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綱分神社(2) 銅の道と青銅の中広銅戈


綱分神社(2)
銅の道と青銅の中広銅戈

さて、今週は弥生時代の飯塚市あたりをうろうろ逍遥しています。
今日は綱分神社の再考。

この神社には神功皇后が金石山を三面宝珠の神山だと言って、
金工に三振りの宝剣を新たに作らせて奉納したという伝承があり、
奈良時代になって、実際に三つの甕にそれぞれ青銅の銅戈が入っていたのが
発見されたという考古学的な興味も重なる聖地。

しかも、その銅戈は大正時代に考古学者によって確認されていて、
中広銅戈だと分かっている。

その現物は失われているけど、極似したケースが山塊の反対側にあって、
そちらでは九振りの銅戈が発見された。
それは糸田町宮山の大宮神社付近と庄内町史に書かれている。

青銅の中広銅戈。
どんなものだろう。
各資料館などが持って行って現地にはないので、
見る事が出来ずにがっかりしたけど、
今回ネットで検索すると、
所蔵している東京国立博物館が写真を公開していた (^o^)/

これがそれ。
c0222861_20291977.jpg

画像出典 東京国立博物館 http://www.tnm.jp/

中広形銅戈

画像番号: C0020912
列品番号: J-34799
出土・国: 福岡県田川郡糸田町下糸田字宮山出土
時代: 弥生時代_後期
形状: 長38.7_関幅11.8_身幅7.0_茎長2.9_茎幅2.9
備考: 重512g


弥生時代後期ということで、神功皇后の時代と重なっている。
きっと当時は白銀色をしていて、弥生の素焼きの甕に入れられたんだね。



しかし、まだ疑問は残る。
そう簡単に新たに青銅の銅戈って作れるのかいなという疑問。
これについて検索すると、夏休みの子供向けのイベントでも簡単に作れることが判明。

それは二日間のイベントで、一日目はデザインと鋳型づくり。
二日目は銅とハンダを七輪で溶かして流し込み。
溶かす時間はわずか20分。午後には磨き出し。

七輪で簡単に作れた…。
資材さえ揃えば簡単にできるんだ !(^^)!

これはそのイベントの要綱。
[PDF] 平成16年度 「古代の青銅鏡づくり」

https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:cQH9vRKGnAsJ:www.mogurin.or.jp/museum/library/kyoshitsu/text.pdf+%E9%9D%92%E9%8A%85%E5%99%A8%E3%80%80%E6%9D%90%E6%96%99&hl=ja&gl=jp&pid=bl&srcid=ADGEESgBk1rCyK_AAdUBocVg1UZIkIX_OxwN8U621oCQlPkyGGo0wLBoPr_a5T-mIkZSkbVXxDhjDuzknHKAMtbys5iX-AkC6Rof8MhGRygZCvSg79mYL-9Q13-dTM_IFhvRFx7fT-kx&sig=AHIEtbTe-563E9miEs4ku96x4YtrVm2-8w

こうして、ずっと持っていた疑問が一気に解けました。

さて、
『庄内町史』によると、ここには弥生時代から人々が住み始めたという。
そして銅の伝播の道の中継点。

春日市で須玖遺跡の付近で大量の中広銅戈が出土している事から
銅の伝播の道が福岡平野から遠賀川上流域を通って、
ここに至り、豊前へ抜けて行くという。

それは神功皇后が百官百寮を連れて東へと向かう道とぴったり重なり合った。

そして、この山を越えれば、あの位登八幡宮に出る。
そう、神功皇后が半年滞在した所。
それを迎え入れたのは田原麻瑠

田原麻瑠のクニは
景行天皇が土折猪折を殺した所ではないかと先月、話が盛り上がったエリア。
そうすると、それまでは土折猪折たちは
この山の中で銅を生産していたのかもしれない。

銅戈は春日市で沢山出土したけど、
その原材料はこの金石山を含む関の山山塊から出たかもしれない。

しかし、景行天皇が土折猪折を殺した事は、生産技術者を殺した事になる。
銅生産は続行できたのだろうか。
いや、トップが変わっただけで継続されたか。
神功皇后が報恩の祈りを捧げたということは、ここは天皇家の支配下にあったのだろう。

一方、神夏磯姫は香春岳の生産を開始していた。
それも春日市に届けられたのかもしれない。

銅の道とは、奴国からの銅戈製作技術の伝播であるとともに、
奴国への原材料の出荷という、双方向の道だったのではないだろうか。

地図を見ると山の所で切れるから、まるで別の所のようだったけど、
こんなに近距離。
ラセン階段を下って行くように、あちこちが繋がっていく。

今回もメモにて。



地図 綱脇神社 位登八幡宮 宮山



綱分(つなわき)神社はサイドバーからどうぞ。








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by lunabura | 2013-04-19 20:40 | 綱分神社・つなわき・飯塚市 | Trackback | Comments(14)
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Commented by 桜もち at 2013-04-26 22:21 x
るなさん、こんばんは。

またまた『シンクロ』していたようですね!先日から、この綱分神社裏の山塊(笑)の田川側を調べてまして、糸田の大宮神社(銅戈出土地)付近から田川市川宮付近をウロウロしてました。
実は、るなさんの山ほめ神事のレポートを拝読させて頂いてから『鹿』繋がりで英彦山を別視点から調べてまして、ある神社伝承から、この山塊(金国山・船尾山・関の山・日王山)の周辺を精査してます。
以前、猪折の話題のときに出てきた金国山に『天忍穂耳尊』と『息長大姫日尊』を祀る祠があったそうです。名称の違いはあるものの『香春神社』の祭神と同一だと思うのですが…。
Commented by lunabura at 2013-04-26 23:05
桜もちさん、お久し振りです!
ついにこの辺りの調査をしているんですね!!
『天忍穂耳尊』と『息長大姫日尊』ですか!
ライン上にぴったりと乗ってくるんですね。
三女神もその辺りにあるといいなあ。
それにしても、「鹿」なんですか?そりゃまた何でしょうか。
今日、和歌山の熊野神社の元宮は英彦山だという話を思い出していた所です。
ところで、日若神社の先は車道は消えているけど、登山道とかはあるんでしょうか。
神武天皇が通った道が知りたいです。
Commented by 桜もち at 2013-04-27 00:59 x
やっぱり!るなさん、『忘れとったぁ』ですね(笑)
以前の日若神社(4)の記事に日王山のことと、三女神、神武天皇のこと記載されてますよー。

日若神社は行ったことがないのですが、たぶん、そこから大山林道に抜ける道があると思います。大山林道をつたうと国道201号の烏尾峠手前の『大山林道前』という信号機のある交差点に出ます、そこから県道476号に入り暫くすると左手にゴルフ場があるのですが、その反対側(つまり右手側)が頴田町側の日王山山麓です。ゴルフ場入口前を過ぎて暫くいくと左手側に厳島神社、更にその先約1kmに鹿毛馬神護石が右手側にあります。
Commented by 桜もち at 2013-04-27 01:05 x
そういえば、英彦山の『縁起』が中途半端になってましたね(笑)…高木の神さまと太宰府、金星も中途半端でしたね(汗)。気長にお待ち下さい。必ず御返事致しますので(笑)。
たぶん、熊野神社の元宮が英彦山というのは修験道からきているのではと思うのですが。
鹿は、英彦山の神獣が『鹿』なのです。で、鹿繋がりで田川市の春日神社を調べたら『船尾山』に降臨伝承があったのです。

あと!田川市川宮の『若咲神社』には皇后が夏羽追撃途次に立ち寄ったという伝承がありましたよ。

神武天皇の移動ルートですが、飯塚市立岩の熊野神社にも伝承がありましたよ。
『馬見』に関してはひとつ疑問があるのですが…。
Commented by lunabura at 2013-04-27 23:22
桜もちさん、ありがとう。
ちゃんと、三女神と日王山のことを書いていました (・.・;)
やはり「忘れとったあ」に改名しまひょ。
地図を2冊並べてようやくイメージが出来ました。
現代の地図は山で切れるので、
古代人向けの山を中心とした地図が欲しいですね!

鹿と春日で思い出しましたが、鹿島神社まで行ったら、
元宮は志賀海神社ということで、唖然としたことを思い出しました。
(どこかに書いてます。何処なのかは忘れております)
シカと船がどうもセットで出て来ますね。
桜もちさん、鹿毛馬神籠石も含めて、そこら付近をいつか案内してください。
Commented by lunabura at 2013-04-27 23:25
追記
鹿島の元宮は春日で、どちらもトーテムが鹿です。
志式神社の磯良舞の所にセリフを書いています。
春日にはイソラをモチーフとした細男舞があります。
Commented by 桜もち at 2013-04-28 23:40 x
るなさん、こんばんは。

細男舞のイソラとは…八幡古表神社のと同じですか?以前、テレビ番組でこの神事をみたときに明けの明星と宵の明星を伴ってイソラ神が出てきたような記憶があるのですが…。

『鹿』のおかげで少々混乱しております(涙)
馬見神社の祭神は『ニニギ』でしたよねぇ…。
質問なのですが、『馬見』が何故『物部』なのか教えて頂けますか?
これが解れば、遠賀川流域の見解を変えなければいけなくなる…。

『馬見』と、この山塊の謎が解けたら、神武天皇移動ルート(馬見山麓~鹿毛馬神護石)をご案内させて下さい。たぶん、山塊周遊コースになると思いますが…。
Commented by lunabura at 2013-04-29 00:24
桜もちさん、こんばんは。
イソラは八幡古表神社の磯良神と同じです。
シリウスのまばゆい輝きがあの白い布です。
だから、金星を従えている訳です。
サイドバーの「安曇磯良」で画像を特集しているのでご覧ください。

物部が馬見に案内した話は「日若神社(4)」に書いています。
宗像三女神の上の方です…

「天皇は宇佐島から陸路で田河の吾勝野にお出ましになり、兄弟山の中峯で天祖を祀った。時に、馬見の物部の末裔の駒主の命に出会った。天皇の行幸を聞いて、遠くよりお迎えに出掛けて来たのである。

天皇は大変喜んで、駒主の命が献上した駿馬にまたがって、筑紫に行幸された。その家に行って皇祖を馬見山の上に祀られた。
その北麓を廻ってまさに日尾山にやって来た時に  」
これは私の訳なので間違っているかも知れません。
この場所を特定したいのです。
よかったら教えてください。
Commented by 桜もち at 2013-04-29 01:23 x
以前から、ずっと謎なのですが『旧事本記』(ネット調べ)には『馬見物部』というは見当たらないのですが…『鳥見物部』ならニギハヤヒ降臨随伴者の中の『天物部25部』にあるのです。
もし、旧事本紀の『鳥見』が間違いで『馬見』が正しいのであれば、ニギハヤヒの降臨場所は此の地になると思うので…。
田川の春日神社の伝承と、るなさんの直方の多賀神社に伝わるという『歌』の記事を合わせて考えると可能性はあるのですが、馬見神社の祭神は『ニニギ』なんですよね。
Commented by 桜もち at 2013-04-29 12:09 x
るなさん、こんにちは。

もし『ニニギ』と『ニギハヤヒ』が入れ替わっていると仮定すると…『中峯』とあることから兄弟山は『英彦山』で、馬見の末裔の家は鮭神社のある丘陵地の何処か…とは考えられないでしょうか。『その北麓』とは、この『船尾山』山塊のことだと思うので。因みに、田川の春日神社はHPがあります。そこの由来のなかに『船尾山』の降臨伝承が出ています。

よろしければ、鮭神社付近から日王山まで、ご案内しますよ。
Commented by lunabura at 2013-04-29 19:55
桜もちさんこんばんは。
ニニギとニギハヤヒの問題は、のらさんからも指摘があっていて、
馬見山の屏山の話が出て来ました。
サイドバーのコメント集の中に、馬見山コメント特集を出しています。
(誰が誰か名前をふせています)

物部の研究は福岡の人にしか理解できない土地勘がいるので、
桜もちさん、頑張ってください。
私も、神功皇后の一連の事が終われば、流れに合わせて動く事ができます。
(今、動けなくてストレスです)
6月以降に、よろしかったらご一緒させてください。
Commented by 桜もち at 2013-04-29 22:14 x
いつも、お世話になっております。

『コメントまとめ』拝読させて頂きました!
私の妄想(笑)を各方面から補強して頂いたかのような内容でした!

あと!『三角形』ですが、『太宰府』も『三角形』かもしれないです。因みに英彦山も変形三角形…。

もう少し、高木の神さまとの関係も含めて調べてみます!…っていってもベースは、るなさんの記事なので、私が勝手に連想ゲームしてるだけなのですが…すみません(汗)
Commented by lunabura at 2013-04-29 23:05
事実を積み重ねると、誰もが同じ結論に達するのでしょうね。
私の記事は、個人的な興味を書いているものですが、
古代史や神社の神様を知りたいという方々へ提供するものでもあるので、
どんどん利用していただければ嬉しいです。
各方面でそれぞれ研究したものを総合すると、どんな古代史が現れるのか、
楽しみです。
Commented by メンズ時計ランキング at 2013-10-14 22:15 x
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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