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ひもろぎ逍遥

三女神 伝承の宮々(1)


三女神 伝承の宮々(1)


今回は三女神の伝承を伝える筑紫の神社をまとめました。
三女神は宗像三女神として有名ですが、
古事記や日本書紀にはいくつもの伝承が書かれています。

すでに紹介済みの神社の中から、オリジナルの伝承を伝える神社を特集しました。
三女神ははじめは国家鎮守の神として、また武神として信仰されていたんですよ。

日本書紀、一書に曰はく、(あるふみにいわく)
日の神がまず十握剣(とつかのつるぎ)を食べて化成した子は沖津嶋姫命
別名市杵嶋姫命(いつきしまひめのみこと)。

また九握剣(ここのつかのつるぎ)を食べて化成した子は湍津姫命(たぎつひめのみこと)。
また八握剣(やつかのつるぎ)を食べて化成した子は田霧姫命(たぎりひめのみこと)。
(略)
日の神が生んだ三柱の女神(ひめかみ)を葦原中国(あしはらのなかつくに)の宇佐嶋
天降り(あまくだり)させました。
今、海の北の道の中にいます。

名付けて道主貴(みちぬしのむち)といいます。
筑紫の水沼の君らが祭る神がこれです。

ここではアマテラスが十握剣、九握剣、八握剣と、三つの剣を食べて、

それぞれ市杵島姫、湍津姫、田霧姫(田心姫)を生んでいます。
その後、アマテラスは三女神を葦原中国の宇佐嶋に天下りさせました。

このブログの読者は、すでに宇佐嶋とは「ありなれ川」の「右の島」の事とご存知ですね。
(「ありなれ川」とは博多湾から有明海まで繋がっていた時代の名前で、
御笠川~宝満川~筑後川ラインです。博多湾~中つ海~有明海)



赤司八幡神社  久留米市

http://lunabura.exblog.jp/i169/

三女神 伝承の宮々(1)_c0222861_22255243.jpg


水沼の君の根拠地であり、聖地である神社です。

縁起によると、昔、筑紫は筑前・筑中・筑後と三府に分かれていて、
その中央にある事から、この神社は「筑紫中津宮」と呼ばれていました。
海北道中とはここの事だと伝えています。

水沼の君の屋敷があった所で、
景行天皇(けいこう)がやって来て、初めて祠壇を建てて祈りました。

景行天皇は自分の皇子・国乳別皇子(くにちわけおうじ)を
御形代(みかたしろ・天皇の代わりに祭祀する人)として残しました。
その国乳別皇子は水沼の君から后を迎え、水沼の君の祖となりました。

その後、神功皇后(じんぐうこうごう)もやって来ました。
それは羽白熊鷲を滅ぼして、これから田油津姫(たぶらつひめ)攻撃に取り掛かる前でした。

皇后はここで祈り、後に妹の豊姫を神の依り代として立てて残しました。
それから人々は「筑紫中津宮」を「豊比咩神社」と呼ぶようになりました。
「筑紫道中(ちくしみちなか)のとよひめさん」と呼ばれています。
今は赤司八幡神社と呼んでいます。




福成神社 朝倉市

http://lunabura.exblog.jp/17290766/

三女神 伝承の宮々(1)_c0222861_22263233.jpg

景行天皇がここにやって来て三女神を初めて祀りました。

その後、神功皇后がやって来て戦勝を祈りました。
それは羽白熊鷲を滅ぼした直後、これから田油津姫攻撃に取り掛かろうという時です。

それから数百年経って、斉明天皇中大兄皇子を連れて戦勝を祈りました。
この時は斉明天皇も新羅と戦わねばなりませんでした。
新羅戦に勝利した神功皇后の例にちなみ、同様の霊験を祈った思いが伝わってきます。

朝倉の橘の広庭宮に遷って三日目に参拝したそうです。
この近くには女官たちの宿舎が伝えられています。

しかし斉明天皇は、それからまもなく崩御しました。
そのモガリの宮は同じ朝倉市の恵蘇八幡宮(えそ)の木の丸殿(このまるでん)です。

斉明天皇の八角形の古墳が奈良で近年発見されましたが、
その地名が恵蘇八幡宮には伝えられていました。



恵蘇八幡宮と木の丸殿(1)えそ・筑紫で亡くなった斉明天皇のモガリの宮
http://lunabura.exblog.jp/15159645/

恵蘇八幡宮(2)なんと縁起に斉明天皇陵の所在地が書かれていた。
http://lunabura.exblog.jp/15193653/

三女神 伝承の宮々(1)_c0222861_22265346.jpg


恵蘇八幡宮(3)一筋縄では行かない地名の特定・明日香村の地名の変遷が分からない
http://lunabura.exblog.jp/15199099/

恵蘇八幡宮(4)こんな所に漏刻(水時計)があったよ
http://lunabura.exblog.jp/15209580/


こうして三女神は古い時代には武神として祀られていたのが分かりました。

(つづく)

各神社にリンク貼ってますので、ブログ内散歩をどうぞ。





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Commented by チェリー at 2015-02-04 23:51 x
赤司八幡神社について、ブログに載せ始めています。「地図でつなぐ聖地の旅 筑前国一宮「筥崎宮」(1)九州王朝 その20」です。lunaさんの文章から少し引用させていただきましたが、よろしかったでしょうか?引用だとわかるようにはしてありますけど…
Commented by lunabura at 2015-02-05 08:46
チェリーさん、昨日拝読させていただいていました^^
引用、どんどん、どうぞ、構いません。
羽白熊鷲と田油津姫は『日本書紀』に出てくる人たちなんですが、福岡では具体的に住んでいた場所やお墓が残っているんです。
ガイドブックにも出てきますが、当ブログ内でしたら、サイドバーの「神功皇后伝承を歩く」から入ると全体像が見えるかもしれません。
Commented by チェリー at 2015-03-29 02:45 x
lunaさん、こんばんは。
「赤司八幡神社」についてまとめるはずが、バラバラのお話になってしまいました。ほとんど参考にならないと思います。ごめんなさい!「地図でつなぐ聖地の旅 筑前国一宮「筥崎宮」(1)九州王朝 その20 から その25」までです。すっごくお暇な時に、気分転換にでも見てやってくださいね!
Commented by lunabura at 2015-03-30 23:52
チェリーさん、こんばんは。
作礼山が三女神と知って驚きました。
続きはゆっくりと拝見します ^^
Commented by チェリー at 2015-04-05 21:12 x
lunaさん、こんばんは。
くぬぎの巨大樹の画像を作りました。本邦初かもしれません!ただ、「古事記の神々 景行天皇(6)筑後の国・日高見の国」にたどり着く前に、絵を作ってしまっていましたので、1649mではなく、2939.1mになってしまいました。ごめんなさい。
とんでもなくお暇な時に、ぼーっと眺めていただけたら幸いです。「地図でつなぐ聖地の旅 筑前国一宮「筥崎宮」(1)九州王朝 その26」です。
Commented by lunabura at 2015-04-05 23:43
チェリーさん、こんばんは。
くぬぎの巨木。ステキですね。面白かった♪
先月九州の視界が良かった日には佐賀で80キロほど遠くが見えたという話です。阿蘇は噴火しているので、古代にはさらに遠くからも確認できたと思います。
『古事記の神々』私も読みなおさなきゃ。すっかり忘れています (^_^;)
Commented by チェリー at 2015-04-22 01:47 x
lunaさん、こんばんは。
三女神の伝承の宮々(4)の中から引用させていただきました。ありがとうございました。「地図でつなぐ聖地の旅 筑後国一宮「高良大社」その4」です。
まだ途中ですので、本当にお暇な時に、覗いてやってくださいな…
Commented by lunabura at 2015-04-23 00:47
すごく緻密に進められているんですね!
カシミールとか臨場感があって、すばらしい。
古代人の測量へのこだわりが少しずつ理解出来てきます。
いつもありがとうございます♪
by lunabura | 2015-01-19 20:01 | 三女神伝承の宮々 | Comments(8)

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