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謎の「15代神功天皇」


謎の「15代神功天皇」


神功(じんぐう)皇后の伝承の宮々を訪ねる中、
「15代神功皇后」「15代神功天皇」という表現があるのをいくつか見ました。

始めは、あまり気にしていなかったのですが、
中国の歴史書に神功皇后が天皇として書かれているのを見つけてびっくり。
(私が知らなかっただけ、なんだけど…)

歴代天皇の名前が列記されているなか、
神功皇后だけが特別扱いされているので、とても変な感じを受けました。
以前、このことをメモしただけだったので、今回は具体的に資料を書きたいと思います。

1 普通の系譜
14代 仲哀天皇(ちゅうあい)  神功皇后の夫君
15代 応神天皇(おうじん)   神功皇后の御子
となっています。


2 筑紫の伝承

高良玉垂宮 皇代15代神功皇后の時、イルヰは日本にハタル。(攻める)その時、皇后は筑前国四皇寺の峯に登り、虚空に向かって祈られた。(高良玉垂宮神秘書)

甲宗八幡宮 人皇15代神功皇后は先皇(仲哀天皇)の志を受けて橿日宮(香椎宮)より軍勢を発し、熊襲国を従え、羽白熊鷲を滅ぼし、土蜘蛛(田油津姫)を誅し、国の西が治まると神託に従って新羅に遠征した。(略)

思うに、神功皇后は女皇として偉くも武勲をたて、応神天皇はその胎中天皇としておのずと威徳を備えられた。(福岡県神社誌)

このように、久留米市の高良玉垂宮と北九州市の甲宗八幡宮では
神功皇后に「15代」を付けて天皇としていました。

「高良玉垂宮神秘書」に関してはかなり無理な系図があるので、
絶対的に信用するという訳にはいかないのですが、
それでも重要な情報が紛れ込んでいると考えている書物です。

文中に出て来る「イルヰ」とは新羅国あるいは新羅人を指すと思われますが、
この時、神功皇后は「15代」天皇として書かれています

次に甲宗八幡宮の伝承ですが、神功皇后を「15代」としたり、「女皇」としたりして、
やはり天皇として扱っています。
ただし伝承中に「56代清和天皇」と出て来ているので、清和天皇を調べてみると、現代でも「56代清和天皇」となっていました。
神功皇后を追加すると「57代」となるはずなので、
甲宗八幡宮の伝承には矛盾があることになります。

3 中国の歴史書
『新唐書』日本伝 (略)次は景行、次は成務、次は仲哀。仲哀が死んで、開化の曾孫女の神功を王とした。次は応神、次は仁徳。(略)

『宋史』日本国伝 (略)次は景行天皇、次は成務天皇である。次は仲哀天皇で、今は鎮国香椎大神と国の人は言う。次は神功天皇。開化天皇の曾孫女で息長足姫天皇ともいう。今は太奈良姫大神とすると国の人は言う。

次は応神天皇。甲辰の年、初めて百済より中国の文字を得た。今、八蕃菩薩という。大臣に紀の武内と言う者がいて、年は三〇七歳。次は仁徳天皇。(略)

『新唐書』は「倭国と日本」の併存が終わって「日本」だけとなった時代ですが、
「天皇」はまだ「王」という名称で呼ばれているようです。
この時、神功皇后も「王」として紹介されて、「開化の曾孫女」とわざわざ書かれています。

次に『宗史』。
「日本」の名称が「日本国」となり、倭国の存在が消えた時代に、
「王」は「天皇」という名称に変わり、
神功皇后は「神功天皇」「息長足姫天皇」と表現されています。
これもまた紹介文がわざわざ付けられています。

どちらも他の天皇は名前の羅列だけなのに神功皇后のことだけは詳しく書かれています。
これがとても不自然に思われるのです。

以上から、「倭国と日本」の併存時代から「日本国」だけになった頃、
「日本国」は「倭国のものだった神功皇后までの系譜」(倭国の系譜)を
自国(日本国)に取り入れたかったのでは、と考えるようになりました。
だから、わざわざ神功皇后の説明だけ詳しいんではないかってね。

それから、千数百年後。
神功天皇の存在が明治前後に再び抹消されたのですから、
これまた不思議ですね。


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by lunabura | 2013-05-23 20:21 | <神功皇后伝承を追って> | Trackback | Comments(7)
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Commented by 愛読者 at 2013-05-24 10:01 x
太奈良姫って面白いですね。ほかに情報ありますか?
本来の「神功」は近畿天皇家の「太奈良姫天皇」だったのかもしれませんね。そこに卑弥呼や壱予・玉垂命なんかが合体された・・・。倭国伝でなく日本伝ですから、近畿天皇家の歴史が、当時の国人の話=地元伝承によって書かれていたとすれば、大変おもろいのですが、どうでしょう。太奈良姫については、まったく無知なので、単なる想像です・・・。
Commented by yokohama8602 at 2013-05-24 18:28 x
素人ですが、楽しく拝読しています。
仲哀天皇亡き後、神功皇后は開化天皇と結ばれたとか、権現塚古墳は開化天皇陵だとか父が話していたのを思い出しました。
Commented by lunabura at 2013-05-24 19:53
愛読者さん、こんばんは。
太奈良姫大神ーどこか普通にありそうな神名ですね。
もしかしたら、近畿にひっそりとまだ祀られているかもしれません。
宋書でしたか、この続きにウガヤフキアエズや神武天皇のことも書かれていいるで、これで解けた!と思ったのですが、
神武天皇の東征地も各地で論争されているので、迷宮入りとなりました。
太奈良姫大神について、誰か、検索の得意な方が調べ出してくれないかな~と甘い考えを持っています。
Commented by lunabura at 2013-05-24 19:55
yokohama8602 さん、はじめまして。
神功皇后の再婚相手、気になりますよね。
ところで、権現塚古墳って、みやま市の古墳のことですか?
そうだとすると、またまた楽しくなります。 (^-^)
Commented by yokohama8602 at 2013-05-25 21:55 x
こんばんは。
権現塚古墳は久留米の大善寺、玉垂宮の近くです。
ここが開化天皇陵なら、奈良の御陵はナニとなりますが、移ったということのようです。
Commented by lunabura at 2013-05-25 22:07
ああ、大善寺玉垂宮のところ。
水沼の君の墓所と言われているところですね。 (^-^)
ありがとうございます。
Commented by くじら at 2014-06-04 11:40 x
yokohama8602 さんへ
久留米在住のくじらといいます。権現塚古墳が開化天皇御陵だというお父様が話、とても興味深く考えています。よろしかったら、もっとお話を聞かせて頂けないでしょうか?
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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