過程など、まとまらぬものを書くのが特徴です。
隠居さんも昨日は沢山コメントを書かれて、削除されたように、
変化して行くものです、
そして、私が死ねばこの筑紫の伝承も、みなさんのコメントもすべて消えてしまいます。

ブログ記事の訂正に「見せ消ち」を希望されているようですが、
一時的にそれが成されても、放置せずに訂正するのがブログとしてはふさわしいでしょう。
印刷文とは違うのがネットの醍醐味です。
Commented by lunabura at 2012-07-25 08:41
ただ、今回のコメント記事は間違えた部分が課題になったので、
「見せ消ち」でなく、断り文を書くのが私のスタイルです。

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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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