ひもろぎ逍遥

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響灘を巡って 遺跡と伝承について考えた


響灘を巡って 
遺跡と伝承について考えた

駆け足で巡った響灘(ひびきなだ)沿岸の遺跡を振り返ると
思い出されるのは清らかな大気と打ち寄せる白波。
その波に乗って来た人々たちの営み。
力を合わせて暮らす豊饒の海。

そしてその暮らしの跡に堆積して行く美しい砂。

ここは日本人がどうやって形成されて行ったのかを教えてくれる重要な地でした。
考古学的に期待したいことは
一つ一つの遺跡の保護と研究。
遺跡同士の関係性。
そして、大陸や半島との比較。

土井ヶ浜・人類学ミュージアムはその中心核ですが、
山積する課題に対して、人手不足は明らかです。
もっと国が援助をしないと、これらの宝からのメッセージを
受け取るのは困難だと思われました。

望まれるのは、毎年行われているシンポジウムの成果をPDF化したり、冊子化して、
国民がいつでも最新情報を手に入れられるようにしてほしいということですが、
それも、多くの人手を要するものです。

国の予算が近畿に集中していると聞きました。予算をもっと分散して、
全国の研究の底上げにシフトする時期が来ているように思われます。


さて、ひもろぎを逍遥するはずなのに、古代人のお墓も逍遥する当ブログですが、
神社の御神体と遺跡の出土物が重なることから、
古代人の価値観を知るのに、遺跡を学ぶことは大切だと思っています。

言いかえれば遺跡の人々の信仰が神社に残されているのです。
人々は故郷の地名と神々を連れて移動します。
遺跡のそばにある神社には彼らの精神界を知る手掛かりがあります。
神社は世界的にも稀有なカタチで残されたタイムカプセルなんですね。


私は、各地の町おこしに、
歴史を学ぶという知的な分野を取り入れてほしいと思うようになりました。

自分の町の遺跡マップを作ることは、きっと町おこしの原動力になると思っています。
その時、遺跡マップと神社マップを共存させてほしい。

歴史――知っていたつもりで、何も知らなかった。
それに気づく喜び。

皆さんの町にはどんな遺跡と神社がありますか?
日本の始まりのころ、どんな暮らしがあったでしょうか?





響灘沿岸には、神功皇后伝承が重なったものがありました。

弥生時代から古墳時代にかけて、遺跡の人々が生きた時代に
下関市の豊浦宮は都として機能していた時期があるのです。

天皇がいる所が朝廷。
この時代の朝廷は「ヤマト朝廷」でなく
「穴門朝廷」あるいは「豊浦朝廷」とでもいうべきものです。
香椎宮に遷宮してからは「儺の朝廷」とか「筑紫朝廷」とか。

『日本書紀』や『古事記』は、「仲哀天皇は豊浦宮や香椎宮で天下を治めた」と
高らかに書いているのですから。

記紀によれば、豊浦宮があったのは西暦200年前後という弥生時代の後期。
考古学界では神功皇后は320年あたりらしいので、そうすると古墳時代です。
時代の捉え方は違っても、豊浦宮に朝廷があった。

仲哀天皇が穴門の豊浦宮で「天の下をしろしめした」時代、
蓋井島に辰韓(新羅)が上陸して占拠し、本土上陸を狙っていました。
神功皇后は吉見港から出向して戦ったのですね。

洞海湾にも賊がいて、仲哀天皇が軍船を率いて攻撃。
神功皇后が賊に追われて逃げたという事件があったという伝承も聞きました。

倭国はいったん、蓋井島で敵をせん滅したつもりが、
まさかの塵輪の豊浦宮攻撃という不測の事態に。


この時、仲哀天皇は自ら敵将を射殺したけど、
警護した武人たちには不名誉な事件となりました。
さらに香椎宮遷都の後、小郡市の仮陣(御勢大霊石神社)で天皇を戦死させてしまった不名誉。

この二つの大事件を記紀は記録しなかった。
でも、記紀は嘘をついてはいない。ただ、記録しなかっただけ。

そのやり方が功を奏したのか、
神功皇后の三韓攻撃が唐突なものとなった。

さらには
仲哀天皇や神功皇后などが存在しなかったという人が現れる事になった。

さあ、フィールドワークをしましょう。
机の前から離れて、筑紫の宮々を歩きましょう。

地形を知り、古代人の営みを知る時、
私たち現代人は古代人の智恵を授かり、
望ましい未来とはどういう社会なのか、それぞれが知る事になることでしょう。

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綾羅木郷遺跡 (あやらぎごう)
下関市立考古博物館



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by lunabura | 2013-06-22 22:15 | 響灘の遺跡めぐり | Trackback | Comments(4)
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Commented by 愛読者 at 2013-06-23 09:57 x
今「地方分権」が声高に叫ばれていますが、考古学についても「地方分権=地域の歴史重視」を進めてもらいたいと願いますね。列島あらゆるところに祖先たちの暮らしがあり、文化があったわけで、「日本国」はそうした全ての人々の営みの上に成立しているのですから。
地方公共団体の財政が豊かだったときには、それなりに調査がおこなわれていました(それでも中央予算に比べると微々たるもの)が、財政状況が悪化すればすぐ切り捨てられるのが悲しい現状です。飛鳥・奈良や「大和朝廷につながる遺跡」に資源を集中させるのではなく、あらゆる地域の人々が自らの地域の歴史に誇りを持てるような、調査研究体制整備と資源(資金・人材)配分を行ってもらいたいですね。
Commented by lunabura at 2013-06-23 20:27
そうそう。その通りですね!
自分の思いを上手く表現できなかったのですが、
愛読者さんのコメントを読んですっきりとしました。 (^-^)
Commented by 筑後国造 at 2013-06-24 19:58 x
最近、神社巡りをしていると、境内に石棺があったり、石材を転用した石碑があったり、さらに背後に古墳があったりと、神社と遺跡の共存を実感しています。
文化財に指定されている遺跡や神社は同じ地図に載ったものもありますが、無名の神社も網羅したマップが欲しいですね。
地図に載っていない神社に出会うと、無名古墳を見つけたような感動を覚えます。
Commented by lunabura at 2013-06-24 20:25
筑後国造さん、こんばんは。
確かにそちらの方の古社は古墳に関わったりして、被葬者と祭祀という形が多く残っていそうですね。
遺跡と神社のセットのマップ。
これこそ、古代の姿をありありと浮かびあがらせてくれそうです。
国土地理院には神社マークが結構ありますが、
何せ社号が書いてありません。
取り掛かってみたいエリアは多過ぎて、気がまわらないというジレンマ。
各市町村の教育委員会に気づいてもらいたいなと思うこのごろです。

耳納連山あたりは、古社が沢山ありそうですね。 
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綾杉るなのブログ 神社伝承を求めてぶらぶら歩き 『神功皇后伝承を歩く』『ガイアの森』   Since2009.10.25


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