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儺の国の星・拾遺 3・メトン周期と満月の祭事


儺の国の星・拾遺 3
序文を読む 3

メトン周期と満月の祭事
 

諸事情で投稿が遅くなりました。<(_ _)> お待たせです。

前回の難問……メトン周期の計算を愛読者さんがしてくれました!
さて、どんな問題でしたっけ。
そうそう、ハレー彗星の近日点を計算した真鍋家(物部氏の末裔)の
計算力を理解するために、基礎となる「推」を検算していた所でした。

「推」という言葉は現代では「メトン周期」に置き換えられるという事で、
メトン周期にチャレンジして、さじを投げた所でした。(笑)

メトン周期 
19太陽年は235朔望月にほぼ等しいという周期のこと。
この周期は、太陰太陽暦で閏月(うるうづき)を入れる回数を求めるのに用いられた。
メトン周期に従うと19年間に7回の閏月を入れれば太陽年とのずれが解消されること
になる。
(wiki より)

太陽暦で暮らしている私達も、時々旧暦を使います。
福岡では七夕が旧暦で行われていたので、8月の天候の安定した季節に
満天の星空を見る事が出来ました。
最近はもう太陽暦の7月だけになったかな?
7月の七夕は梅雨の末期なので、雨が心配ですよね。

中国では旧暦の正月の帰省ラッシュがよくニュースになっています。
旧暦が今でも生活に密着しているのが分かります。
旧暦だと、月を見れば今日は何日だと分かるので、
空の「誰でもカレンダー」になります。

ところが、困った事に太陽暦とはズレがあるため、話は簡単ではありません。
そのずれが無くなるのが19年目だという事です。

今月の満月は2012年8月2日でしたが、
もし「次の8月2日の満月の日に再び会いましょう」と恋人と約束したら
19年後になってしうまうんだ~。

さて、眞鍋氏の本に戻ると、
古代、大宰府にやってくる各国の船はオリジナルの暦を持っていたので、
大宰府政庁で計算して暦の突き合わせを行なったわけです。

「609年、百済の僧・観勒が暦の本を奉った」と日本書紀にあるけど、
「この時、暦が初めて日本に導入された」と解釈するのは間違いで、
倭国にはすでに和暦が存在していて、百済の暦とどう違うのかを
当時、換算される部署が存在したというのが実態だという事です。

それを行ったのが真鍋家の祖先で、物部氏です。
すでに高度な暦が日本では作られていました。

神功皇后の筑紫での行動にきちんと日付が付いているのも、
当時、すでに暦があって、従軍書記官がいたと推定しています。

前置きが長くなりましたが、メトン周期について愛読者さんのコメントを紹介します。
(朔とは新月。望とは満月の事です。)
メトン周期ですが1月を30日で計算すると合いません。「日」単位で考えてください。

1朔望月=新月から新月の間は29.530589日です。
(だから陰暦では29日と30日の月が約半々になっています)

これを235回繰り返すと29.530589×235=6939.688415日、

1太陽年=冬至から冬至の南中時までは365.242194日×19回繰り返すと=6939.601686日

235を12で割ると19年と余り7月ですので、19年7閏とすれば、19年後に同じ月の同じ日(*11月1日)に冬至が回ってくるわけです。

(*太陰太陽暦では冬至は11月1日を基本の「朔旦冬至」とし、19年ごとに回ってくる。それでもこのメトン周期では若干のずれが出るのでいろいろ改善されています)

これによると、太陽暦と太陰暦の差が0.086629日。
真鍋氏が出した差は0.08671日。
おお。かなり近い数字が出ましたよ。
(1朔望月=約29.5日を覚えておこう。)

計算機の無い時代なのにかなりの水準だったんですね。
愛読者さん、ありがとうございます。
これですっきりしました。

赤司八幡神社の満月の祭事
さて、物部氏が計算力の優れた人たちだったのが分かりましたが、
それで思い出すのが久留米市の赤司八幡神社満月の祭事「竿例し」です。
(「赤司八幡神社」の正しい名称は「八幡神社」です。)

私は、これは「満月の測量」が祭事になったのでないかとずっと考えていました。
赤司八幡宮に伝わる「竿例し」は正月14、15日の夜、地上10尺の長さの竿を立て、月光によって生じる竿の影の長さを測って占象とする。まことに古拙な占行事で、他に例を聞かぬものである。
(『赤司八幡宮の「竿例し」』(古賀壽)より)

「正月14、15日」に注目して下さい。14日と15日の二日間あるという事です。
「正月」とは「旧暦の正月」の事ですから、15日は満月です。
しかし、一か月は約29.5日なので、ずれが溜まると
満月が15日に来るとは限らず、14日に満月を迎える事もあります。

だから、14日と15日の夜に竿の長さを測量して
満月の時間を確定していたのではないかと考えています。

それは神官によって厳粛に行われた事でしょうが、
そのまま神事として伝えられたではないでしょうか。

現在は旧暦の正月14日の晩、一日だけ行われているそうですが、
よくぞ伝えられたと感激しています。

古賀氏の寄稿文には
「昔は多くの人が集まってこの祭事を見守ったと聞くが、
現在は宮司と家族と時に総代会長が参加するというさびれたものになっている。」
とも書いてあります。
是非とも近隣の方々にこの祭事の意味を知って見守っていただきたいなと思いました。

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この赤司八幡神社は三女神の降臨の地であり、大宰別府です。
天の真名井の意味を伝え、満月の測定の神事を伝えています。
かなり高度な星宿祭祀が行われたもようです。

神功皇后を諸手で迎えた人々の宮でもあります。
まだまだこの宮の伝承全体を消化しきれていないのですが、
日本古来の神道の姿を研究するに欠かせない重要な宮だと認識を新たにしました。





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by lunabura | 2012-08-01 11:03 | <真鍋大覚儺の国の星> | Trackback | Comments(6)
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Commented by 愛読者 at 2012-08-10 13:29 x
陰暦だと2日は新月の翌日で、絶対満月にはなりませんから、この約束は「これでお別れね」の意味なります。
また、太陽暦だと満月は毎月動きますから、平均で約30年に1回は2日が満月になるはずですが、月と地球と太陽は微妙な「3角関係」で結構ばらつきがあります。
次の8月2日の満月は11年後の2023年、その次が19年後の2042年、その次はなんと46年後の2088年だそうです。
本気でおつきあいするなら、ネットの「月齢カレンダー」で検索して、「次の満月の夜に会いましょう」というのが正解だと思います。
ちなみに今月は満月が2回あって、8月31日(金)が満月ですので。
Commented by lunabura at 2012-08-10 13:47
陰暦だとそうですね~。
2日って絶対に満月でなく、細々とした二日月ですね。
「これでお別れね」はまいったなあ。
太陽太陰暦ってややこしいですね。
私は太陽暦の8月2日のつもりで言っても、恋人が陰暦の8月2日と考えたら、とんでもない結果が…。
ま、11年後や19年後なら同じことですね。
でも、こんな事が、史跡の説明板でよく起こるんです。
古代史だから旧暦で書いてあるつもりで解釈すると、説明板を書いた人は新暦だったとか…。
冷や汗をかきます。
Commented by きりん at 2012-08-10 19:28 x
こんにちは。ルナさん。
私も15年くらい前に陰暦にハマった時期がありました。
あの頃は、ネットもそれほど普及してなくて、通常のカレンダーと陰暦のカレンダーの対比表を自作したりしたものですが、
「2月30日」
の表記に独特の違和感を覚えた記憶が甦りました。
Commented by きりん at 2012-08-10 20:59 x
>福岡では七夕が旧暦で行われていたので、8月の 天候の安定した季節に 満天の星空を見る事が出来ました。

福岡県小郡市にある媛社( ひめこそ)神社、通称、七夕神社も 8月7日が七夕祭りでしたね。

◎七夕神社は、地元では親しみを込めて「たなばたさん」と呼ばれていますが、正式名称は「媛社 (ひめこそ)神社」。その歴史は古く、8世紀頃に記された「肥前国風土記」にも登場しているほどの古社です。祭神は、媛社神(ひめこそのかみ)と織姫神(おりひめのかみ)。 織姫神は、機織りが上手な神様だったようです。 そして、7世紀に中国から伝わった「牽牛・織姫」の故事と、日本の「棚織女(たなはたつめ)」信 仰がひとつになって誕生したのが七夕信仰と言われています。 ところで、織姫と言えば、牽牛。実は、中国には「天の川が地表に流れてきた川」と伝えられる 「漢水」という河川があります。宝満川の流れや周辺の地形が「漢水」と似ていることから、これになぞらえて、七夕神社の東側を流れる宝満川を天の川に見立て、対岸牽牛をまつる「牽牛社」がおかれていました。(小郡市商工観光課発行・七夕本より)
Commented by きりん at 2012-08-10 21:01 x
天の川と同じく南北に流れる宝満川とその両岸にまつられた織姫と牽牛(彦星)は、天上の物語を地上に配したようになっており、そこには昔の人々の信仰とロマンが感じられます。
もしも、宝満川が「ありなれ川」と呼ばれた頃から、この地に七夕信仰があったとしたら、とても素敵ですね。

七夕伝説では、カササギという鳥が群れて橋を架けますが、七夕神社のある小郡市には、白黒模様のカチガラス=カササギが昔から普通に生息していますので、七夕の夜に織姫のために天の川に架ける橋の材料には、ことかきません。(^-^)
私が思うには、七夕信仰と共にカササギをペットにした人々が大陸から小郡市に渡来してきたのかもですね。

仙台市の七夕祭りよりは、かなりマイナーな七夕神社の七夕祭りですが、そのルーツは日本屈指です。
Commented by lunabura at 2012-08-10 22:19
おお。カササギは背振山を越えないと言われていたのに、最近とみに北で見られるのは、小郡経由だったのかも (^。^)

昨年、七夕に合わせて媛社神社と天忍穂耳神社を掲載したのを思い出しました。
宝満川が南北に流れているというのがミソだったのですね。なるほど。
媛社神社にはニギハヤヒも祀られていたようなので、謎が深いのですが、こうして話題になると、やり残したことを思い出しました。

福岡は奥が深いですね~。
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