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安曇族と志賀島(2)万葉歌 二か所の「金のみさき」


安曇族と志賀島(2)

万葉歌 二か所の「金のみさき」

昨日は織幡宮から帰る途中、はっとしました。
それは鹿さんから聞いた話を思い出したからです。

万葉歌 「ちはやぶる 金のみさき」は宗像市ではなく、
志賀島の歌ではないでしょうか。

鹿さんは何度か繰り返しました。
地元では、そのように言われているようです。

しかし、その歌はこの織幡宮から見える海で詠まれた歌とこれまで言われているのです。
問題となっている歌はこれです。

ちはやぶる 金のみ崎を すぎぬとも われは忘れじ 志賀の皇神

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(版画 石井忠)

詠み込まれた「金のみさき」という地名から、織幡宮が鎮座する「鐘崎岬」を詠んだ歌とされています。

織幡宮には「沈鐘伝説」があって、嵐の時には海に沈んだ鐘が鳴り、
地島との間は迫門(せと)といって、潮の流れが速いため、
海の難所として恐れられていたそうです。
鐘崎の歌が志賀島の歌だというのはどういうことだろうか。

万葉集は漢字だけで書かれているので、人の解釈が加わっています。
ですから、原文をみないと話が始まりません。
(今はネットで簡単にでてくるんですね!)

千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須賣神

う~む これが原文か…。ヤバいね。漢字ばかり…だ。(・.・;)
(万葉集は漢字だけって自分で今、書いたばかりじゃん)

「金之三埼」(かねのみさき)
これがその漢字ですか…。

「金之三埼」= 鐘崎

この歌を鐘崎とするのが通説だけど、こりゃあ、絶対ではないっすね。
他にライバルが出て来てもよさそう。


それでは織幡宮に戻りましょう。

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これが海から引き揚げられた岩です。これが鐘と思われていたのですね。
嵐になるとこれが鳴り響いていた…。らしい。

石碑を見ると地名の「金崎」の字が見えます。
祭神には志賀三神も祀られています。
ですから、この歌は鐘崎を通過する時の歌ということになるんですね。
(この沈鐘伝説についてはサイドバー 織幡宮(おりはた)へどうぞ)
問題なし。


それじゃあ、志賀島には「金之三埼」があるの?

それが、あるんですね。金印の出土地の伝承を読んでいたら、

   「カナノサキ 金印出」(『筑前国続風土記附録』)
   「カナノ浜は金の浜のこと。」(青柳種信)

と出て来ました。

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現在「叶の浜」と書かれている所は、神功皇后が「願いが叶った」と言ったから
「叶の浜」というようになったそうですが、地元で尋ねると、
その南の「南ノ浦岬」が「金之三埼」ではないかということでした。
この岬を挟んで「小金」「大金」と言うそうです。

前回も書いたけど、昭和9年までは弘(ひろ)が外洋船の入港できる湊で、
博多へは小型の船に荷を積み替えていたそうで、
神功皇后の時代も出港地はこの付近なんですね。
ここからいよいよ玄界灘に出て行かねばならない最後の港だったのです。

ちはやぶる 金のみ崎を 過ぎぬとも
われは忘れじ 志賀の皇神


そうすると、この歌は島づたいの船旅が終わって、
外洋という命がけの世界に踏む込む歌になります。

ということで、この歌は鐘崎でも、志賀島でもどちらでも解釈できるということになりました。


そこで決定打が欲しかった。どっちか決められないのか。
多分、決定打はないだろうと思っていました。織幡宮に参拝するまでは。

そして、気が付いたのです。織幡宮の神は「竹内宿禰」神なんだって。
もし、宗像市の鐘崎を通る歌だとすれば、そこで祈るのは「竹内宿禰」神なんですね。

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ところが詠み手が祈っているのは「壮鹿之須賣神」なんです。
「志賀皇神」(しかのすめかみ)と書きます。

実はこの「志賀皇神」について、数日前ずっと考えたのです。
神功皇后伝承には「志賀大神」と「志賀皇神」の二柱の神が出て来ます。
どう違うんだろう。

神功皇后が「志賀皇神」に祈っても、「志賀大神」が現れないのです。
そこで、アマテラスの岩戸隠れの故事にならって、天の岩戸神楽を奉納すると、
金の亀に乗って志賀大神が現れました。胸に鞨鼓を下げて。

鞨鼓(かっこ)をぶら下げているのは安曇磯良神の特徴です。
神楽の音を聞いて、音楽好きの安曇磯良が我慢できずに出て来るシーンだったんですね。
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(小林健吾氏 提供)

こうして
「志賀大神」とは「安曇磯良」で、
「志賀皇神」とは「綿津見三神や豊玉彦、豊玉姫など安曇磯良の祖神」
ということが分かったんです。

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(志賀海神社境内)
志賀島の二匹の黄金の亀が二柱の神々の仮の姿です。


で、万葉歌に戻ると、「志賀皇神」に祈っているのですから、
この志賀島の現場の歌だということになります。
目の前の神々に祈る歌なんですね。

それは綿津見の神々ともいう。
神功皇后もこの神に祈って嵐が治まった話を詠み手は知っていたんでしょうね。

ちはやぶる 金のみ崎を 過ぎぬとも
われは忘れじ 志賀の皇神


   神霊の力が奮っている神の島の 金の岬を 過ぎて大海に出ても、
   わたしは忘れません。 恵み深い志賀の皇神の神恩を。
   どうぞ、お守りください。

と、なりました。

こうして金印出土地の周囲は古代は国際港だったことがだんだん分かってきましたよ。




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by lunabura | 2013-07-15 23:30 | 安曇族と志賀島 | Trackback | Comments(1)
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Commented by ニューバランス 576 uk at 2013-11-14 16:49 x
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