ひもろぎ逍遥

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安曇族と高橋族



「おい、タカハシィー!!!」
目が覚めると、夫が言った。
「タカハシーーー て、男の声で寝言を言ってたぞ。
男の声だった。ウワウワア、とわめいていた。過去世じゃないか」

「え?タカハシ?そんな事いってたの?覚えていない。
友達に一人いるけど、そんな悪い関係じゃない。私が男の声で?」

朝、いきなり言われたけど、そんな夢を見たことも記憶にない。
ましてや、そんな過去世を思い出した事もない。



そして、次の日の夜、寝ながら自問自答してみた。
「タカハシ?」
その時、屋根がバチっと音を鳴らした。
ラップだ。
屋根があんな音を鳴らすのを聞いた事ない…。
私の心の中を内観しても、何もなかった。




翌日。お昼。
トシさんから電話があって、安曇族の話などを伺っていたら、こんな事を聞かれた。
「タカハシ族ってご存知ですか?」
「タ、タカハシ族ですか?」(ゴクリ)

「そうです。平安時代に高橋族と安曇族がいて、交代で都の料理番をしていたのです。
半年ごとに交代するのですが、ある時、高橋族が『安曇族が謀反を起こしている』と讒言して、信じられてしまい、安曇族は追放されたのです。阿曇ハマコと言いました。」
「初めて聞きました…。」
これだったのか…。

「ちょうど、道真と同じようにですね。」
「そんな事があったのですか。」

私の寝言というのは、これを指していたのだろうか。
裏切られて、絶叫する安曇族。

寝言のようすをよくよく聞くと、
「オイ、高橋。ヤイ、高橋」という言い方をして、まるでやくざのようだったとか。

思えば、私は、よくよく安曇族に縁があるのかもしれない。
初めて志賀海神社を訪れたのは20歳の頃。
地元の青年から祭りに連れて行ってもらった。
夏の夜祭だったから、磯良祭だったのかな。
その人は私がそんな祭を好きだろうと思ったからと言ったのを思い出した。


そして、この日、オファーがあった。
「アントンイソラを本にしましょう」と。


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大戸 志賀島






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by lunabura | 2013-06-20 22:05 | にっき | Trackback | Comments(2)
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Commented by 愛読者 at 2013-06-21 11:49 x
土井ヶ浜遺跡のパネルについて「日本人の源流を探して」というHPに、
「北部九州・山口タイプの弥生人骨は、平野部で農耕を主生業とし、死後は大形甕棺を主体とする大規模な墓域に豊富な副葬品を伴って葬られた人々および土井ヶ浜人達である。
 この地域では縄文人たちが渡来系農耕民の新しい技術や血をうけいれて、文化的にも体質的(長身・高顔・・注- ヒトの頭蓋骨の計測 )にも均質な集団が誕生した。
 一方、西北九州タイプの弥生人骨は岩礁性の海岸部で漁撈に従事していた人々が、極めて貧弱な副葬品と共に小規模な土壙墓や石棺墓に残したものである。
 この地域は早い時期に水田稲作文化の洗礼をうけたが、水稲栽培に不向きな岩礁性の海岸部や離島に住んでいた縄文人は、土器や石器などの弥生文化要素は受け入れたものの、伝統的な生業と風習をかたくなに守り、渡来系農耕民との通婚も拒否し続けたようだ。
 したがってこのタイプの人々は低身・低顔という縄文人の形質を色濃く残した」とありました。
疑問は解決しました。有難うございました。
Commented by lunabura at 2013-06-21 21:05
愛読者さん、こんばんは。
その話は面白いですね。
そういう話がミュージアムで聞きたかったんだと、気づきました。
響灘の人々は、大型甕棺はなかったのですが、生活土器が洗練されていました。
だから、中ノ浜遺跡の陶棺がすごく気になりました。
各遺跡の散逸した資料を一冊に集めて、報告書を兼ねた基礎的なカラーのパンフレットの発行が強く望まれました。
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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