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ひもろぎ逍遥

志式神社(7)荒ぶる神 火酢芹神 大人になって読む海幸山幸


志式神社(7)荒ぶる神 火酢芹神

もう一人の海幸彦
大人になって読む「海幸山幸」

志式(ししき)神社に戻ってきました。

神功皇后の祭祀した神々を見て行くと、
天皇家の一員である皇后が畏れていた神々や、心の支えとした神々が分かり、
彼女の生きた時代より前の筑紫の神々の分布が浮き彫りになるという
思いがけない収穫がありました。

この志式(ししき)神社は、
神功皇后が神楽を舞って荒ぶる神々を御慰めした神社です。
   
当社の「三良天神」を改めて書いてみましょう。

 火明(ホアカリ)の神 (ニギハヤヒ)
 火酢芹(ホスセリ)の神 
 豊玉姫神

この「三良天神」(さぶろうてんじん)が荒ぶる神として祀られていたということです。
この神々は「天神」であり、しかも「良」という字が当てられています。
怒りを鎮めるためでしょうか。
この三柱は「まつろわぬ神」ではないのです。
「天神」なので天皇家の流れでもあるのです。

今回はその中の一柱、「火酢芹神」について調べて行きましょう。

3年以上前に「志式神社(5)哀しき神々たち」を書いたときは、
「火酢芹神」とは、山幸彦海幸彦の三兄弟の中の一人であり、
山幸彦と海幸彦の間で歴史に埋没した神だと認識していました。

「ホデリの命」だけを「海幸彦」と思っていたのです。
しかし今、改めて『日本書紀』を開くと、いくつもの異伝が載せてあり、
「火酢芹神」を「海幸彦」としたものも在るのが分かりました。
つまり、「海幸彦」は二人いたということです。

誰が誰だか、分かりませんよね。
ますは、久し振りに馬見神社に掲載した系図を引っ張り出しましょう。

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さて、この系図では「火酢芹命」は三人兄弟の次男として書いていますが、
これがオーソドックスな系図だと思います。

これはこれで間違いではないのですが、先程書いたように『日本書紀』の異伝には
「火酢芹命」を「海幸彦」とした話も記載されていました。

ですから「海幸彦」は記録によって、
「ホデリの命」だったり「ホスセリの命」だったりしていたのです。
どうやらこの志式神社では、この火酢芹神を「海幸彦」として祀ったようなのですね。

「山幸彦」と「海幸彦」の物語を大人になって読んでみましょう。
新しい発見があるかも。

では、別伝を訳してみます。 
ある本にはこう書いてあります。
兄の火酢芹命は海の幸をよく得ていました。
弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は山の幸を得ていました。

ある時、兄弟は互いにその幸を取り替えようと思い立ちました。
そこで、兄は弟の幸弓(さちゆみ)を持って山に入って獣を狩りに行きましたが、
獣の乾いた足跡さえ見つける事ができませんでした。

弟は兄の幸鉤(さちち)を持って海に入って魚を釣りましたが少しも釣れませんでした。
ついにその幸鉤を失ってしまいました。

そのあと兄は弓矢を返して、貸した幸鉤を催促しました。
弟は悩んで佩いていた横刀(たち)で釣り針を作って
箕(み)一杯に盛って兄に差し出しました。
しかし、兄は受け取らずに「やっぱり私の幸鉤がいる」と言いました。

彦火火出見尊はどこを探せばいいか分からず、ただ嘆いていました。
そうしながら海辺に着いて、たたずんで嘆きました。

その時、長老(おきな)が現れて、塩土老翁(しおつちのをぢ)と名乗り、
「あなたは誰です。どうしてここで嘆いているのです。」と尋ねました。
彦火火出見尊はつぶさに事情を話しました。

老翁はすぐに袋の中の玄櫛(くろくし・縦長の櫛)を取って地面に投げると、
櫛は五百筒竹原(いほつたかはら)になりました。
そこで、その竹を刈り取って、大目麁籠(おおまあらこ)を作り、
彦火火出見尊を籠の中に入れて海に投げました。

そうして彦火火出見尊が海の底にある小汀(おはま)に着くと、
海神豊玉彦の宮がありました。
その宮は城門が高く、楼閣は麗しく壮大でした。
門の外に井戸があり、その傍に桂の木がありました。

その下に立っていると、しばらくして一人の美人がやって来ました。
美しい顔をしていて、従者たちが大勢従っていました。
玉の壺で水を汲むと顔をあげて、彦火火出見尊を見つけました。

驚いてすぐに宮に戻ると、父の神に言いました。
「門の前の井戸のほとりの木の下に貴い方が見えています。
骨格が ただびと ではありません。

もし、天から降られたのならそれらしいクモリがあるだろうし、
地から昇って来たならそれらしいクモリがあるでしょうが、
この方はとても美しい。
虚空彦(そらつひこ)という人でしょうか。」

そこで、豊玉彦は人を遣わして尋ねさせました。
「客人(まろうど)はどなたですか。どうしてここに来られたのですか。」
彦火火出見尊は「私は天神の子孫です。」と答え、訪ねた目的を伝えました。

そこで海神は丁重に迎え入れてねんごろに仕え、
娘の豊玉姫を妻として差し出しました。
こうして海宮に留まって三年が経ちました。

こののち、彦火火出見尊がしばしば嘆くようになりました。
豊玉姫は「天孫は、もしや故郷に還りたいのではありませんか?」と尋ねると、
「そうなんだ。」と答えました。

豊玉姫が父神に
「ここにおられる貴い客は上国(うわつくに)に帰りたいと思ってらっしゃいます。」
と言うと、海神は海の魚をすべて集めて、釣り針を探しました。

一匹の魚が「赤女(あかめ)(あるいは赤鯛)が長らく口が病気だと言っています。
これが呑んだのではないでしょうか。」と答えました。
すぐに赤女を召して口を見ると、釣り針が口に刺さったままでした。
すぐに取り出して彦火火出見尊に渡しました。

海神はその時、こう教えました。
「釣り針を兄上に渡すとき、呪って『貧窮のもと、飢餓の始め、困苦のもと』
と言ってから渡し給え。
また兄上が海を渡る時には私が必ず風波を起こして溺れて苦しめましょう」

それから彦火火出見尊を大亀に乗せて本国に送りました。
その別れの時、豊玉姫は
「懐妊しました。風波が強い日に海辺に出ます。
私のために産屋を造って待っていてください。」と言いました。



このあと、いくつか別伝が紹介されています。 

ひといき ^ ^


 (つづく)

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志式神社 奈多の浜




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Commented by 桜もち at 2013-04-06 20:54 x
ホアカリの神とホスセリの神は、高住神社(豊前坊)の祭神と同じですか?

似た名前でも別…ということが日本の神々にはよくあるので理解出来ずにいます(笑)。
Commented by lunabura at 2013-04-06 21:04
こちらには高住神社の資料がないので、何ともいえないのですが。
ホアカリの神とホスセリの神なのですか?
しかも鷹が住む神社?
そう、そちらは高木神社が多いんですよね。
あとは高良大社の麓と星野村らしくって。
いよいよ古代の深層かな。
高住神社の祭神が分かったら教えてくださいませ。
Commented by 桜もち at 2013-04-06 22:21 x
高住神社(豊前坊)

祭神:豊日別大神、天照大御神、天火明命、火須勢理命、少名毘古那命

境内案内板による社伝『太古よりこの嶺に降臨した神があり、万民の病苦を救い刀剣の術を司り火災を防ぎ牛馬の安息を守り豊国人の諸願を満たさんとの御神託があって鎮座したといい、遠く継体天皇の御代藤原恒雄によって創建されたと伝えられます。現在でも農業や牛馬、家内安全の神として崇敬厚く、また火伏せの神とも知られ、火難除のお宮として名高く知られています。』

もと英彦山神宮の境内摂社で、鷹ノ巣に祀られていたそうです。現在でも彦山修験者(山伏)の信仰があるのが、この豊前坊です。
Commented by lunabura at 2013-04-06 23:05
高住神社も、「天火明命」と「火須勢理命」がセットなのですか (@_@。
刀剣と火の神。
葦の穂を焼いて作るスズ鉄の神。
ですね。
豊日別大神とはまたすごい。
で、桜もちさんはどんな推理を?
Commented by 愛読者 at 2013-04-07 10:07 x
もれはありませんが、「即時権現攀登彦山之曰」の「曰いはく」は「日ひ」のようです。
桜もちさん、残念ながら『豊之前州彦山縁起』の原文は手元にありません。「神道大系 神社編50 阿蘇・英彦山 」(神道大系編纂会編1987年)に活字では載っていますが、写真があったかどうか・・・。(今手元にはありませんので、大きな図書館に行く機会があれば調べてみますが・・。お急ぎならそちらの近くの図書館でも尋ねてみてください。
Commented by lunabura at 2013-04-07 21:17
愛読者さん、わざわざ調べて下さってありがとうございます。
安心して取り組めます。
これからも、よろしくお願いします ^ ^
Commented by 桜もち at 2013-04-08 12:18 x
るなさん、こんにちは。

危うくスルーするとこでした。星野村といえば…『星野金山』ですよ!以前、羽白熊鷲の支配範囲を朝倉地方全域ではないかと言った根拠のひとつが、この金山があるからだったのです。浮羽から山越えしたら星野村ですよね…。
高木の神さまは『鉱山関係者』ですか?

愛読者様、アドバイスありがとうございます!
添田町の図書館に行ってみます。
Commented by lunabura at 2013-04-08 20:25
桜もちさん、こんばんは。
星野はそうそう、金山がありましたね。
ここは八女市になります。
巨石もあるし、星野村のHPを見たら、高木氏もいますね。
御良神社という祭神不明の神社があって、御霊の好字ではないかと。
びっくり、この志式神社も三良なんですから。
星野は鷹取山。
そして、伝わるハムヤ舞いでまたびっくり。
ハムヤ舞いは大和町の鷹尾神社が発祥みたいだし。
ちょっと繋がり過ぎ。
Commented by 桜もち at 2013-04-08 23:31 x
どうやら『鷹群山』で正解のようですね。

高住神社の祭神ですが、豊日別大神=地主神=大己貴(大国主)で入れ替わっているような気がします。根拠は彦山山伏の峰入り行場のコース上にある神社に大己貴が祀られているので。(例えば、直方市上頓野の八幡神社合祀の尺岳神社下宮、桂川町土師の老松神社…等)
天火明命・天須勢理命を祀っていたのは英彦山麓の添田町の庄原遺跡の人々ではないかと…添田町HPによると庄原遺跡からは『金属溶解炉』と『銅やりがんな鋳型』が発見されているそうです。(これについては他の地区の遺跡も確認しなくてはいけませんが。)
Commented by lunabura at 2013-04-09 20:31
桜もちさん、こんばんは。
HPみました。庄原遺跡、2100年前、すごいですね!
まさか、考古学者も、近畿からここまで捨てに来たとは言わないでしょう。
(吉野ヶ里では、そう言われたとか)
距離が分かりませんが、その集団は必ず火の神を祀ったはずなので、
桜もちさんの推論でいいのでないでしょうか。
鷹群山ですね。
そういえば、大分には猪群山(いのむれやま)もあることだし、
ダジャレから、コマだったりして (^-^)
愛読者さんが、高牟礼山の鷹の話をコメントしてくださっているので、
そちらも合わせてみてください。(「ちょっと」の記事に)
Commented by MIYO at 2013-04-11 08:47 x
るなさん、おはようございます。
突然ですが、夢を見ましたので「夢見力」のほうに投稿させていただきました。
夢見力は更新度が少ないようでしたので、こちらにもお知らせで投稿させていただきました<m(__)m>
いつも興味深く拝見させていただいてます。
ありがとうございます。
Commented by lunabura at 2013-04-11 10:27
MIYOさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
御返事は夜になって、夢見力の方に書きますね。 ^ ^
by lunabura | 2013-04-06 19:24 | 志式神社・ししき・福岡市 | Comments(12)

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