ひもろぎ逍遥

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高良大社(10)税として納められた鷹と鷹鳶神人


税として納められた鷹と鷹鳶神人

 高良大社

只今、当ブログの話題は英彦山や高良山、星野村など
福岡の山岳に鎮座する高樹神社や高木の神などに及んでいます。
その山々には鷹が神として飛来する話があるので、
鷹の話題で盛り上がっているのですが、

今回、愛読者さんから、奈良時代に
筑後の国から鷹と鷹匠などが税として納められていたという
面白い記録を紹介していただきました。
その話の中に出て来る、「鷹鳶神人」の持つしるしの写真があるので、
コラボで紹介します。

まずはコメントから。これは「ちょっと」というタイトルの記事にあります。



愛読者:
もうひとつ「鷹」と「高良別宮」ですが、
「筑後国天平十年(738)正税帳」に
「貢上鷹養人参拾人」(略)「貢上壹拾伍頭」、
同じく「周防国天平十年正税帳」に
「従大宰府進上御鷹部領使(ことりづかひ=先導役)
筑後国介従六位上日下部宿禰古麻呂将従三人、持鷹廿人、(中略)御犬壱拾頭」
とあります。

当時筑紫から「御鷹」が筑後の日下部氏に先導され、
併せて「30人の鷹養人・犬25頭・20人の鷹持ち(当然鷹も20羽以上)」が
税として貢がれたというものです。

このような莫大な鷹の献上は筑紫からしかありません。

そして、「筑後の日下部氏」とは、高良大社官長職の日下部氏で、
高良大社御神期大祭の御神幸には羽の付いた冠を被った「鷹鳶」の行列が見られ、
筑後久留米市草野町には「隼鷹(はいたか)天神」もあります。

「御鷹・御犬・鷹持」等の尊称から、
鷹狩は高良玉垂命=九州王朝の尊い行事だったと思われます
(もちろん神功皇后とも関係)。
(「正税」とあるから天平10年に大和朝廷に召し上げられたことになる!!)



るな:
これは、面白いですね!!
税から鷹の話が出て来るとは。
しかも、日下部氏なんですね。
私は高良大社の勅使祭の、その写真を撮っているので、
愛読者さんのコメントと、私の写真でコラボの記事を書きましょう。
とても重要な位置にありましたよ。 (^-^)



ということで、早速行列のイラストを挙げましょう。

c0222861_0485829.jpg


これは2012年10月14日に催行された高良大社神幸祭の行列の一部です。
本来50年に一度あるのが、臨時的に20年目に催行されました。

鷹鳶神人は行列の中でちょうど中央に位置するのですが、
コメントに書いたような重要な位置ということはありませんでした。<(_ _)>

鷹鳶神人の冠を見ると、確かに羽根が挿してあります!!
全然気づかなかった。
私はそれよりも、掲げる太陽らしきシンボルに夢中だったのです。



c0222861_0491921.jpg


ごれが実物。
よく見ると、今回の神幸祭では烏帽子(?)のままですね。
この人が「鷹鳶神人」というのですが、手に持っているのは
太陽という解釈でいいのでしょうかね。
巴神人の後ろに日月神人がいて、そちらにも太陽のシンボルがあるので、
また別の解釈があるのかも、と思ったりもしています。

高良山は「高牟礼山」とも言うのですが、
冗談で「鷹群山」と書いたら、
少なくとも20羽以上の鷹が税納されたというのですから、
確かに鷹が群れ飛んでいたのかもということになりました。

鷹の飼育人30人、鷹匠20人、犬(狩用だと思う)15匹が納められる環境なのですから、
大規模な鷹狩りの為の繁殖や訓練組織があったはずです。

現在の鷹匠は大変少なくなっていて、
佐賀県の女子高生が鷹匠になったという報道を見ました。
カラス対策にすごい効果があるそうです。

鷹の群れ飛ぶ高良山、鷹群山か…。
在り得るかも。



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by lunabura | 2009-12-27 00:53 | 高良大社・玉垂宮・久留米市 | Trackback | Comments(23)
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Commented by こんばんわん at 2013-04-10 02:25 x
 こんにちは。
 鷹の話題ですが、北九州市八幡西区にある鷹見神社は「西暦705年、役行者が、熊野山で、熊野三山の大神の招請を祈願したとき、神殿から飛び立った多くの鷹が、当該の権現山に飛来したので、鷹見山大権現と号した」とあり、鷹の飛来というのが気になっていました。
 英彦山の鷹の伝承についても、吉兆というより(このブログでの皆さんの意見を拝見すると)、武力侵攻的なものを想像してしまいます。
 私は、鷹→鷹の羽→矢羽根(鷹羽が最適)→武力侵攻と、安易に連想していますが、この時代、鷹の飛来はどのような意味がありそうでしょうか?

 るなさんや、他の皆さんの話は、古代への興味を駆りたたせてくれることばかりで、感謝しきりです(^ー^)
Commented by lunabura at 2013-04-10 20:33
こんばんわんさん、こんばんは。
鷹見神社にも鷹の飛来伝承があるのですね。
確かに、これまでの飛来ケースは地主神にとっては、吉兆ではない雰囲気が漂っていますね。
鷹の厳しい印象からも、伺えます。
ところで、矢羽根の最適なものが鷹羽とは知りませんでした。
そうすると、鷹の羽根の需要は大きく、クニの財産として貴重なものだとなりますね。
その鷹の羽をトーテムにする集団がどんな集団だったのか、
白鷺を吉兆とした神功皇后などと比較しても面白いなと思いました。
新たなキーワードですね。
鷹。
ちなみに、パパさんは、だから福岡にホークスが来たのかと。
おいおい。
次元が違うだろ。 (^-^)
Commented by 桜もち at 2013-04-10 21:25 x
るなさん、こんばんは。
どーも私は『鷹』と『鉱山』の関係から抜け出せなくて…『犬』といえば坑道の守り神ですよね…炭鉱のタブーに口笛禁止というのがあって、口笛を吹くと守り神を呼び寄せてしまい落盤事故に繋がるという理由からで…これは元々、鉱脈を探す人々のことを『犬』と呼んでいたからだと聞いたことがあります。
この儀礼の原型は『鉱山人夫の献上』なのでは…って考え過ぎてますね(笑)

そういえば、シリウスも『犬』でしたね!英名で『dog star』希神話で『ライラプス(ケパロスの犬)』、うーん、やっぱりヘーパイストスに繋がる…。
Commented by lunabura at 2013-04-10 21:56
桜もちさん、こんばんは。
鷹と冶金集団の関わりはおっしゃる通りだと思います。
特に福岡の山岳地帯の古い時代の紐解くのに大切なキーワードです。
こういうと八方美人みたいですが、桜もちさんとこんばんわんさんの見ている時代が違うんだろうな…と思っています。
しかも、古い神に新しい神を重ねる時に、古いトーテムを利用する事もあるので、注意が必要だと思っています。
紀元前の青銅文化は現代人の技術を凌駕するものもあるので、
早く実態が知りたいですね。
Commented by 桜もち at 2013-04-10 22:28 x
私も『八方美人』の一人ですよ(笑)
『鷹狩』目的以前は『矢羽根』=『武器献上』だったのでは…と思います。

『高木の神さま=鷹(or鷲)』VS『アントンイソラ=犬』で、『ハッティ』VS『ヒッタイト』に繋がるのではないかと…妄想中(笑)です。
Commented by lunabura at 2013-04-10 22:52
そうか。そう来ますか。
でも、ハッティ=ヒッタイトではありませぬか。
ところで、那国の王が一時、高良山に逃げ込んだという話もあるので、
鷹VS犬は可能性あり。
那国王=安曇の君という歌が志賀海神社にあります。
Commented by 桜もち at 2013-04-10 23:21 x
いえいえ。
ハッティ≠ヒッタイト ですよ。
ハッティはヒッタイト以前のアナトリア先住民です。トルコのガイドブック(WORLD GUIDE '07)に掲載されているので間違いないと思います。(トルコ旅行の際に購入したもので情報が古いので鉄生産のことは載ってないのですが…)

安曇氏のお話、詳しく教えて頂けますか?(ワクワクするのですが!)
Commented by lunabura at 2013-04-10 23:46
そうなんですか。
じゃあWIKIが違ってるんだ。
それで、アナトリア先住民なんですね。
安曇の話は名島神社(4)に書いているので、サイドバーから名島神社に入ってください。
ここは、ある秘密があるのですが、しっかりと読みこめば分かるようになっています。
(私からは語る立場にないので)
秘密が分かっても、コメントに書かないでくださいね。
Commented by 桜もち at 2013-04-10 23:55 x
了解しました!
Commented by こんばんわん at 2013-04-12 01:58 x
 こんにちは。
 皆さんの話題の時代と差があり、ご迷惑をおかけしました(^o^;)
 実は、上記の鷹見神社ですが、前述の由緒より前の時代に、“神功皇后が、帆柱山で木を伐採したため、木の国の熊野神社を勧請したのが始まり”と聞いたことがあったのですが、きちんと確認できていないため書けず・・・新しい時代の話だけになってしまいました。
 木を伐採した分、きちんとお祀りする・・・なんだか、るなさんのブログから感じる神功皇后のイメージにぴったりな気がして(^―^)

 ちなみに、久留米市には鳥飼という地名があり、昔は鳥養という地名もあったようです(鳥養部だと思います)。
 なお、米焼酎の『鳥飼』は、酒造会社の社長の名前からとったらしく、鷹とは関わりが無いようです。残念・・・。
Commented by 愛読者 at 2013-04-12 10:47 x
「こんばんわ」さま。「木の国の熊野神社」とある「木の国」とは紀州ではなく福岡・佐賀の堺、基肄・基山の「基の国」だと思います。
現地伝承でも基山(きざん)はもとは『木の国』で、『日本書紀』の木・植林の神「五十猛命」が最初に木を植え始めた地域とされています。
そして、基山は五十猛命を祀る霊山としてあがめられ、「日本最初の植林地ー基山」という碑も設けられています。
(『書紀』に「五十猛神が初めて天降る際、多くの樹の種を持ち帰り、筑紫より始めて大八洲国内に播殖した(要約)」とある)
神功皇后が新羅戦のため木を伐採して船を造ったなら、その場所は筑紫のはず。わざわざ遠い紀州ではなく、近くにある「基山」を尊び、そこから神社を勧進するほうが自然ですから。
(基山町園部の大興善寺境内に熊野神社の古社がある)
どうでしょうか。
るなさん、高良大社神幸祭の絵に、志賀海神社の山誉め祭りに出てくる「八乙女」の姿がありましたが、何か繋がりがあるんでしょうか?
Commented by 愛読者 at 2013-04-12 18:07 x
今思いついたことですが・・
紀州(紀の国)を何故「紀伊(きい)」というのか不明でしたが、五十猛命が祭られていたのは、本来「基肄(きい)」であり、後世大和朝廷はこの神話(五十猛命は天孫降臨に登場)を近畿に持ってくるため「紀国」を基肄と同じ読みの「紀伊」と変えたのではないでしょうか。
元明天皇は713年(和銅6)に、郡・郷名に好字2字を付けるように命じ、紀国を紀伊に変え、720年編纂の『書紀』でダメ押しのように「今は紀伊国に祭られている」(紀伊国所坐大神是也)と書いたのでは・・。
Commented by lunabura at 2013-04-12 20:46
こんばんわんさん、こんばんは。
(口がまめらない ^ ^;)
時代が違うなんて、全然構いません。
お互いにどんどん知識の交換をしましょう。
鷹見神社は帆柱山と関係があったんですね。
神功皇后って、確かにきちんと感謝を形にする。
学びたいものです。(汗)

鳥飼の位置確認しました。
赤司八幡宮の東、耳納山脈が広がって見える所。
ベストロケーションですね。
私はもう少し西よりをイメージしたのですが、案外近かった。
俄然興味が湧いて来ました。 (^-^)
トンビも羽根が利用されたんでしょうかね。
Commented by lunabura at 2013-04-12 20:52
愛読者さん、こんばんは。
木の国は私も同感です。
そうすると、記紀の構造をかなり大胆に読み替えて、
元の形を明らかにする作業が必要だなと思います。
例えば、仲哀天皇が紀伊のトクロクツにいたというのも、
基山にいたとも読める訳で。
水銀鉱山のように、毒性の強い鉱物の産地ではないかと考えています。

八乙女については、その通りです。
この後、ビジュアルで記事にしますね。
Commented by こんばんわん at 2013-04-15 00:56 x
 こんばんは、こんばんわんです。(確かに言いにくいですね^^;)
 『愛読者』さま、ありがとうございます。いつも、深い知識と考察で、リスペクトしています(^o^)
 私も、「なぜ遠い熊野?」と違和感を感じていましたが、鷹見神社近くの熊野神社では、“神功皇后が皇子を熊野に送った”とあり、何か関係があるのかも?と棚上げしていました。
 基山の方が、すんなり受け入れられます。(私は、基山はなんとなく中国の岐山をイメージしていました)
 やはり、記・紀は、筑紫の神話伝承を組み込み、再構成しているのですね・・・。
 実際の歴史はどうだったのが。興味しきりです。
Commented by lunabura at 2013-04-15 21:18
そうですね。
江戸時代の人が神功皇后以前は作り話だと決めつけてから、
みんな自分で調べようとしなくなったようですね。
確かに、江戸や京都にはそのような伝承がないので、
作り話に見えるのでしょうが、
筑紫には生々しい伝承が沢山残されているので、
自分たちで調べて明らかにする必要があると思います。
愛読者さんたちが早くからその点に気づいて啓蒙して下さったので、
地元の私達もどんどん発信して応えたいですね。
Commented by あぶらばく at 2013-04-22 12:09 x
はじめまして。九州の地方神話や神社伝承あたりを楽しんでいるものです。

丁度、九州の日下部氏族と高木神の関係を調べているうちに「ひもろぎ逍遥」のこの記事に辿りつき、とても感動しています。高良の日下部氏が「鷹」に拘わり、神幸祭の「鷹鳶神人」が日章をシンボルとしている写真がとても印象的でした。

また、丁度、北九州の高見、鷹見神社群に行くつもりでおりました。鷹見神社群が熊野に纏わる話も、修験に拘わる伝承だけではなく、古層のものの予感。そして鷹羽が「矢羽根」に纏わるのではないかというコメントも、とても画期で驚いています。

また、赤司八幡宮付近の「鳥飼」の話ですが、福岡や摂津の鳥飼氏が神武天皇の上陸地、日下江(草香江)に拘わることで、鳥飼と日下部氏との関係を思わせ、赤司が高木神に纏わるとされる筑後の高木氏の本地とされることが繋がりますね。

興味深い記事ばかりで感動しています。また、おじゃまさせていただきます。
Commented by lunabura at 2013-04-22 20:33
あぶらばくさん、はじめまして。
鷹鳶神人の持っているのはやはり「日足紋」なのですか。
そして鷹鳶神人とは日下部氏なのですか?
菊地氏が鷹の羽の紋を使う前がこの日足紋だったとか。
また、地図をみたら、草香江の傍が鳥飼ですね。
鳥飼神社の元宮がその近くだったようで。


神武天皇の上陸地が日下江というのも、記事にしてありますか?

ブログを拝見しましたが、興味あるテーマばかりでした。
それぞれの研究が補い合って、筑紫の歴史が明らかになればと思いました。
これからもよろしくお願いします。
Commented by あぶらばく at 2013-04-23 08:25 x
こんにちは lunaburaさん。お返事、ありがとうございます。

>鷹鳶神人の持っているのはやはり「日足紋」なのですか。そして鷹鳶神人とは日下部氏なのですか?

「日足紋」は日章でしょうから、デザイン的には同じではないでしょうか。「鷹」と重ねられる高木神との拘わりを思わせる「鷹鳶神人」が日章をシンボルとすることで、「日足紋」を使う筑後の高木氏族が日下部氏族と重なることを補完する事象では。
日下部とは本来、日下(くさか)の職務を行う集団と思われ、九州の日下部氏族が多く神祇職であること、銅鏡に拘わることで、日下(くさか)の職務とは「日」に纏わる祭祀とされるようです。

>菊地氏が鷹の羽の紋を使う前がこの日足紋だったとか。

これも高木神由来とされる高木氏族と日下部氏族の関係を補完する事象でしょうね。

>神武天皇の上陸地が日下江というのも、記事にしてありますか?

神武天皇の上陸地が河内の「日下(くさか)の蓼津」とされ、河内の草香邑、「草香江」でした。河内では「日下」と「草香」を重ねて使っているようです。私のサイトでは「筑紫の草香江(くさがえ)の話」に書いております。
Commented by あぶらばく at 2013-04-23 09:02 x
じつは、このテーマは九州の古代史において最も奥の深いもののように思われ、永く、取り組んでいるのですが未だに整理できません。lunaburaさんのお知恵を拝借できればなどと考えております^^。

概要は、まだ文章化していないのですが、某サイトに書いたものを私のサイトの冒頭に「メモ 九州の古代王権。」と題して転載いたします。長すぎてこのコメント枠には入りませんでした。よろしければ、ご一読ください。あぶらばく拝。
Commented by lunabura at 2013-04-23 21:43
あぶらばくさん、お返事ありがとうございます。
高木神を理解する事は九州の古代の層を深く掘り下げて行かねばならない印象がありますよね。
訪問者の皆さんも、その辺りをとても知りたいと思ってあるようです。

交流が出来るようにリンクさせてくださいね。
それでは後ほどお邪魔します。
Commented by あかしのしそん at 2016-01-26 20:43 x
高牟礼=鷹群、おもしろいですね。
耳納連山で鷹というと私は鷹取山を思い出しました。
何か関係するのでしょうか?

基肄など私の乏しい知識でも知ってる単語が出てきて、コメント欄も勉強になります。

高良玉垂宮については他にも記事があるんですね。また読ませて頂きます♪
Commented by lunabura at 2016-01-26 21:58
そう、このブログ、コメントの内容がすごいんです♪
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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